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地獄太夫
女が一人、観音通りの街灯に照らされて立っている。
その前を通る男はほとんどみな、彼女を振り向いた。
特別、うつくしい女ではない。顔立ち自体はそこまで整ってはいない。それでも彼女がそこまで人目を引くのは、纏っている空気のせいだと思われた。退廃的で妖艶な匂いを、彼女はふんだんにばらまきながら、街灯の真下に陣取っていた。
なんの表情も浮かべない白い頬と赤い唇に、凍てつく色気が滲む。
あの、と女の声に呼びかけられたとき、静花はまさかその声が自分にかけられているとは思わなかった。だから彼女が振り返ったのは、二度目か三度目のあの、の後だった。
「なにか?」
振り返った先には、まだ若い少女が立っていた。せいぜい19かはたちくらい。静花も女性にしては長身な上に黒いピンヒールを履いていたが、少女は白いスニーカー姿で静花とほとんど目線が変わらない。
髪が黒いな、と静花は思う。この街では珍しい。
「あの、よかったら私の絵のモデルになってくださいませんか?」
窺うような口調だった。まさか静花がいいわよ、と言うなんて思ってもいないのだろう。静花はちょっと考えてから口を開く。
「美大の学生さん?」
「はい。」
少女は、一つ先の駅の側にある美大の名前を口にした。
「課題かなにかなの?」
「はい。……だめ、ですかね?」
少女の瞳が、真っ直ぐに静花のそれを捉える。
静花は、彼女の瞳を、とてもきれいだと思った。無駄な色の一切ない漆黒。瞳だけではなくて、少女の顔立ちや体つきも、無駄なものはなくすっきりと整っている。彼女からは、自分を飾ろうという意思のようなものはまるで感じられなかった。
それは、ごてごてと己を飾りたてることで美を手にした者たちが集まるこの街では、とても希少なものに思われた。
だからだろうか、気が付けば静花は首を縦に振っていた。いいわよ、と。
すると少女はぱっと目を輝かせた。幼い女の子みたいに、それは開けっ広げな感情表現だった。
「よかった。あなたの背中を見て、どうしても描きたいって思ったんです。」
ああ、と、静花は苦笑交じりに納得する。
彼女の背中には、一面に刺青が入っていた。背中がぱっくりと開いた赤いドレスから堂々と顔を出すその入れ墨は、江戸時代の花魁、地獄太夫だ。
「そういうことなら、昼間なら構わないわよ。」
観音通りの街灯の下にドレス姿で立つ女の商売が、少女に分からないはずもない。彼女はちょっとたじろいだ様子を見せながら、それでもくっきりと頷いた。
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