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その日を、少年は海の上で迎えた。
「ねぇ、気付いてた? 今日はあなたの誕生日よ。ラドム」
「え?」
狭い船倉。窓のない空間で、時間の感覚は失われて久しい。
荷物の隙間に一家三人で身を潜めながら、不意に囁かれたその言葉に彼は戸惑いの声をあげた。
「母さん、そんなこと……」
そんなこと言ってる場合じゃないだろと告げかけて、ラドムと呼ばれた少年は言葉を飲み込む。
今だからこそ、日常の会話が貴重なのだ。
僅か数分先には儚く消えゆくかもしれない命に、せめてひとときの安息を。
彼らユダヤ人にとって、まさに地獄の時代だった。
民族を理由に、無慈悲に命を奪われる。
何故という当然の疑問を、口にする者は祖国ポーランドにはもういなかった。
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