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やわらかいシフォン生地を幾重にも重ねたドレス姿のリタを、アルヴェール領の王都邸の使用人たちが囲んでいる。
「十三歳のお誕生日おめでとうございます、奥様」
執事のダンテスが慇懃にお祝いの言葉を述べれば、みな口々に続いた。
リタがエドワルドに引き取られてからすでに三年が経過していた。
みんなに祝われたリタはにこっと笑って、ドレスの裾をつまみ腰を落とす。
「みんなありがとう。……すごくうれしい」
ここ数日使用人たちはリタに内緒で、このサプライズパーティーの準備をしていた。今朝は、リタはいつもより丁寧に髪をくしけずられて、背中の半ばまで伸びた髪をおとなの女性のように結い上げられた。
なにかあるのか、と聞けばフィシュリが、ふふっと笑って、
「今日はリタさまのお誕生日パーティーですからね」
とリタをふんわり抱きしめた。
「私の誕生日はまだ先よ?」
「公爵様がしばらくお忙しくなるので、今日お祝いをしたいのですって」
彼女は相変わらず、リタに優しく接してくれる。リタの前では決してエドワルドの名を口にせず『公爵様』と呼ぶ。
「エドワルド様の都合でとうとう誕生日まで変わってしまったわ……」
さすがにリタがエドワルドに拗ねてみせると、エドワルドは何でもないことのように手をひらひらと振った。
「いいじゃない、早く大人になりたがっていたじゃないか、……アリエッタ嬢?」
「ううん……まだ慣れないわ」
むずがゆそうにもじもじとしている。
リタは、アリエッタと正式に改名したばかりである。
リタという愛称をそのまま残せるように、とエドワルドが考えてくれたのだと聞かされているが、それはもともと彼女が持つ名前。
(あの王が、唯一娘に贈れたものだからな)
その名を知るのは、王と亡くなったアリアローズ元王妃。それにわずかな側近だけだったから、王妃はあの庭師に、まちがいなく自分の意思で王女を託したのだ。
実は誕生日も、本当は今日なのである。庭師もさすがに誕生日までは知らず、適当にリタの誕生日をでっち上げたのだろう。
パーティーといってももちろん身内だけである。それでもリタは十分うれしかった。
(生まれたことを喜んでくれる人が、こんなにいるんだもの)
庭師だった父はささやかにもお祝いをしてくれたが、養母に『お前なんかいなければ』と言われ続けて育ったリタは、自分のために用意された料理や贈り物や花に涙腺がゆるんだ。
「エルンスト先生からも贈り物をいただいたの。こんな高そうなものいいのかしら?」
リタは首元のネックレスに指をかけた。
ぴくっとエドワルドの口元が動いた。
ネックレスと言えば以前彼が仕掛けたいたずらの小道具である。
(……完全に根に持ってるな。しかもあれよりも数段上の品質だし)
資金源がこの国でいちばんお金持ちなのだから、さぞかし気合を入れて選んだのだろう。
『わたしだったらこれぐらいのものは贈る』という皮肉のきいた一品である。
今日の使用人たちはエドワルドの計らいで、お仕着せではなく思い思いの装いである。
「奥様がアルヴェール領へ行かれてしまうと、このお屋敷はさみしくなってしまうのでしょうね」
モネリが泣きそうな顔で言うと、ほかの使用人たちも同様の反応を見せた。
そう、リタはもうじきこの王都の別邸をでて、公爵領へと向かうことになる。
「三年なんて長すぎます!旦那様、たまには奥様を連れ帰ってください!」
おいしいシャンパンを口にして、くだけた口調になった料理長にからまれ、エドワルドは苦笑した。この邸の使用人は本当にリタが好きなのだ。
(彼女がここに戻ってくることはもうない、とは口が裂けても言えないな)
リタはくぅっとうつむいている料理長の顔を下から覗き込んで、
「仕方ないわ、タモン。公爵夫人になるためには向こうで勉強してこないといけないのだもの。ね?」
と笑った。
でもリタの目じりにも少し涙がにじんでいるのである。それを見たタモンは別の理由でくぅっとうなった。
「三年後には正式な公爵夫人になるのだから、そしたらずっと一緒よ。それまでここで待っていてくれる?」
「あざとい奥様……!」
見かねたダンテスがリタからタモンを引き離しながら、
「せめてフィシュリがご一緒できればよかったのですが」
というと、フィシュリがじとっとエドワルドを恨めしそうな目で見た。
「……お許しがでなかったのです」
エドワルドはまたもや口元を引きつらせた。
(許しをださなかったのはわたしじゃないぞ!)
王である。
エドワルドは今もフィシュリを、王宮へ定期的に連れて行っている。
庭師の最期の言葉を伝えるためだった密会は、そのうちリタの様子を聞くために代わり、三年たった今は他の理由も加わっているとエドワルドは見ている。
アリアローズの死から十三年。
止まっていた王の時間はふたたび動き出した。
それをなしたのはリタの存在だろう。フィシュリの口から語られる娘の成長が、王を政務に戻らせたのだ。
首が飛ぶのを覚悟で王の前に立ったかいがあったというものである。
フィシュリの拗ねた顔を、リタはちょっと切ない気分で見ていた。
(そりゃあわたしがいない間フィシュリを独占できるんだもの。エドワルド様が許すわけないわよね)
リタはいまだに二人が恋人同士であると信じているのである。
「大丈夫よ。あちらにも使用人はいるのだし、ダンテスに送ってもらうのだから」
単身、未来の自領にむかうリタは、みんなを安心させるために笑ってみせた。
それは思わず見とれるくらいかわいい笑顔。
(ああ、……きれいになった)
エドワルドは最後に見ることになるだろうその表情を忘れないだろう、と思ったのだった。
リタがアルヴェール領へと旅立った数日後。
「もう彼女の家庭教師をすることがないと思うとさみしいですね」
宰相のエルンストがしみじみつぶやいたが、それが本心であることは疑いようがなかった。
「ずいぶんと楽しんでいたようですが?」
使用人に交じってリタと自分で遊ばれた自覚のあるエドワルドは、じっとりと上司をにらんだ。
「実際、楽しかったですからね。大体エドの甘やかしぶりだって相当なものでしたよ。自覚がないのですか?」
やりあう二人を呆れたような声がさえぎった。
「お前ら余のいないところで何をやっておったのだ」
ずるいぞ、となじられ、側近二人はあわてて居住まいをただした。
「あの子が王都に戻るまでに、すべて終わらせましょう」
エルンストの一言で、小休止状態だった会合の時間がふたたび動き始める。
三年だ。
「東は。なんと言ってきた」
「難民の問題さえ片付けば、と」
ジェダカインの専横に苦しめられてきた四国がついに同盟を組んだのは二年前。
発端となったのは、ジェダカインが関税を大幅にひきあげたことであった。
この大陸の交易はすべてがジェダカインを介して行われる仕組みである。
すべての交易品はジェダカイン王国へとあつまり、そこで売買される。品物を卸すために関税をかけられ、買うために関税を支払う。その暴利でジェダカインは成り立っている。
「まさかアリエッタの案を実行に移す日が来ようとは思わなかったな」
王が苦笑いした。
ある日の授業で、エルンストは彼女に課題を出した。もしあなたがこの国の王としてジェダカインを陥落させようとするなら、どうするか、と。
彼女は即座に、地の利を活かす、と答えた。
ジェダカインはその成り立ちから、四方を隷属する四国に囲まれている。
四国が手を組むことで、あらたに拠点を築く必要もなく兵を移動させる必要もない。そしてどの国もその横暴な関税に苦慮しているのだから、手を組むのは簡単だ。
しかもジェダカインには決定的な弱みがある。
すべての交易品が自国を経由するため、彼らの生活はそのほとんどが交易品によって成り立っている。自国の産業が育っていないのだ。もしそれが入らなくなれば、国王一族にいたるまでたちまち生活がなりたたなくなるのである。
同盟を組んだ国々は、長い時間をかけて自国の備蓄をゆるやかに増やしていった。一方で、関税の値上げを理由に交易量を減らしている。
「商人から、ジェダカイン国内の物価の高騰が報告されています。おそらく国内でも品薄は深刻になっていると思われます」
「そろそろ動く頃合いか」
王の紫の瞳が深みを増す。
「皆を招集せよ、エルンスト」
傀儡と言われた王が、ようやく表に立つ時が来た。
「承りました」
「エドワルド、お前には一番苦労をかけるが」
「もったいないお言葉です」
「まずは王宮内を一掃する。王妃と王太子を拘束せよ。理由ならいくらでもあろう?」
アリアローズ殺害の罪。……そして、王妃は一度も交わりのない夫の子をどうした奇跡か産んでいる。
それを黙認せざるを得なかったエルンスト一派にとって、アリエッタという娘はまさにこの国の運命を左右し、主権をとりもどすための珠玉だ。相手方にとっては生きていることすら看過できない存在。事実、かつてそうした手によって、この国の正統な王女は失われたのだから。
アリエッタをアルヴェール領へと送ったのは、彼女を万が一にも危険にさらさないための配慮だ。
アリエッタをこの手に、この国に取り戻すために。
「後顧の憂いはすべて断つぞ」
王の言葉に側近二人が表情を引き締めた。
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