1.「ごめんな、おれとお前、留年決定だわ、ははは」

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1.「ごめんな、おれとお前、留年決定だわ、ははは」

 彼は窮地に追い込まれていた。もうどうのしようもない。いまさらどうあがいたところで、事態は好転するはずもない。海外逃亡するしかない、彼はそう思った。  彼の名は、佐倉貴司(さくらたかし)。岐阜の片田舎にある国立大学の二年生だ。夏休みを目前にして、とんでもない事実が判明し、もはや路地に追い込まれたネズミ同然、行き場を失い、観念するしかなかった。  そもそも良夫が悪いのだ、と彼は思ったが、それも逆恨みに過ぎないことは重々承知していたし、同じ境遇の親友を責める気持ちにもなれない。とにかく脳裏には厳格な父親がちらつき、ことの詳細を報告することを考えたら、もう絶望しかなかった。  貴司は名古屋生まれの名古屋育ち。高校まで外の世界はまったく知らず、名古屋市という狭い範囲で18年を過ごした。本来なら大学も名古屋市内の大学のつもりだったのだが、教授をしている母親の弟、つまり貴司の叔父から、自分が教鞭をふるう岐阜大学に来るよう勧められ、なかば強制的に入学することになってしまった。もちろんちゃんと入試を受けての入学なのだが、貴司としてみればもっとレベルの高い大学も目指せたのになんでこんな田舎の大学なんかに、などと、岐阜の人々が聞いたら暴動を起こしそうなことを思ったりもしていて、本来なら楽しいキャンパスライフも、いまいち乗り気がしなかったのも事実であった。  貴司の親友は、渡部良夫(わたなべよしお)。貴司とは幼馴染で、なかなかの男前だ。陸上をやっていただけあって見た目もシュッとしている。幼少から野球で捕手をしていて筋肉質の貴司と比べると、身体の厚みの違いが歴然としていて、貴司が剛なら、良夫は柔といったところだ。家が近所だった貴司とは、幼稚園から小学校、中学校と一緒だったが、中学を卒業すると父親の仕事の都合で転勤し、現在は名古屋市の北に位置する愛知県一宮市に住んでいる。それがまたこうして大学で一緒になるというのは、もう腐れ縁と言っても過言ではない。  貴司の実家は名古屋市の東のはずれにあり、岐阜大学に通おうと思うと片道で裕に2時間はかかるため、19歳にして生まれて初めて親元を離れることとなった。しかしそれまで一人暮らしなどしたことのなかった貴司は、乗り気はしなかったものの一応希望あふれるキャンパスライフの最初の二週間こそまじめに講義に出席していたが、次第に生来の怠け癖が頭をもたげ始め、起床時刻は日を追うごとに遅くなり、ゴールデンウィークが過ぎ梅雨入りの声が聞こえだしたころには、目が覚めると正午の時報が鳴る、ということが多くなった。もちろん目覚ましはセットしていたが、目覚ましのアラーム音が睡魔に勝つことはほとんどなくなり、当然のように午前中の講義の出席率は悪くなった。  ただ幸運だったのは、良夫が実家から通っているため、彼が寝坊をするということは皆無であり、おかげで出席を取る講義は良夫が代返をしてくれていたことだった。持つべきものは幼馴染の親友だ、などとうそぶいたものである。しかし貴司の幸運も、そう長くは続かなかった。  貴司はバカではない。現役で国立大学に合格したのだから、それは歴然とした事実である。良夫のノートがあれば、出席していなくてもある程度の理解はでき、だから試験でもそうそう困ることはなかった。しかし、落とし穴はその親友だった。  岐阜大学は、二年生の後期の初めにふるい落としがある。すなわち、ここで取得単位数が既定の単位数を満たしていなければ、あえなく留年、ということだ。夏休み明けの試験の成績でそれが決まる。しかし貴司は試験には自信があった。なにしろやっていることは高校の延長である。教科書を見てもなんら難しいことはない。  「よしよし、楽勝だな」  そんなことを思っていた夏休み直前の6月末、良夫が彼のもとに来てすまなそうにこう言った。  「タカシごめん、今まで黙ってたんだけどさ、お前、出席日数足りてないんだよね」  一瞬、意味が分からなかった。なにを言っているんだ、こいつ。そう思った貴司に良夫は、さらに追い打ちをかけるように言った。  「代返さあ、できなかったんだよねー」  いや、「だよねー」ではない。  「はぁ、なんだよそれ、なにがどうなったんだよ」  貴司は良夫に言った。  「悪いとは思ってたんだけどさ、おれも授業、出てなかったんだよ」  開いた口が塞がらない、とはこのことだ。もちろん良夫に怒ることはできない。それは筋違いだ。ポカンとするしかなかった貴司に、良夫が言った。  「ごめんな、おれとお前、留年決定だわ、ははは」  そこで冒頭に戻るわけで、怒り狂う父親の顔を思い浮かべて奈落の底にぶち落とされた気持ちの貴司は、海外逃亡を考えた、というわけだった。  電話報告をした際の父親は、想像以上の荒れ具合だった。聞いたこともない怒号が受話器の向こうからとどろき渡り、鼓膜が破れるどころか、ケータイが壊れるのではないかと思ったほどだ。  「今すぐ帰ってこい!」  と怒鳴る父親に、  「いやほんとゴメン」  と謝って、早々に通話を切った。  しかし貴司の父親も、できた人間だった。大企業の管理職を務める彼は、起こってしまったことは仕方ない、それよりもその対応をスピーディーに行うことが大切で、それこそが類似事例の未然防止につながる、と常々考えていた。だから今回も早かった。あっという間に手はずを整えると、報告を受けたわずか三日後には、貴司のケータイに電話していた。  「はい」  おそるおそる電話に出た貴司に、父、和久(かずひさ)が言った。  「おい、お前、9月からアメリカに留学だからな」  意味が分からなかった。たしかに海外逃亡をたくらみはしたが、それは頭の中でであり、そもそも父、和久には、一言もそんなことは言っていない。黙っていると、語気を強めて和久が言った。  「聞いてるのか?手続きは済ませたから、8月の21日の飛行機でロスへ行け。そこで向こうの大学の事務員に拾ってもらい、寮に入るんだ。いいな」  そして通話が切れた。  貴司は、あまりのことにしばらく動けなかった。なにがどうなっているのか、把握するのにけっこうな時間を要した。ようやく父の言った意味を理解し始めたころ、また貴司のケータイが鳴った。良夫からだった。  「あのさあ、お前の親父さんから電話があったんだけどさあ」  電話に出ると、貴司が言葉を発する前に良夫が言った。  「おれの、親父から?」  「ああ、でさあ、なんかとんでもないことになってるんだけど」  良夫の声は今にも泣きそうに震えている。  「いや、おれもだけどな。で、どうした」  そして貴司は、自分の問いに対する親友の回答に、倒れそうなほどぶったまげた。  「おれ、お前の親父さんに、アメリカへ留学させられることになっちまったぞ」  彼が言うには、こうだ。  見たことのないケータイ番号からかかってきた電話に、何の気はなしに出るとそれは貴司の父、和久からだった。もちろん良夫も和久のことはよく知っている。子供のころは家族ぐるみで遊びに行ったこともある仲だ。しかし今の良夫は、貴司に対しての強烈な負い目があるため、一気に緊張感が襲った。そんな良夫に和久はこう言った。  「ウチの息子がアメリカに留学をする。ついては留学先での世話をしてやってほしい。留学とはいえ、アメリカは怖いところだ。時には相談相手になり、時には教育係になって、貴司をサポートしてくれ。聞けばキミも留年したそうじゃないか。費用はすべて私が持つので、どうかよろしく頼む」   良夫が口をはさむ間もなく和久はこれだけ言うと、そのまま電話は切れたそうだ。これでは良夫が泣きそうになるのも無理はない。しかし話の内容からすると、良夫の両親も既に納得ずみのようだ。  こうして2021年8月21日、幼馴染の佐倉貴司と渡部良夫は、ロス・アンジェルスへ向かう飛行機に乗り込んだのであった。
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