12人が本棚に入れています
本棚に追加
「サンダースの旦那さんじゃないですか!」
……唐突に自分の名前を呼ばれ、ゲイリーはびくり、と顔を上げた。見ると、買い物帰りらしい、満杯のショッピングバッグを両手に提げた女性の姿が家の前にあった。その顔と甲高い声、派手な衣装が映えるふくよかな体型には見覚えがある。ここに住んでいた頃、よく通ったコーヒーショップのウェイトレスであるデイジーだった。ゲイリーは立ち上がって、彼女に駆け寄った。
「デイジー! 久しぶりだな、元気だったか?」
「旦那さんこそ! まったく店に来なくなっちゃったから、どうしたものかと、皆、噂してたのよ。だって、サリーったら……」
そこまで言ってゲイリーの目の色が変わったのを見て、デイジーははっ、と口をつぐんだ。しまった、とでもいうように。
だが、妻の名を聞いて、ゲイリーは瞬時にデイジーに聞き返させずにはいられなかった。
「妻の……サリーがどうしたのか?」
「それは……」
途端に口籠もるデイジーを見てゲイリーは、ごくりと唾を飲んだ。いやな予感がゲイリーの喉を這い上がる。だが、結局、ゲイリーは掠れる声で言いよどむデイジーにこう言った。聞きたくない言葉が降ってくるのを予感しながら。
「……デイジー、言いにくいことでも、話してくれないか。覚悟はできている」
すると、デイジーは、不承不承と言った口調で、こう答えた。ゲイリーの目から視線を外しつつ。
「……えっと、1年ほど前に、うちの店に来たのよ。……その、再婚するから、引っ越すって」
ゲイリーは天を仰いだ。
……やはりそうか、畜生……。
そう思いつつも膝から力が抜ける。ゲイリーは人目もはばからず、そのまま路傍に蹲った。鼻の奥がつんと痛んだかと思えば、知らず知らずのうちに、一筋の悔し涙が無精髭に覆われた頬を伝う。
傾き始めた太陽のひかりが、閑静な住宅地の舗装をオレンジ色に照らす時分になっていた。
最初のコメントを投稿しよう!