17人が本棚に入れています
本棚に追加
「何をって……なんのことです? 」
アンジュはその答えを知っているような、しかしどこか虚ろな声で答えた。
「燃える屋敷から、一人で私達を全員運んだことはまだいい。勿論不自然なことだが、私はその不自然で助かったからね。余計な詮索はしないよ」
でも、とラピスは続ける。
「ライカ君はあの時、意識を失うほどの大怪我をしていた筈だ。ベルベットの爪が首に刺さって、即死してもいいくらいの出血をね」
アンジュの表情は変わらない。
「私ならともかく、ライカ君は普通の人間だ。簡単に傷が治る訳がないだろう? なのに出てきた彼の首には、傷跡すら残っていなかった」
「そ、そんな事言われても。あたしが来た時には、もう……」
そうかいとラピスは頷いた。
「じゃあもう一つ聞こう。どうして君は、ライカ君を最後に運んだのかな? 」
「どうしてって……」
「屋敷には何人もの人がいた。私、警部、編集長、ロシャウド夫妻、そしてライカ君……私が見た限り、あの中で一番傷が深かったのはライカ君だった。どんな素人でも間違えようがない。何せ首から大量出血していたんだからね」
淡々と進むラピスの話の横で、アンジュは空を見上げていた。
満月には程遠い月が、暗闇の中でぼんやりと輝いていた。
「燃える屋敷の中だ。君に冷静な判断が出来たとは思わない。恐らく目についた人間から、片っ端から外に出して行ったんだろう」
「そうですね。あの時はとにかく、早くしないとって焦ってました。だから怪我にも気づかなくって、ライカを運ぶのが最後になったんです」
「へえ。ライカ君は最後だったのか」
ラピスはその返答を聞くと、笑いながらアンジュの肩に手を回した。
「つまりロシャウド夫妻……アイオネルとベルベットのことは、最初から助けるつもりはなかったんだね。それとも残しても大丈夫な理由でもあったのかな? 」
「だ、だって先生が最後って……それに火が回って、あれ以上は……」
アンジュは戸惑うような声で、しかし冷たい瞳で苦笑いした。
「……いやぁそれもそうだ‼︎ 屋敷が全部燃えるほどの大火事。ライカ君まで助けられたのが奇跡だったよ。すまないすまない」
ラピスはあははと笑うと、アンジュの背中をぽんぽん叩く。
その口から出た「すまない」には、謝罪の感情は込もっていなかった。
「確かに。わざわざ私達を助けに来るほど優しい君が、わざと二人だけ見捨てるなんてことはしないか。それにあんなに酷い火災なら、助けられない人が出るのは止むを得ないことだ。犠牲者が出ても、誰も疑問に思わないよねぇ」
「……先生、私のこと疑ってます? 」
アンジュの口角は僅かに上がっていた。
「何を疑うことがあるんだい。屋敷が燃えたのは、ロシャウド夫妻がシャンデリアを落としたからだろう? この前君がそう言ったじゃないか……あれっ。とすると君は、ロシャウド夫妻がシャンデリアを落とす所を見ていたのか? 」
その質問への返答は、沈黙だった。
「おかしいなぁ。君は知らないだろうけど、あの夫妻は狼人間だったんだよ。私達が探っていた事件の犯人で、恐ろしい奴だった……それこそシャンデリアを落とす所を見た人間なんて、生きては帰してくれないと思うんだけどなぁ」
月の光が差し込み、夜の森を薄暗く照らした。
青白い影が地面に広がり、ラピスの瞳が金色に輝く。
「弱ったな。疑いが生まれちゃったよ」
「こ、困りますよ……」
その時、森の向こうから低い声が響いた。
同時にラピスの耳がぴくりと動き、髪が微かに逆立つ。
「……お客さんか。すまないアンジュ。秘密の女子会はここまでだ」
ラピスは短く息をして、ゆったりと立ち上がる。
「女の子の内緒話を邪魔するなんて、不埒な奴もいたもんだなぁ。夜の森は静かだと思ったのに、化け物は節操がなくて参っちゃうよ」
「そう言うお前も化け物だろうが。ラピス・ヌックス」
風がどっと吹き、木の葉を空へと撒き散らす。
刺々しい銀髪に、月のような白さを放つローブを羽織った男。大木の枝に佇み、ラピスのことを見下ろしながら、瞳を爛々と輝かせていた。
最初のコメントを投稿しよう!