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4 終止符
確かにエルダは壁を破ってみせた。
ただ、その壁だけは忠実に守らなければならなかった。
お互いの皿は空になったのを見て、カインは立ち上がった。
「Iのこと、アイツって呼ぶくらい仲良かったんだな?」
「なんだ? そのへんはしっかりしておきたいってのか?」
低い声で純をすごむ。
Iを解体していた彼女には、踏み入られたくないのだろう。
ただ、エルダと関係があることが分かった以上、はっきりしておかなければならない。
「それもあるけど、お前がそこまで誰かと仲良くなるなんて思わなかったからな。
何があったか、気になっただけだよ」
エリーゼの下で働いていた時は、親しい友人がいるという話は聞いたことがなかった。
休日もひとりで過ごし、いつもふらふらと街を歩いていた。
誰かと一緒にいるところをあまり見たことがなかった。
場所が変われば、人も変わるということだろうか。
カインは深く息をつき、席に座りなおした。
「エルダから、よく出前を頼まれたんだ。
お前に言おうかとも考えたけど、結局、何もされなかったからな。ちょっと様子見てたんだよ」
従業員たちから純に通報するよう何度も言われた。
対応としてはそれが正しいのだろうが、迷惑をかけられた覚えはない。
何よりも、食事は平等に与えるべきものであり、差別するような真似はしてはならない。
エルダの評判が料理人としてのプライドに火をつけた。二人のことを知るためにカインが直接訪れていたのだ。
Iは評判よりもかなり大人しかった。
応対も丁寧ではあったものの、感情をあまり表には出さなかった。
クールな性格というより、あえてロボットらしく振舞おうとしているように見えた。
それが余計に、彼を人間らしくさせていた。
『初めまして、ボクはエルダ・ペリドーテ。
こっちが助手のIだ。どうぞよろしくね』
本人は隠すつもりもなかったのか、初対面のカインに気さくに名乗り出たのである。
肝が据わっているのか、ふてぶてしいのか、あるいはただの馬鹿なのか。
彼女の本性もよく分からないままに目の前から消えてしまった。
「思っていた以上にまともな連中だった気がするよ。
何も知らなかったら、金の使い方を知らない金持ちだとしか思わなかっただろうな」
彼らはサイコパスでも何でもなかった。
メディアが煽るだけ煽って、騒いでいただけだった。
しかし、すべては過去の話だ。
もう終わったことを話しても仕方がない。
「事情は分かったよ、こんなこと聞いて悪かった」
「いや、俺もちょっときつく言いすぎた。
じゃあ、また後でな」
二人は会計を済ませ、店を出た。
それぞれの仕事に戻り、純は再びバラバラになったIと向き合った。
頭部と四肢が取り外され、だるま状態になっている。なかなかグロテスクな絵面だ。
「まさか、カインと知り合いだったなんてな……かといって、形見なんて残せるわけがないし」
彼の持ち物もすべて研究所に送らなければならない。
手元に残すことを許されるわけがない。
彼の持ち物は非常に簡素だった。
エルダ名義のキャッシュカードと財布、交通系ICカード。
青いビーズを通しただけの、簡単なストラップが財布に取り付けられていた。
それから、エルダとI、カインとその他に何人かが写っている写真。
友人たちとの最後の思い出と言ったところだろうか。
こちらに来てから、交友関係が広がったのだろうか。
その他に、厚生労働省が設置した自殺対策の窓口について書かれたカードがあった。
エルダはこういったものに電話するようなタイプではなかったし、ましてロボットを相手にするような機関でもないはずだ。
まさか、本当に自殺を考えていたのだろうか。
「なんというか、ロクなもん持ってないな……」
彼女を捕縛してからそのまま逃走したことを考えると、荷物が簡素になるのは当然と言えば当然か。
特にこれといった凶器の類は持っておらず、特徴的な物もない。
まるで繁華街へ遊びに行く若者のようだ。
「これは後に回すか。
さてさて、こいつの中身はどうなってるんだ?」
仕組みは一般的なロボットと変わらないようで、特に手間取ることはない。
基盤とコードで埋め尽くされいる中、黒い立方体が設置されていた。
人間の心臓あたりに設置されているところを見ると、これが彼の心だろうか。
「……こんな気味悪い物をずっと抱えていたのか?」
エルダには、人間の心がどんなふうに見えていたのだろうか。
何をどうしたら、心を作るという発想に至るのだろうか。
その経緯は理解できないし、とてもじゃないが、純には考えられない世界だ。
「これ以外に特にないみたいだし、もういいか」
これ以上、この箱を見ていたくなかった。
彼女には人間が抱える闇を示した物にしか見えなかったからだ。
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