わたしのつまらない将来の夢

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 お母さんになりたい  小学校の何年生だったろうか、将来の夢を問われて皆の前でそう答えた友人を、内心で鼻で笑っていた。なんてつまらない夢なのだろう、と思ったのだ。私は宇宙飛行士になりたいと思っていたが、そんなものになれるとは本気で思っていなかったので、科学者になりたいと言った。本当は普通に会社員でも良かったのだが、それこそ、つまらない夢と思われるのが嫌だったのだ。  早希はベッドの上で、ぼんやりと体温計を口にくわえていた。  お母さんになりたいと言ったあの子は誰だっただろう。地元を離れ東京で就職してからもう十年。たまに地元で会う友人は大抵が大学時代の関係で、小学校や中学校で同じだった友人など、もうほとんど名前も思い出せない。あの子は夢が叶ってお母さんになれたのだろうか。  ピピッと短い音がして、由紀はベッドから起き上がった。口から抜いた電子機器の表示は36.1度。昨日までの高温期が終わっているのだろう。もう少しで生理が始まるはずだ。期待の持てる月であれば温度が下がっただけで死にたい気持ちになるが、今月は妊娠するはずのない月だ。早くリセットして翌月を待ちたかったから、他の月より一日早い高温期の終わりに少しホッとする。  たかが一日で感情が上下してしまう自分は、本当に何なのだろう。  体温計の代わりに歯ブラシを口にくわえながら、鏡の前で足の裏を伸ばすストレッチをする。独身の頃は夜遅くまで働き、朝はぎりぎりまで寝てからバスに飛び乗るような生活をしていたのだが、今ではなるべく夜は早く帰宅して睡眠をとり、早起きするようにしている。  妊娠しやすい体作りには、質の良い睡眠と質の良い食事、それから適度な運動が重要らしい。ここ一年ほどはそれを意識した生活を送っているつもりなのだが、いかんせん上を目指せばいくらでも上がある。  玄米ご飯を炊いて、具沢山のお味噌汁と目玉焼きと焼き魚。  #妊活と書かれたその写真の朝ごはんを作っている彼女たちには、召使いでもいるのだろうか。仕事をして、食事の支度をして、七時間の睡眠をとって、体を温めるためにゆっくり湯船に浸かり、仕事帰りに毎日ジムに通う。写真を撮るためには部屋の掃除も欠かせないだろう。何にせよ由紀とは違う時間空間を生きているのは間違いない。  生理が来るということは、あと五日後。カレンダーを見て、それが土曜日であることに感謝した。由紀が通っているクリニックは、土曜日も午前中ならば診察を行なってくれる。  結婚して一年後に子供ができていなかったら病院に行って問題がないか調べてもらう、というのは当初から夫にも伝えていた。半年以内に妊娠する確率は75パーセント。一年以内に妊娠する確率は、85パーセントより高い。そのため一年間、子供が出来なければ不妊というカテゴリに入るらしい。  由紀はもうすぐ三十五歳。  芸能人などは四十を超えてもぽんぽん子供を産んでいるが、実際のところ妊孕性は三十五をすぎると急激に落ちると聞く。また、妊娠したところで流産の確率も上がるし、染色体異常などのリスクも格段に上がる。カウンドダウンはとっくに始まっているのだ。同じクリニックに通う人は三十代後半から四十代前半が多いようで少しは安心したのだが、由紀にいま子供ができたとしても、産む頃には確実に高齢出産となる。結婚してまだ一年半。まだまだ自然妊娠の可能性も高い、と思いながらも、焦る気持ちばかりが先走る。 『土曜日、病院いくかも。車借りる』  LINEでメッセージを送ると、すぐに既読がつき、了解という可愛くもない謎の生物のスタンプが返ってくる。  夫はどこかの出張先のホテルだ。同じ会社に勤める夫は出張がちで、なんなら由紀も出張が入ることも多く、そもそも二人は不妊の定義を満たせてはいない。一年間、排卵日を逃さず関係を持っても妊娠しない、というわけではないのだ。先月の排卵日近くはお互いに別の県にいたのだから、そりゃ妊娠するはずがない。  加えて先月は、生理が始まって五日目頃に来院してね、と言われていたにもかかわらず、由紀が出張で行けなかった。そうでなくとも検査というのは卵子の育ち具合などを考慮しなければならないらしく、職場に仮病を使ってなんとか休んでクリニックに行っても、また二日後に来てねなんて軽く言われてしまう。  思わず二日後は客先でのプレゼンが、などと口走ったら白けた目を向けられた。仕事とどっちが大切なんだと言わんばかりの目だったが、もしかしたら一生出来ないかもしれない子供と、一生付き合わねばならない仕事、プレゼンのある時くらいは仕事に天秤の重石を置いてもバチは当たらないのではないだろうか。  クリニックに通い出したのはもう半年も前だ。が、そんなこんなを繰り返しているうちに、最初に言われた「まずは妊娠に問題がないか一通り検査しましょう」という段階すら終えられていない。  
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