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「ごごごごめんなさいフィシュリ」  フィシュリのふくれっつらを初めて目にしたアリエッタはひたすら縮こまっていた。  誤解が解け落ち着きを取り戻した公爵邸である。すでに室内に移動してソファで向かい合っている。  この騒ぎでちょっとエドワルドの件が頭から吹き飛んだのが幸いというかなんというか。 (勘違いだったなんて・・・!)  しかも未婚のフィシュリに対してなんて不名誉な誤解をしてしまったのかとアリエッタはおろおろするばかりである。  穴があったらはいりたい気分だ。ここが外で地面があれば掘っていたに違いない。  きゅう、と小さくなっているアリエッタの様子にとうとうフィシュリは吹きだした。  アリエッタがそんな誤解をしていたなんて思いもしなかった。だとしたら、彼女こそどんなにその小さな胸を痛めていたことか。 (まさか、愛人を容認しているとも思わなかったわ)  想像の斜め上をとんでいる王女である。  だからすこし度肝を抜きたくなったのかもしれない。 「アリエッタ様、わたし確かに愛人でしたのよ、相手はエドワルド様ではございませんけど」  フィシュリは微笑みながらしれっと言った。 「ええっ?」  驚かせることに成功してフィシュリはふふと笑った。 「相手はお父様ほどのご年齢でしたわ。結局別れたのですけど、それが原因で実家の父に勘当されましたの」  突然始まったフィシュリの身の上話に、アリエッタは呆気にとられた。  生家を出たフィシュリは父親の手で王宮の住み込み官女として、医務所に職を得たという。 「わたし、アリエッタ様のお父様の最期の時に立ち会いました」 「父さんの……?」 「ええ。あなたのお父様は最後までアリエッタさま、……リタ様のことを気にしておられました。そして公爵様にリタ様を託されたのです。わたくしもそのご縁で側仕えとして雇っていただきました」 (それではあの日、エドワルドが来たのは偶然ではなくて、父さんに頼まれたから……?) 「どどどうしよう!?フィシュリ!わたしエドワルド様にとんでもないことをしてしまったわ!」  連れ帰るつもりなら嫁にしろとせまった。  優しいエドワルドは不遇の子どもを見捨てることができずに求婚の形をとり、なおかつそれを守ろうとしてくれている……とリタは思っている。 「エドワルド様って……本当にどこまで優しいの」  本当の彼を知るものなら腹を抱えて笑いそうである。  今となっては事情を知らされているフィシュリもその一人だが、彼女は逆に痛ましい顔になった。 (……そのやさしさが偽りであることを知ったら、アリエッタ様はどうするのかしら)  その時を思うと、フィシュリの心は痛むのだった。     ***  フィシュリが来てくれたことで、アリエッタはふたたび活力を取り戻した。  ライエンの協力をあおぎ農地改革を進めていく一方で、ヒルダをはじめとする『お小遣い稼ぎ隊』と特産品の企画開発も進めていく。  農水路の修復作業、農地の区画整理、堤の建設など、行った公共事業もこの時期が一番多かっただろう。  預かった領主の権利を行使することをアリエッタはためらわなかった。 (必ずエドワルド様は帰ってくる)  けなげに務めにまい進するアリエッタを、公爵邸の使用人は一丸となって支えた。  彼らだけではない。  ライエンをはじめとする長たちだけでなく、孫のようにアリエッタをかわいがる老婦人たち、公共事業によって環境を整えてもらった農民にいたるまでが、幼い容姿と気取らない態度で人を引き寄せ、権力を使うべき場面ではためらいなく大ナタをふるう実行力に次々と信奉者となっていくのである。  そして一番着手したかった休耕地問題対策の算段が付いた時にはアルヴェール領へ来てから三年の月日がたっていた。 「ライエン、農地の希望者はどれぐらいいるかしら」 「思ったよりも早く効果が出ていますな」  ライエンは書類を差し出した。アリエッタはそれに素早く目を通していくと、ライエンの言葉を裏付ける部分を確認して満足そうに笑む。  先月アリエッタは領主の名でいくつかの発令をした。  成人している希望者に、一人当たり百平方メートルの農地を無料で貸出す。権利の譲渡は禁止するし死んだら返してもらうが、一定の年数実績を積めば、優先的に土地の購入権を得ることもできるとした。  もちろん、このアルヴェール領に戸籍を持つもの、……人頭税を納めているものでなければならない。さらに二十年間の期限付きで、他領からの移住者で農業を希望する者も年齢に応じて所定の人頭税さえ納めればそれに含むとした。  この領地で生まれ育ったにも関わらず無戸籍だった者でも、今までの人頭税さえ払えば戸籍と農地を持つことができる建前を用意したのだ。  こちらは納める税を用意できなければどうにもならないが、猶予期間は二十年あるので当人に頑張ってもらうしかない。  また自分の土地で農業を営むもので、融資基準を満たすものには低金利で金銭の貸し出しを行うと交付。もちろん返済は行ってもらうが所有する面積によって貸出限度と返済額を決めているので、無理なく返していくことができる範囲だ。こちらの希望者も当初想定していたより希望者が多い。 「それだけ農地を質草にしていた人が多かったということね」  生活に困った民が自分の田畑を質草に地主に金を借りる。その地主の小作人となって、収穫量の実に三割近くの農作物を納めている実態はすでに報告されている。彼らはさらに、自分の税を納め生活を賄い、返済の義務をも追っていた。農地の売買は領主によって禁じられているが、実際にはこうして質草とされ、寄生地主が潤っていたのである。  返済さえ済めば契約は解消され自分の手に土地は戻るが、生活はかつかつでそうなるケースは少ない。領主からの好条件の融資を希望し、地主へ一括返済をすることで彼らは自分の土地を取り戻すことができたのだ。 「共同農地の方は……まだこれからかしら」  四世帯以上の集落に、一世帯当たり百平方メートルの農地を無料で貸与するとしたが、こちらの反応は薄いようだ。 「もしかしたら意図が伝わっていないのかもしれませんな。貸与された土地で税収にあたる分を作付けすれば収入がふえるのですが」 「共同であたることによって、空いた時間に世話をするだけでいいから人手不足解消にもなると思ったのだけど……。やっぱり農政は難しいわね」  考えこむアリエッタだが、ライエンは好々爺然と彼女を眺めた。  随分と大人びたが、ライエンにとってはまだ孫のような若さだ。 (エドワルド様不在の中、頑張っておられる。なによりこれほど民に慕われる領主というのはめずらしいものだ)  アリエッタの信奉者はおどろくほど多い。ライエンもその一人である。  彼女の言う通り農政は難しい。  農業は土地や気候条件に制約されることが多いうえ、いくら他領のすぐれた技術を真似しようとしても、導入するまでには自分たちの土地に合わせて改良や調整が必要なのだ。  あたらしい農作物を植えようとすれば年単位で取り組まなくてはならず、とにかく時間がかかるのである。これではどんなに個人が頑張っても、限界がある。  アリエッタは既存のやり方は踏襲(とうしゅう)しながらも、この時間のかかる部分を領主主導で行うこととした。改良と商品開発の費用を税収からまかなうと明言したのである。  ライエンは、今の目の前にいる少女が寄生地主たちを見事に手の内に取り込んだ時のことを思い出す。 (この年になってこのような為政者にあえたことに鳥肌がたったものだ)  アリエッタが領主としてだした令で、割を食ったのは今まで私腹をこやしていた寄生地主たちであった。貸した金は戻ってきたが、実入りの減った彼らは厚顔無恥にも徒党を組んで、この公爵邸に乗り込んできたのである。  居合わせたライエンが前に出ようとするのを手で止めたアリエッタは、まず彼らの来訪を快く受け入れ、丁重にもてなしさえした。  下手に出てきた若い娘に彼らはあざけりの表情を隠そうともしない。 ライエンもテイルスをはじめとする使用人も、それだけで怒り心頭だったのだが、ただ一人アリエッタだけは優雅な所作で手ずからお茶を淹れて勧めてみせた。  上流階級のお嬢様の洗練されたその動作に、なりあがりの成金がぽけっと見とれているのがおかしかった。 「本日は来てくださってありがとう存じます。本当はこちらからお伺いするつもりでしたのにわざわざご足労いただいて申し訳ありません」  いきなりそう切り出した領主に、相手方の動揺が見てとれた。  彼らの中の真ん中に座っている恰幅のいい男が、 「……どういうことですかな」 と疑り深い目で探る。  アリエッタは優雅な微笑みをたたえて、ますます濃くなった紫紺の瞳でじっと発言した男を見つめる 「もちろん農地改革の件ですわ」  ライエンは因縁をつけてきた大人相手に一歩も怯む様子のないアリエッタを見てにやりと笑った。 (たかが小娘だと高をくくっていたのだろうが……) 「わたくしの改革に協力してくださるのでしょう?」  そのために来たのではないの?と堂々と言われては、『いえ、因縁をつけに来ました』と言いづらい。  うっと詰まった彼らにアリエッタは畳みかけるように『協力内容』を突き付けていく。 「ボルド、サイモン、ワットン、ハデス。あなた方にはこの改革の根幹を担っていただきたいと思っています。 まずは新しい農業技術の導入、新しい農作物の作付と開発、それから領地の農作物を品質によってランク分けをしていただきます。それから……」 「ちょっ……待て……いえ、いただきたい」  よどみなく自分たちの名前を口にした上にさくさくと言われて古びた頭が付いていかないのか、かなり動揺している。  アリエッタは頬に片方の手をあて首をかしげて、上目遣いで彼らを見た。  子供のころ教わった『お願い』のポーズである。いまや美少女といってもそん色ない彼女がやるとかなりあざとい仕草である。 「はい、なんでしょう?」 「……ナンデショウはこっちのセリフだ。あなたは私たちをどうしようというんだ?」 「どうしよう、ではなくて、どうしてほしいかの話なんだけどな……」  アリエッタは急に砕けた口調になると、一同を見回しにっこり笑った。  地主たちがここに来た目的を忘れて、彼女の一挙手一投足から目を離すまいとしたのがわかり、ライエンはくつくつと忍び笑いをこぼした。 「他領地のすぐれたところを取り入れていきたいの。もちろん開発も大歓迎よ。軌道に乗るまでは税収で費用を持つわ。もちろん予算は守ってもらうし事前の計画書と事後の報告書は必須だけど」  農民は日々の糧を育てるのに精いっぱいで余裕がない。  でも地主の彼らは自分で直接鍬を持つことがない。今まで人を働かせ利益をむさぼってきた分、是非とも彼らにも働いてもらいたいと思う。 「ランクで評価するのは付加価値をつけるためよ。それによって買取り価格に差をつけることで品質の向上につながるわよね」  ゆくゆくは需要のある作物を供給できるよう生産量を調整して流通価格の平定も図りたいが、とりあえずは品質向上が優先である。 もちろん彼らが賄賂(わいろ)で便宜を図ることのないように定期的に監査は行うつもりだ。 「つまりその役目を我々に、と」  アリエッタは頷いた。 「あなた方はこの土地に根付いた名家ですもの。上に立っても反発は少ないでしょう? 当然それなりの立場の保証と優遇はさせてもらうわ」  いくつかの条件をあげていくと利に聡い地主たちが頭の中で計算をめぐらす。  それを横目に、アリエッタはお茶でのどを潤した。実は彼女も見た目ほど落ち着いているわけではない。  結局その日返事を保留にした彼らは、公爵邸から辞去して翌週には承諾の返事を寄こしたのだった。 「利を取り上げるのではなく、新たな利を配るとは思いませんでしたよ」  ライエンは面白がっているようだ。 「だってこれ以上ライエンの仕事を増やすわけにはいかないもの。敵は作らないほうが仕事はやりやすいし使える人手は多い方がいいでしょう?」 「おや、わたしのためですか」 「……それだけでもないわ。エドワルド様は王都を離れることができないお仕事だし、領地のことは領地で回せるようにしておかないとね」  アリエッタはエドワルドが無事に戻ることを信じているのだ。彼女がエドワルドに寄せる想いを感じ取ってライエンは目を細めた。 「エドワルド様は若くして跡を継いで領地運営に苦労しましたからね」  テイルスの言葉にライエンも同意する。  確かにあの頃のエドワルドは余裕がなかった。なにしろ公爵は夫妻そろって亡くなっている。突然、なんの下地もなく民の生活を背負った苦労は計り知れない。 「私は嬉しいのですよ、エドワルド様はよい伴侶をお選びになられましたな」  アリエッタは少し居心地が悪そうにもじもじする。  怪訝そうなライエンの視線に気づくと、 「あのね」 と切り出した。 「……わたし本当はエドワルド様の横に立てるような人間じゃないのよ。偉そうにしてるけどいっぱいいっぱいなの。わたしエドワルド様には返しきれない恩がありすぎて……申し訳なくて。だからせめて責任だけは果たしたいし、もしエドワルド様と結婚することがなくなっても今はやれることをやるつもりよ」  テイルスは夜中に彼女が王都の方角に向かって無事を祈っているのを知っている。  エドワルドの安否不明の知らせを受けて以来、願をかけて髪を切っていないことも。  成長とともにふっくらしていた見た目はすっきりとしてきたが、頬の肉がそげたのはそれが理由ではない。  ぶわっとテイルスの目に涙が浮かんだ。 「何を言っているのですか!?アリエッタ様は私たちの主人ですからね!エドワルド様がなんて言おうとも、絶対です!」 「さすがにそれは……ええっ?なんで泣いてるの……ちょっライエンまで?」  アリエッタは大の大人の男(うち一人は老人だ)がこぶしを握締め泣いているのを見ておろおろした。 「うちの孫の嫁に来てください、アリエッタ様」 「どさくさに紛れてずるいですよライエン殿!うちの奥様を取らないでください」  言い争いを始めた二人を前にアリエッタは、 「特産品となる商品の開発も余剰作物を使うことで無駄がなくなって流通価格も安定させやすくなるのではないかしら!」 と無理やりぶった切ったのだった。
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