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「アリエッタ様、頼まれた書類をお持ちいたしました」  アルヴェール領の公爵邸はかなり大きい。実用的だったタウンハウスとは雲泥の差で、その分使用人の数も多い。  主が不在だった間も適切に管理はされていたが、『時期公爵夫人』かつ『領主代行』とダンテスが言い置いたことで、静かだった邸内は、アリエッタの着任とともににわかに活気づいた。 「ありがとう、テイルス」  アリエッタがここについてすぐにしたのは使用人の名前を覚えること。 執事代行のテイルスをはじめ、フットマンや下働きの女にいたるまですでにすっかりこの少女に掌握(しょうあく)されている。 「やっぱり……かなり休耕地が増えたのね」  手渡された書類に目を通しながらアリエッタはうーんと考え込んだ。  すでに三日かけて、領内の土地を見て回ったアリエッタは、手の入っていない農地の多さに驚いた。王都で報告を受けていた収穫量の変動だけでは見えなかった問題点が浮き彫りになる。 「手が足りないのです。農業では生活が立ち行かぬと、街へ労働に出るものが増え、女子どもだけは耕作できる面積が限られます。生活が苦しく寄生地主の小作人となるケースも多いですね」  小作人となって一定の小作料を報酬として受け取る。金銭ではなく農作物で受け取ることもあり、最低限の保証はされるが、彼らの生活は決して豊かではない。 「これでは地主が潤うだけだわ」 「その地主も近年は、農地を領主に返納して蓄えた財をもって王都へと居を移しておりますので、そのために手が入らなくなった農地もあります」  大陸の食糧庫と言われるだけあって、ここガーランドは比較的気候の変動がなく、一年を通して農作が可能である。アルヴェール領もいくつかの商業地区はあるが領地のほとんどが農地であるため、税収を考えると無視できない問題だった。 「戸籍の管理はガブール家だったわね」  名主の名を挙げると、優秀な執事代行は新たな書類を差し出す。  それに目を通したアリエッタはまたもうーんとうなった。 「ガブール家の当主ライエンに面会を申し込みますか」  お願い、と言って書類を置いたとき、侍女のヨナがお茶を持ってきてくれた。 「アリエッタ様、今日のおやつはクレープですよ」  ヨナは、アリエッタ付きの側仕えである。  甘い匂いに、思わず頬が緩む。  年相応のかわいらしい様子に、テイルスもこっそり口元に笑みを浮かべる。  美しい赤銅色の髪は一本のみつあみにして片側に寄せている。今ではすっかり色を濃くした紫の瞳は神秘的で、見つめられると息が詰まりそうなほどである。所作も優雅で、きちんと教育を受けた成果が出ている。  体の線は細いが不健康には見えない。  彼女の幼少時を知らないテイルスは、彼女が田舎育ちとは知らないので、あまりに気さくな令嬢に『変わった方だな』とは思うが、 (こんな公爵夫人も悪くないな) と思った。なにより、 「エドワルド様がお好きなのよ、クレープ。エドワルド様は卵を使ったものはなんでも好きでね、ふわふわのオムレツを毎朝召し上がるの」  彼女が盲目的にエドワルドに心を寄せているのがわかって、使用人はみなこの少女に好意を寄せていた。 (あの旦那様がどんな顔をしてこの小さな『奥様』を扱っているのやら)  くっくっと笑っていると怪訝そうに聞かれる。 「どうしたの?」 「いえ、午後はどうされますか」  アリエッタはすこし考え込むそぶりをしてから、ためらいがちにテイルスを見上げてきた。 「……エドワルド様のご両親のお墓参りに行きたいのだけれど、わたしが行っても平気かしら」 「もちろんです。旦那様も喜ぶでしょう」 (……お詫びをして、エドワルド様とこの領地のために頑張りますって伝えたい……)  後ろめたいのである。  表面は令嬢らしくとりつくろってはいるが、実際は平民の押しかけ嫁。家名を汚されたと怒られても仕方がないのだから。 「馬車の事故で亡くなったと聞いているのだけど」  アリエッタが言うと、テイルスの表情が曇った。 (どこまで言っていいのやら)  なにしろ前公爵夫妻の死にはあるうわさがつきまとっている。悩んだ末、テイルスはうわさも含め事故の詳細を話すことを選んだ。  詳しい話を初めてきいたのであろうアリエッタは案の定ショックを受けていた。 (エドワルド様のご両親を、王様が殺したかもしれないなんて……そんなのって)  だってエドワルドは、その王様の下で働いているのだ。その上、十代という若さでたったひとりでこの広い領地に責任を持たなければならなかったエドワルドの心を思うと、アリエッタの胸は痛むのだった。 「テイルス。わたしね、わたしは、エドワルド様に幸せになってもらえたらいいなと思う。頑張るから、だから協力してもらえる?」  涙ぐむアリエッタに、 「もちろんです。使用人一同、アリエッタ様を歓迎いたします」 と胸を熱くしたテイルスだった。
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