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領地に不在のエドワルドに代わって、この地の税収を管理しているのが、何代も続く名主、ガブール家である。
現当主のライエンは頭に白いものが目立つ好々爺で、幼い少女ににこにことお茶とお菓子を進めてくれた。
お礼を言ってカップに軽く口を付けた後、世間話をはじめようとするライエンを、アリエッタは止めた。
「ライエン」
敬称をつけなかったのは、自分が『領主代行』であることを暗に伝えるためだ。
ライエンは一瞬息をのんだ。彼女の紫の瞳に、一時とはいえ年寄りの自分が飲まれたことを知る。
(ほう……これは)
侮ってはならない、と老獪なライエンは気を引き締めた。
「なんでございましょう、アリエッタ様」
アリエッタは十三歳とは思えない落ち着いた様子で、目の前の名主を見据えた。
「戸籍の書類を確認したところ、随分と出生率が低い気がするのですけれど、適切に管理されていますか?」
しょっぱなから仕事に穴があるのではないかとふっかけられライエンは眉をひそめた。
「アリエッタ様は人頭税のごまかしを疑っておいでですか?」
(エドワルドに聞いて来いとでもいわれたか)
ライエンは即座に切り返す。この手の尋問では少しの沈黙でも悪手となることを知っている。
「不在の領主に代わって名主を務めてきた我がガブール家をお疑いか」
いくら『領主代行』権限をかざそうが、子ども相手に侮られるのはライエンの矜持が許さなかった。しかしそれを聞いたアリエッタは、きょとんとした。
「え?うたがってないけど」
これにぽかんとしたのはライエンの方だ。
アリエッタはあきらかに『失敗しちゃった』と顔に出して、あわててとりつくろい始めた。
「ごめんなさい!ライエンを責めるつもりはないし、もちろん疑ってるわけでもなくて」
「……はぁ」
「聞きたいのは、子どもが生まれたことを届け出ていない家はないのかってことなんだけど」
すっかり毒気を抜かれたライエンは、なんだか権謀術数をめぐらすのがばかばかしくなってしまった。
「そりゃあるでしょう」
さらっと答えた。アリエッタは口に手を当て,『やっぱり』とつぶやいた。
どこの領地でも家族が増えると、人数に応じた税を納めることになっている、アルヴェール領も例外ではない。いわゆる住民税である。
働き手は欲しいが、それを惜しんで跡継ぎ以外は届け出ない例もめずらしくない。
「近年、その傾向が強い気がしたものだから……ライエンの話を聞きたいの」
税のごまかしはよくないが、事情が事情なので、領主もあえて見逃しているところがある。おそらくエドワルドも、前領主もそうだったのだろう。
しかし、人頭税を払わなくていい代わりに、彼らは自分名義の土地や農地を手にすることができない。
小作人となって、だれかの土地を耕すしかなくなってしまう。
一度小作人となれば、その先死ぬまでそこから抜け出せないだろう。さらには彼らの子は戸籍を申請する権利さえ持たない。負の連鎖である。
「収穫量の落ち込みよりも人口の減少の方が顕著な気がしたのです。確かに休耕地は多いけれど、逆に地主の収穫量は増えていますよね。戸籍をもたない人を小作人として雇い入れているのでしょう?」
「・・・おっしゃるとおりです」
ライエンは改めて目の前の少女を見分した。
どうやら彼女は本当に事実確認がしたかっただけで、不正を咎めに来たわけではないらしい。
施政は正論だけでは立ち行かない。時として清濁併せ呑まねば回らないこともある。
住民の不正を暴くのは簡単だが、税収を支えているのは彼らでもあるのだから。
アリエッタは、間違いなく為政者の視点で物事を見ている。資料を読み解き、実際に自分の目で領地を見て、今ライエンの前に座っている。
彼女はエドワルドが寄こした『おつかい』ではなかったのだ。
(一体どんな教育を受けたのか)
「これは地主が肥え太る一方だわ。全体の収穫量でみれば今のところ問題視するほどではないから税収もとれるけれど、……住民は生活に困るでしょう」
「しかし戸籍をもたない彼らは『住民』ではない」
ライエンはきっぱりといった。
人頭税を払っていないのだから、彼らが生活に困ろうとそれは仕方ないではないか。
言外にそう言ったライエンに、アリエッタはふんわりと笑った。
「わたし、欲張りだから、このアルヴェール領にもっと『人』を増やしたいのです」
「……税収をあげたい、という意味ですか」
そう問えば、少女は首を振った。
「生きるためにはただ食べられて、雨風をしのげればいいだけではないでしょう?
自分で稼いで、稼いだ分だけ豊かになれなければ、使い捨ての人生ではありませんか。生きるためには喜びや、誰かに必要とされているという実感が必要だと思うの。
それに住民を必要としているのは、税収で養われているわたしたちではありませんか?」
なんなのだろう、この子は。
まっすぐに心を伝えてくる。その引力に逆らい難い。
(この眼は間違いなく為政者のものだ)
「……あなたは、この地をどのように導くおつもりですか?」
「それにはライエンの力が必要なのです。協力してくれませんか?」
ライエンは笑いがこみ上げてきた。
あらがえないと思った。
アリエッタがどのようにこの地をおさめようとするのか、見てみたいと思ってしまった。
突然笑い出した老人を、気味の悪いものを見るようにしているアリエッタにライエンは言った。
「あなたは領主代行なのでしょう?ただ命じればいいのですよ」
「本当!?ありがとう!ライエン!」
輝くばかりの笑顔で、またひとり親衛隊員を増やしたアリエッタなのだった。
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