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囲まれる緑と澄んだ香り
着色直径十三・八センチ、真っ黒なフチに囲まれたカラーコンタクト。
胸元にリボン、レースが至る所にちりばめられた大きな丸襟のシャツ。
制服のスカートみたいに規則正しく並べられたひだ付きのサロペットスカート。
ぐるぐるに巻いた不自然なぐらい真っ黒で腰まである髪の毛。
これが、今の私を守ってくれる鎧。
女の子を全面的に出して、女の子を武器にして、今の私にしか消費できない若い女の子を、なんにも考えずに出し惜しみする事なく消費し続ける。
自分から鎧を着ているのか、鎧に着られてるのか、もうそんな事わからない、知らない。考えるのも面倒になってきちゃった。
「じゃあね、緑」
クラスメイトの村瀬詩音。一年生の時から気になってた女の子。
声をかけて無理矢理近づいてみたけど、思ってた通りの性格で思わず興奮しちゃった。
若い女の子なのに、私とは違って、若い女の子を武器にしてない。
自分に不満があるんわけじゃない。けど、詩音みたいな女の子をいつも好きになるし、憧れる。
私もああなりたい。
心の奥底でそう思ってるのかもしれない。私は自分の気持ちがわからないけど、そうなのかもしれない。
そんな私には詩音とは別に気になってる人がいる。
バイト先の居酒屋。カウンター十席に四人がけのテーブルが二つ。極めて狭いバイト先に最近よく来るお客さん。
目にかかるぐらい長め薄めの前髪、耳が半分見えるぐらいの長さで後ろは刈り上げ、自然な黒髪に金のメッシュが入ってるさらさらのハンサムショート。いつも古着っぽい服を着てぺったんこのスニーカー、パッと見ただけじゃ性別がわからない、そんなかっこいい女の人。
その人のことを私は勝手に骸骨さんと呼んでいる。いつも骸骨が小躍りしてるような絵が描かれてるトートバッグを持ってるから骸骨さん。
「お姉さん、最近よく来てくれますね〜」
今日も骸骨さんはバイト先に来てくれた。カウンターの一番奥、お客さんと話すには一番いい席。話しかけるなら今しかない。
「まぁ……家が近いので」
「地元なんですか?」
「いえ、一人暮らしです」
「羨ましいです! 一人暮らし! 私実家暮らしなので一人暮らしめっちゃ憧れます!」
骸骨さんは何も言わずに私から視線を逸らす。
なるほど、私とは話したくないらしい。
「どこの大学通ってるんですか〜?」
そんなこと私には関係ない、と言わんばかりに話しかける。だって、ここで諦めるなんて絶対嫌だ。今までだってこうやって強気に話しかけてるし、こうやって人と仲良くなってる。大丈夫大丈夫。
「私はここが地元で都心の方の学校に通ってるんですけど、毎朝満員電車で、それで」
「……帰りますよ?」
「えぇ!? なんでですか〜私はまだまだお姉さんとお話したいです」
「あんたみたいな人がいるから、女が下に見られるんですよ」
吐き捨てるように骸骨さんは言うとにっこりと笑って私の目を真っ直ぐに見てくる。少し怖い。
「私、自分の性別を武器にする気はないんで。あなたみたいに媚びる女、大っ嫌いなんです」
明らかな敵意。近づくな、お前なんか大っ嫌い。
骸骨さんはにっこり笑ってるのにそんな風に思える。
「私はお姉さんみたいな人、好きですよ。大好きです」
怯えるもんか。
私は本心を悟らせないように骸骨さんの目を真っ直ぐに見返す。
「店長〜今日暇そうだから上がってもいいですか?」
「いいよ、お疲れ様〜」
ゆるいバイト先で良かった。
先輩に骸骨さんの足止めをお願いして更衣室で急いで着替える。
いつもは髪の毛とか気にするけどそんな事してる時間が勿体ない。すぐ着替えて骸骨さんがいたはずのカウンターに戻ると、骸骨さんの姿が消えてる。
「先輩、あのお姉さんは!?」
「ごめん緑ちゃん、止めたんだけど帰っちゃった……」
「どっち向かいました?」
「駅の方! 急げばまだ間に合うはず!」
「ありがとうございます」
なんで厚底なんて履いてきたのかな、私の馬鹿野郎。
何度か足を捻りながらも駅に向かって走ると、見た事のある背の高い後ろ姿。良かった間に合った。
「お姉さんっ!」
骸骨さんは止まってくれたけど、嫌そうに肩を落とした。今絶対ため息ついた。見てないけどわかる。
「……よ、かった……間に合った……!」
「何の用ですか?」
「お姉さんのお家お邪魔させてください」
「はぁ?」
強気に話しかけてる。その言葉通り、色んな人に強気で話しかけたけど、こんなに強気でめちゃくちゃなことを言ったのは初めて。
「お姉さんがなんで私のこと嫌いなのか知りたいんです。聞かせてください」
「なんで?」
「お姉さんと仲良くなりたいから」
「訳わかんない」
「お姉さんが嫌いな私を直せるかもしれないじゃないですか。詳しく嫌いな私を聞かせてください。直せるように頑張ります」
「いや」
骸骨さんはあからさまに嫌そうな、迷惑そうな顔をする。
「私、お姉さんの事知りたいんです」
骸骨さんの前に立ちはだかって歩くのを無理矢理止めさせる。目を見る。真っ直ぐ見る。じーっと見る。
「そのカラコンの入った大きな目で人を見つめれば言うこと聞くとでも思ってんの?」
骸骨さんは腕を組んで足を広げて、言葉で表現するなら偉そうに立ってる。
厚底履いてる私より大きいから威圧感がすごい。
「言うこと聞かせようなんて思ってないですよ。お願いを聞いてほしいだけです」
「それって私が言った事と何が違うの? 私の言葉を否定する意味がわからない」
ああ言えばこう言う。骸骨さんは私の言葉を必ず論破してくる。ぐうの音も出ない。
「お姉さんが行ってる大学、カウンセラー志望の人が多いですよね?」
これを言う気は無かった。
気になってる人とは言え、諦めればいい。最初はそう思ってたけど、こうなったらやけくそだ。ここで諦める訳にはいかない。
「……なんで知ってんの?」
「前にお姉さんがお店で見てた紙に学校名書いてありましたよ」
「知ってて聞いたの?」
「まぁ、そういう事になりますね」
「……そういうのが嫌いなんだよ」
「LGBTって呼ばれる人の事気になりませんか?」
骸骨さんは何を言うのも嫌になったらしい。偉そうな態度のまま、不機嫌に口を曲げてるだけ。
「私、そのLGBTのLってやつなんです。レズ、レズビアン。どうです? 私の話聞いてみたくないですか?」
諸刃の剣ってやつ。自分の性的指向を人に言うのは得意じゃない。この人ならって思った人にしか言いたくない。
昔、友達に言われた言葉を思い出して傷つくから。
「カウンセラー志望の私にそれを言えば興味を持つと思った?」
「そうです。こんな機会滅多にあるものじゃないでしょうから」
「まず第一に、私はカウンセラー志望じゃない」
おっと? 幸先は最悪みたい。
「第二に、あんたが本当の事を言ってる確証がどこにもない」
幸先だけじゃなかった。全てにおいて最悪だった。
「第三に、私は一人が好きなの。一人でお酒を飲んだり、一人で部屋でゆっくりするのが好き。あと、潔癖症だから知らない人を家に招くとか無理」
ちーんって音が聞こえてきそう。つまるところの撃沈。あとはぶくぶくと沈むだけ。
「これ以上私に言いたいことはある?」
「……わかりました! じゃあ、お姉さんの時間を買わせてください! これでどうですか?」
「……はぁ?」
「とりあえずホテル行きましょ。近くに古いけどラブホあるんで、そこで話しましょ」
「いや、私行かないし」
「早く行きましょ!」
骸骨さんの手を無理矢理掴んで歩き出そうとした瞬間、視界が思ってもみなかった方向に落ちる。
「……あれ?」
気づいたら地面に座り込んでる。あれっ? なにこれ、どういう事?
「はぁ……あんた、その足どうしたの?」
骸骨さんに言われて左足を見るとスキニーの間から見えてる足首が紫。なにこれ、痛い。
「痛っ」
「……足捻ったんじゃないの?」
「あっ、そう言えば捻りました。走ってる間に何回も捻りました。ってか、気づいちゃってからめっちゃ痛い!」
「あんた、運いいね」
足を捻って運がいい? 骸骨さんは何言ってるんだろう?
「ほら、肩捕まって。立てそう?」
骸骨さんが私の腕を肩に回させる。ゆっくりと立ち上がった骸骨さんは私に合わせて腰を曲げたまま。
「靴脱がせたいけど石とか踏んだら怪我増えそうだからそのまま我慢して。私の家そんなに遠くないから」
なるほど。骸骨さんの言葉が理解できた。
あれだけ拒否られてた私が怪我した事によって、骸骨さんは私を家にあげてくれるらしい。これは運がいい……と思いたい。
「痛いっ! 本当に痛い、もう無理歩けない」
「根性出せ。ほら歩いて」
「もう嫌だ! 歩きたくないんですってば!」
「わがまま言ってんなら、このままあんた捨てて帰るけど」
「……でも、本当に痛いんです」
「どうする? 捨てられたい?」
目に涙を貯めながら首を横に振ると、骸骨さんはなら頑張れと言って歩き始める。
私に合わせて腰を曲げて私を支えながらゆっくり歩く。骸骨さんだってしんどいはずだってわかってるのに、痛すぎてわがままばっかり言っちゃう。
「だぁーもう! 腰痛い」
骸骨さんの部屋に着くなり私はそのまま倒れ込んだ。骸骨さんは腰をぐるぐると回してる。腕もぐるぐる回してる。
「ほら、靴脱いで。リビング行くよ。ベッドには絶対あがらないように」
骸骨さんに支えられながらリビングに進むと座椅子に座らせてくれた。
ちょっと待っててと言って骸骨さんはお湯を沸かしてお茶を出してくれた。多分ほうじ茶ラテ。美味しい。あと、大きなポーチを持ってきた。超大量の化粧品が入るような大きさ。
「今日は安静にして、明日朝一で病院に行くこと」
骸骨さんは大きなポーチからテーピングテープを出して慣れた手つきで私の足首にぐるぐる巻いていく。
「手馴れてますね」
「高校の時に女バスのマネージャーだったから、よくやってたの」
「女バスのマネージャーってなんか色々大変そう」
「どこの学校の女バスも女同士のいざこざが耐えない。それを知った上でマネージャーになったの」
はいおしまい。骸骨さんはそう言うと、テープをポーチにしまってお茶を飲み出す。
私もお茶を飲む。やっぱりほうじ茶ラテだ、美味しい。
「中立的な立場で人とコミュニケーションをとる事に慣れたかった、だから女バスを選んだ」
「中立的な立場?」
「私がなりたい職業にはそれが必要不可欠」
骸骨さんはそれ以上は話さないと突然私と距離を置く。家に入れてくれたのにつれない。
「そう言えば名乗ってませんでしたね。早峰緑、舞台の裏方の勉強してる専門二年生です」
「坂吉澄香、大学二年」
「えっ、二年ってことは今年二十歳?」
「そう。あんたと同い年」
「……ずっと年上だと思ってた」
「そうだろうなって思ってた」
教えてくれても良かったじゃん! 私がそう言って駄々こねてもうるさいと言われるだけ。
「明日、病院一緒に行ってくれない?」
キッチンで何かを作ってる澄香ちゃんに恐る恐る声をかけると舌打ちの後に嫌という言葉が帰ってくる。無慈悲。
「一人じゃ歩けない」
「タクシー使えば?」
「……お金無いの!」
「じゃあ親にでも出してもらえば?」
辛辣だ。辛辣でしかない。
「あんたは、なんでそんなに私にこだわるの?」
「だってそりゃ、澄香ちゃんの事気になるから」
「……はぁ、あんたみたいな女の事なんて大っ嫌いなはずなんだけど」
澄香ちゃんはお皿に盛った何かを私の前に置いてくれる。野菜炒めみたい。ソースのいい香りがする。
「あんたの事、気になってる私がいるんだけど……言葉にすると悔しいな、なんだろこれ」
「悔しいってなんで!? いいじゃん、お互い気になってる同士仲良くしようよ〜」
「はぁ……病院行ったあと、どっかご飯食べいこうか」
澄香ちゃんの性格はあれだ、ツンデレだ。基本的にめっちゃツンなのに、恥ずかしげもなくデレてくる。なにこれ可愛い。
やっぱり、私は人を見る目があるみたい。
「今日泊まってもいい?」
「いいけど、親にちゃんと連絡入れること。それとどんなに足痛くてもお風呂に入れ」
「えー足痛いから動くの嫌なんだけど」
「うるさい。家主の私に従え」
バイト先によく来てくれる気になってた女の人、骸骨さんこと坂吉澄香ちゃん。近くの大学に通ってる同い年のツンデレガール。
何でかわかんないけど、私たち、これからも一緒にいる気がする。
だって、私たち、結構相性いいと思うからね!
と呑気なことを思いつつ、足痛いって騒ぐ私とお風呂に入れって言う澄香ちゃんとの押し問答は長らく続いた。
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