香織ちゃんのクジラ

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 レースのカーテンを開けて外を覗くと、香織ちゃんが描いた海の様に透き通った青い空にモクモクとした白い雲が浮かんでいた。色鮮やかな庭木の緑も強い太陽の日差しをツヤツヤと反射させている。  香織ちゃんだったら、いかにも「夏休み」といったこんな風景の中に何が見えるんだろう。  あれから香織ちゃんとは殆ど口を聞いていない。香織ちゃんは相変わらず、空にポッカリと浮かぶ雲を眺めたり、ゴミ箱を覗いては何かを発見したりしていた。香織ちゃんの目には何が見えているのか凄く気になったけど、あまりにもいつも通りな彼女の素振りに、私はその度に「絶対に自分から謝ったりなんかしない」って思ってしまうのだった。  でも本当は香織ちゃんと「あのモクモクとした雲は食べたら美味しい」だとか、お喋りできたらどんなに楽しいだろう、と思うんだ。だって私の世界には、喋りかけてくる大きな木だとか、背中に乗せて学校まで運んでくれるポストなんかは住んでいなかったから……。  枝を二階の窓の高さまで茂らせている大きな木に、なんとか喋らせようと、私が一生懸命念力の様なものを送っていると、一階から玄関のチャイムの音が聞こえてきた。お母さんはインターホン越しに誰かと話している。 「雪乃。香織ちゃんだよ!」  お母さんの声に体がビクリとなった。本当は直ぐにでも駆け出していきたかったけど、私はわざと面倒くさそうにゆっくりと階段を降りていった。 「そうなんですか……」  お母さんが誰かと話している声が聞こえてくる。  階段を途中まで降りていくと、玄関に立っている香織ちゃんの姿が目に入ってきた。その隣には香織ちゃんにそっくりな大きな目と真っ直ぐな黒い髪を肩まで垂らした女の人が立っていた。 「香織ちゃんお引越ししちゃうんだって……」  お母さんの言葉に心臓がドクンと鳴る。  思わず香織ちゃんの顔を見ると、彼女はいつもの様にどうとでもとれる真っ直ぐな眼差しをこちらに向けてきた。 「今までありがとうね」  香織ちゃんのお母さんは私の顔を見ながら優しく微笑んだ。 「おウチまで送って行ってあげれば?」  お母さんの言葉に、私は香織ちゃんの後に続いて無言で玄関を後にした。  何て言えば良いのかな……。  今謝らなければ、多分一生香織ちゃんと話す事もないんだろう……。  香織ちゃんのお母さんは気を利かせて、少し離れた所を歩いている。 「……香織ちゃん、ごめんね」  私は香織ちゃんにやっと聞こえる位の声でそう言った。 「何が?」  香織ちゃんのいつもの反応に、私は思わずもう一度「大嫌い」って言ってしまいそうになってから言葉を飲み込んだ。  香織ちゃんが、彼女の描いた絵の中の動物達みたいに嬉しそう笑っていたからだ。 「雪乃ちゃんも嘘つきだね」  香織ちゃんの言葉に、私も思わず笑ってしまった。  笑い過ぎて気がつくと涙が出ていた。  生温い風が二人の間を吹き抜けていく。  私にも、道端の街路樹が体中の葉を揺すりながら大きな笑い声をあげているところが見える様な気がした。 「これ、あげるよ」  香織ちゃんが手渡してくれたのは水色のクジラの絵だった。クジラの吹く潮の上には、目の細い女の子と髪を顎の辺りで切り揃えた女の子の絵が描かれていて、美味しそうにクジラの潮を飲んでいる。沢山描かれた動物達も皆んな楽しそうに笑っている。  でもよく見ると、クジラの瞳の下にだけ大きな水色の滴が描かれていた。
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