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1. 砂漠の令嬢と旅する犬
風以外が戸を叩くのはいつ以来だろうか。このオアシスの住人の一人である女は聞き違いかと思い込んで椅子から立ち上がらなかったが、もう一度、木の戸を突くような音が繰り返される。気のせいではないようだ。
手にしていたフラスコをそっと机に置き、女はそっとドアを開けた。
玄関前には誰もいなかった。いつもと同じ、正午過ぎのカンカン照りの下に広がるのは大きな泉、その向こう側には黄金の砂丘が見えるこの光景。もう、見飽きた光景。
やはり風の悪戯だったらしい。女は怪訝そうな顔つきでドアを閉めようとした。
「ちょっと、ここにいます! 下、下です!」
そこに待ったをかける声。
女が足元に視線を落とすと、一匹の中型犬が「待て」の体勢で女を見上げていた。サルーキという筋肉質だがしなやかな体躯を持つ犬種で、埃にまみれた上でも美しさがわかる白い毛並みに包まれている。先程の音はこの犬がドアを引っ掻きでもしたのだろう。なぜこんなところにいるのか。近くで飼い主と別れたのかもしれない。
――いや、そんなことより。
「もしかして、アンタが言葉を発したの?」
「はい! あの、私を助けてください!」
よく分からないが、とにかく図々しい。なんて汚い犬だろうか。
「慈善事業はしていないわ。じゃあね」
「何で!? ここは話を聞くところでは!?」
「知らない。私は忙しいの」
有無を言わさずドアを閉じる女。カラッとした暑さの中で向けられた冷たい言葉と態度に、犬は垂れている耳をさらに地面へと落とした。
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