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「どんどん進退窮まってる感じがするんですよ……」
エドワルドの言葉にくっくく、と笑いをこらえているのはこの国の宰相だ。いやこらえきれていない。
「いやぁ可愛らしい方ですね」
何がつらいって子ども相手に謀をするのがつらい。
しかもリタはエドワルドを盲目的に信じているのでちょろいのがまた辛い。初対面で見せたあの警戒心はなんだったというのか。
「悪い男に騙されてんだよ、気づけよ!っていうか」
「すでに妹というより娘ですね。父親の顔になってますよ、エド」
人の悪い上司である。
「あんたが教育を受けさせろと言ったんじゃないですか!だからぼくは……!」
うらめしい。目の前の上司が心底恨めしい。
「やる気になってくれたならそれでけっこうですよ。実際彼女はかなり頭のいい子みたいですし」
驚いたことにいままでまともな教育を受けたことのないリタの学習習熟度は早い。
読み書きはあっという間だったし、今では学習にあてられた時間以外にも自室に本を持ち込んで遅くまで読みふけっているとフィシュリが言っていた。
掃除や洗濯に手を出されなくなった使用人は少し寂しそうな顔をしているが、なにせリタ本人が「立派な公爵夫人になる」と意気込みを熱く語るものだから、みな生暖かい目をむけている。エドワルドに。
ダンテスなど真面目な顔で、
「うちの主人は果報者です」
などとやるのだからたまらない。
「ぼく、うちの使用人にぼこぼこにされるんじゃないかと思う」
その時が来たら、彼女は本来あるべき場所へと戻すことになる。
「エドワルドが恐れているのは、使用人ではなくてあの子の方なのではありませんか」
いつかリタは真実を知る日が来るだろう。その時自分はあの子の信頼を失う。
(最初からわかっていたことじゃないか。いまさらおじけづくな)
プロポーズだっておままごとだとわかっているからできたことで、自分の言葉に頬をそめる彼女をかわいいと思う余裕すらあった。なのに今はそれが苦しくなっている。どうやったってエドワルドがリタをそういう対象として見られないのは確かなのだ。どんなに彼女が本来の美しさを取り戻したとしても相手は十歳の子どもである。
そしてエドワルドの最近のもうひとつの悩み。
リタが深夜にエドワルドの寝室に突撃してくるのである。もちろん色っぽい意味ではない。
「ねえエドワルド様、どうしてジェダカイン王国は分国を許したの。今日エルンスト先生に聞いたのだけど、ジェダカインは自国の影響力を高めようとしているんでしょ」
リタはその日の勉強の成果を報告ついでにこうしてエドワルドに疑問に思ったことを聞いてくるので、なんとなく大人として子どもの質問にはこたえなければという気にさせる。
つまり知らずにエドワルドの罪悪感をついてくる。
深夜の男の部屋に部屋着(しかも寝間着)で訪問するなど、あらざるべきことだがリタが初潮さえ迎えていない十歳の子どもだという事実と生暖かい目をもつ使用人によって黙殺されてしまうのだ。
多忙なエドワルドとリタが顔を合わせるのがこの時間しかないことも原因の一つとなっているのでフィシュリもお目こぼし状態である。彼女はエドワルドがリタとこうした時間をもつことを進言したくらいなのだ。
「最初から独立なんて許さなければよかったのに」
この大陸はもとは一つの大きな国、リタの言うジェダカイン王国が統治していた。
今現在ジェダカイン王国を真ん中に置いて周辺を四つの国が取り囲んでいる。我が国、ガーランドはジェダカイン国の南に位置している。
北のアンゲラ、東のファラダイ、西のキラウェーンド、それぞれはジェダカインとは別の国家となったのだった。
「広大な大陸全土に王の統治をいきわたらせるのは、難かしいことなんだよ、リタ。税の徴収や公共事業、どれをとっても一つの方針では立ち行かないこともある、気候の違いや民の特性もあるからね」
だから地方分権の流れになるのは自明の理だった。
となればある程度の自治権は与えなければならない。
自治権を手にすれば、それぞれは王の法の下に独自のルールを設けるようになる。ある地区では独自の税収を民にしいた。ある地区では徴兵制度を義務付け兵力を増強した。
「それぞれが好き勝手しだしちゃったってこと?」
「そういうことだね。自治権を与えるということは薬にも毒にもなる。だから難しい」
結局内紛状態に陥ったジェダカイン王国は国を五つの地域に分けた。最もおおきな面積をもつジェダカイン王国、鉱石や資源の採掘で利をもつ北のアンゲラ国、鉱石の加工やモノづくりに特化した東のファラダイ、強兵を誇る西のキラウェーンド国。
「ガーランドは農業が盛んな食糧庫というわけ?」
「そのとおり。すべての交易は真ん中にあるジェダカインを通さねばならない。だがその関税は高い。しかもジェダカインの一言ではねあがる」
そんな状態が五十年弱続いてきた。正直もう周辺国の不満の声はジェダカインにも抑えきれないところまできている。
「ジェダカインは四つの国に必ず自国の王女か王子を送り込んでいるってエルンスト先生が言ってた。そうすることでジェダカインの影響力をそがせないようにしてるって」
勝手に子どもの結婚を決めちゃうなんて、と憤慨しているリタにエドワルドは苦笑する。
(政治の場において子どもの人権など砂粒に等しい。利用できるものがあるのだったら、親子の情なんてないのと一緒だ)
目の前の少女だって……。
いまだ自分の出自を知らされずにいるリタを見てエドワルドは、彼女がこれから知るであろう痛みに思いをはせずにいられない。
「ガーランドにもジェダカインの王女が嫁いできたのよね?十年前だっけ」
思わずどきりと心臓がはねあがる。
「そうだよ。そのころ政変があったのは聞いたかい?当時の王と王太子、王妃を弑して引きずりおろし、王位継承権二位の現国王がたった」
エドワルドが領主を務めるアルヴェール公爵出身の王妃を母に持つのが現国王である。アルヴェール公爵は現政権から近い場所にいる。
「政権が変わったことで、ガーランドにジェダカインから新たに王妃が下った。それが今の王妃様ってわけだ」
「ふぅん」
リタはあくびをした。そろそろ眠くなってきたようだ。エドワルドとしてもあまりこの話を続けたくはない。
彼女の出自につながる話だからだ。
リタの母親は当時の第二王子、現国王の正式な王妃だった。
ガーランドの男爵令嬢で爵位は低かったが、また政変の予兆などない時分だったのですんなりと決まった結婚であった。第二王子が男爵令嬢との結婚を強く望んだからでもある。
(あの頃のあのひとはおだやかな人だった)
幼いエドワルドにもやさしかった。
しかし時流は変わった。
王や王太子の行状を憂えた有志がたちあがりクーデターを起こしたのだ。その中にはエドワルドの両親も名を連ねている。
彼らは第二王子を旗印にかかげ、政変をなした。長きにわたる根回しを終えていたのだろう。実に短期間でトップの首はすげ替えられた。
当然ジェダカインは新たな王に自国の王女を差し出してきた。困ったのはすでに王子の子どもを身ごもっていた男爵令嬢出身の王妃の存在である。
ジェダカインを敵に回すことはできない、と側近たちは口々に王子に直訴した。
『王としてご決断ください』
そんな言葉で。
王は一度は、
『お前らの都合で勝手に王にまつりあげられた私が果たすべき責任とはなんだ』
と冷たく言った。責任というのならすでにこの世に生を受けた子にもあるのだと彼は言いたかったのだろう。
しかし経緯はどうであったにしろ、いまやこの国の王はあなたなのだと、アルヴェール前公爵は強くせまった。支持母体でもある実家の意見にとうとう王はジェダカイン王女との婚姻を受け入れたのだった。
アルヴェール前公爵夫妻は、数年前に夫婦仲良く馬車の事故で死んだ。報告書にもそう書かれている。
その日は強く雨が降っていて外出には向かない日だったが、急を要する件だと無理を押しての外出の途上であった。行き先は誰にも知らされず、御者もそろって死んだので一部の者はいぶかしんだ。
前王妃の件を恨みに思っていた王が公爵夫妻を亡き者にしたのでないかとの憶測をよんだのである。エドワルドが若くして公爵位を継いだ経緯にはそんなわけがあった。
しかしエドワルドは、王が両親を殺したとは思わない。
(父母はリタの所在を知ったのではないだろうか。そして彼女に会いに行く途中で、事故にあった)
父は決して苛烈な人ではなかったが、こと政治に関して言えば冷酷にもなれる人であったように思う。だが前王妃の件で、父が内心罪の意識を持っていたとしても不思議ではない。
気が付けばリタはすやすやと眠りこけていた。ふせたまつげはもう不揃いではない。
(こうしてみると意外と長かったんだな)
日焼けしていた肌も一皮むけて、毎日美容液をていねいにすり込まれているのか、本来の白さを取り戻している。もし彼女が生まれた時から王女として手を掛けられていたのならもっと目を引く美少女だっただろうと思う。
うん……、と苦しそうなリタの胸元のボタンを一つ外してやると、白く乏しいふくらみがのぞいたが、やっぱり子どもにしか見えない。
(ダンテスに言って深夜に部屋に入れないように言わなくては)
夫になると意識している男の前でも平気に眠るリタが、腹立たしく……愛おしかった。
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