プロローグ

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プロローグ

 今でもあれは幻想だったのではないかと思う時がある。あまりにも不思議な体験だったし、証拠と言えるようなものがなにひとつないからだ。おれの記憶の中に、映像として組み込まれただけのものなのではないか。しかし、こうも思う。彼女はやはりおれのそばにいて、一緒の時間を共有していたのだと。おれが感じた彼女はやはりおれのそばにちゃんと存在して、楽しい時間を過ごしたのもまた事実なのだ、と。  おれ、松田隆(まつだたかし)は55年前にこの世に生を受け、昭和の頑固親父の代表のような父親と、教育に関しては口やかましいが、一人っ子の息子を溺愛するがあまりその息子を一人占めしようとする母親のもとで育った。中学の頃は学年でも一桁に入るほどの優等生だったが、高校生になってちょっと遅めの反抗期を迎えた。中学生で猫をかぶっていた分その反動が現れたのだろうが、ただ、それでも一線を越えなかったのは、自分でもよい選択だったと、結婚して二人の娘ができた今は、そう思っている。  高校生活はいろいろなことがあったが、一番の本分である学業については、進学校であったにもかかわらず、ガリガリ勉強をしたという記憶はまったくない。恋と部活にすべての精力を注ぎこみ、だから当然のように学力はどんどん低下していったのだが、それでもなんとかかんとか国立大学に現役で合格できたのは奇跡だった。  大学在学中は映画とプロレスと野球に没頭し、こと映画に関しては年間300本以上を鑑賞するという離れ業を演じたものだったが、そのためここでも本分の学業が追いつかず、とうとうあえなく留年、一年休学してアメリカに留学をしたりもした。  映画大国のアメリカの水は、おれにはとても居心地がよく、在米中ずっと、日本になど帰りたくないと言っていたが、そのため、留学が終わってなかば強制的に日本に帰されて、けっきょく二度目の留年をすることになった。一昨年亡くなった父親がそのとき口にした、  「現役で合格したあのときの喜びは、もうない」  といった言葉は35年近くたった今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。  しかしいつの時代も救世主というものは現れるもので、その時のおれには、大学の最初の授業で隣どうしになった三浦邦弘(みうらくにひろ)という大親友がいたのだが、その三浦が言った、  「お前、日本がつまらない、くだらないとか言ってるけど、そんな日本の大学を卒業できんでアメリカで通用するとでも思ってるのか」  という言葉に目を覚まされることになった。  その後はしっかりと勉学に励み、今度こそ留年することなく無事に卒業、大手建設会社に就職し、地下鉄や下水道といった公共土木工事の現場監督を務め、入社4年目に、現場事務所で事務員をしてくれていた女性と結婚、二人の女の子に恵まれ、二度の転職を経て現在に至る、というわけだ。  妻はやさしい女性だ。ちょっと天然なところはあるが、家族のことを第一に考え、こんなわがままで絶対君主的なところがあるおれをやさしく包んでくれる、心のきれいな、おれにはもったいないくらいの女性だ。  そして二人の娘もいる。昨年大学を卒業して保育士になった長女と、大学でデザインの勉強をしている次女だ。彼女たちもおれの妻が育てただけあって、妻以上に心やさしい性格をしている。  そう、これぞ理想の家族像だと言い切ってしまえるほど、幸せに満ち溢れているとおれは思っている。  しかしそんなおれには、あるひとつのとても不思議な体験がある。今のおれにはこの体験をだれにも話すことができないのだが、当時のことを思い出すたびに、現実と幻想がごちゃ混ぜになり、懐かしいようなそれでいてもの悲しい気持ちになる。だからそういうときはこうして、近所を流れている庄内川の河川敷に来ては、川べりに腰を下ろしてあの時のことを思い出すのだ。  話は二年前の七月上旬、夏の初めにさかのぼる。
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