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プロローグ
──だれにも見つからないところ。小さくてせまくて、だれにもわからないところ。
走って、走って。ひたすら走って。
おぼろげな記憶を頼りに、汐は薄暗い廊下を走っていた。
名前を呼ぶ声から遠ざかるように走り、汐は小さな身体をさらに縮こませて、大道具が雑多に置かれているスタジオの裏で息を潜める。
母親やマネージャーの、自分を心配する声が聞こえてきて、汐は心の中で「ごめんなさい」と謝った。
他のスタッフも総出で汐のことを探している。自分の機嫌一つで今頃現場は大混乱だ。
天才子役だと持て囃された天使 汐の我儘だから許されている……でも別に、得意気にもなれなかった。
その称賛のほとんどは、自分で得たものじゃない。この顔に生んでくれた両親のおかげだ。
──あと、十秒。ゆっくりかぞえたら出ていこう。
お風呂に浸かって数をかぞえるよりも悠長に、汐は声を出さずに小さな指を折る。
「ちょっと、どういうことよ」
苛立たしさを微塵も隠さない女性の声が、汐の耳に届いた。声の主は母親ではない。
ベニヤ板の隙間からそっと覗くと、さっきまで汐の母親を演じていた女性が、スタッフに詰め寄っていた。
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