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三重県の先志摩(さきしま)半島。北は真珠の養殖で有名な英虞(あご)湾を囲み、南に面する太平洋の恵みは素晴らしく、海女たちがこぞって潜(かず)く豊かな漁場であった。
1963年、夏。
ウエットスーツに身を包む女たちが、磯メガネを付け、光が波打つ水面から、ほぼ垂直に海底へと降下する。海の青に映える赤や緑の海藻が、巡る四季の移ろいを告げ、さまざまな魚群が視界をすり抜けてゆく。
頬を洗う潮の流れは冷たい。しかし、素潜り漁の海女にとって時間は貴重だ。
海女は射貫くように眼を動かし、岩に同化した鮑(アワビ)やサザエを次々と手で捕えてゆく。抱えきれない量の海の幸を手に、音もなく光へ舞い上がる姿は天女のようだ。海上へ顔を出すと、視界には揺れる船と空の青。息を整え、海女独特のヒューッという磯笛の呼吸で息を整えながら、決められた時間一杯に繰り返す。
今日は、誰もが大漁だった。
喜びを隠しきれぬ海女たちが船で港へ戻ると、男が腕時計を見ながら船の帰りを待っている。
海に似つかわしくない洒落たシャツには磯の匂いが染み付くだろう。海の男が多いこの街で、彼の肌はやけに白く違和感を与える。最近よく見るこの男が、どこから来たのか噂し合う海女たちの中で、若い初江だけがそっと彼に手を振った。
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