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おわり
「その、優香ちゃん」
「なに?」
「これは、その、熱いからやめない?」
私の提案に優香ちゃんは首を横に振り、いたずらっぽく笑った。
「いやだよ。だって私たち、恋人でしょ?」
「……それが恥ずかしいから放してくれない?」
優香ちゃんは決して首を縦に振ってはくれなかった。
昨日のじゃんけんで私は敗北してしまった。一回負けて、三回勝負と駄々をこねたが、それでも負けてしまった。
勇者が私に願ったのはまた同じこと。
俺の恋人になってほしい、と。
昨日、私は逃げ出した。ガッツポーズをする優香ちゃんと、素直に正座する水樹を置いて。あまりに恥ずかしかったのだ。
家でずっと悶え、夜を過ごし、朝を迎えたら、優香ちゃんのお迎えである。毎日のルーティンワークなので断れず、今に至る。
二人、人気のない住宅街を歩き、学校へ向かう。
「どうしてこんなことに」
私がうなだれると、ふっと優香ちゃんの手が離れた。あれほどしぶっていたくせに、だ。
驚いて顔を上げる。
「今世ではちゃんとする」
優香ちゃんがどこかさみしげに笑った。
「理央の嫌がることはしないって決めたんだ。無理矢理後ろから抱き着いたり、キスしたり、押し倒したり、メイド服を着せたりするのは」
思わず真顔になる。そうだ、忘れていた。こいつの押しの強さと変態性を。
宝石のように美化されていた思い出が溶け出してくる。
私を魔王城から連れ出したと思ったら、勝手に家を決め、上がり込んできて、めちゃくちゃに甘やかし、それからいろいろされて、なし崩し的に骨抜きにされてしまったこと。
何故私がそんなことを許したか。料理で篭絡されたからだ。
「私も優香という生を受けて常識を学んだ。嫌がる相手にそんなことをしたら犯罪だって」
「学んでくれてよかった」
私は押しに弱いので、その学習は大変ありがたい。また、ヘンなことさせられるとこだった。
優香ちゃんはカバンの持ち手を両手でぎゅっ、と握る。
「私は中学の時に全てを思い出した。前世のこと、ヘレのこと」
「そんなに前だったのか」
「うん。でもそんな記憶話せないし、口に出したらきっと嫌われると思って言えなかった」
私は目を見開く。
「もしかして、無口になったのって」
「そうだよ。口を開いたらきっと私は止まれなかったから」
優香ちゃんは足元に転がっていた石を蹴った。その耳は真っ赤だ。
「だって、理央可愛いもん。同性だから着替えとかも一緒だし、ドキドキして、ヘンタイめいた言葉を吐きそうで」
「黙ってくれててよかった」
足元で転がっていた石が、溝に落ちる。それを見届けた優香ちゃんが足を止めた。一歩先に立った私は振り返る。
「どうした?」
「もう水樹のこと憎悪しない?」
「へ?」
「私のことを憎んでくれる?」
思わず素っ頓狂な声を上げる。優香ちゃんはぷくりと頬を膨らませた。
「だから、水樹じゃなくてちゃんと私を憎んでくれる?」
「まさか、怒ってたのって」
優香ちゃんがこくん、と頷いた。
驚愕する。彼女は私が水樹のことを憎悪していたのが気に入らなかったのだ。怒ったり、避けたり。その理由はまさか――。
「私に憎まれたいから?」
「そうだよ」
ぷいっ、と顔をそむけた優香ちゃん。動きは可愛いが私はちょっと引いた。かなり引いていた。
倒錯しすぎじゃないか?
初夏だというのに寒気に襲われ、私は腕をさすりながら、投げやりに言う。
「憎まれたいなら、さっさと勇者を名乗れ」
そしたらこんなややこしいことにはならなかったはずだ。
優香ちゃんの表情が硬くなった。うつむいた顔は今にも泣きだしそうだ。
優香ちゃんの前世は勇者だ。わかっていても罪悪感がすごい。こんな美少女を泣かせてしまうなんて、私はとんでもない悪漢だ。
なんと声をかけたらいいかわからず、わなわなとしていると、ぽつん、と小さな声が聞こえた。
「理央は優香のことが好きだろう?」
「へ?」
「勇者を名乗れば憎まれるから。俺だって本当は――」
途切れた言葉。息を呑んだ。優香ちゃんが顔を上げて、痛々しく笑う。
「なんでもないよ」
速足で歩き出したその目元は濡れていた。
『憎悪してるに決まってるだろう』
私の答えに、お前は毎日笑っていたじゃないか。
思わず唇を噛む。早く言え、馬鹿。
地面を蹴った。
勇者との幸せな日々。毎日繰り返された質問。いつも本心を伝えなかった。
私の手から滑り落ちた手。込み上げる後悔は憎悪に変わった。その憎悪は誰に対してだ?
今更ながらに気づく。
その憎悪は、素直になれなかった私自身に対してだ。
「優香ちゃん!」
目をこすりながら振り返る優香ちゃんの肩を掴む。
今更だ。今更かもしれない。
でも。
隠し続けた思いを今、放て。
「好きだ」
違う。もっと、もっと――。
「愛してる」
伝われ。
「私は、優香ちゃんであり、勇者であるお前を愛してる」
お願いだ。
精一杯の言葉。屈辱が、憎悪が、幸福が、痛みが、今まで、二人で歩いた日々で知った感情が溢れてく。かけがえのない、大切な思いが。込み上げるものを抑えきれず、私の目から大粒の涙がこぼれる。
「ほんとう?」
その問いに私は目いっぱい頷いた。
「抱き着いて、いいかな?」
こちらを見上げる彼女の目にも涙が浮かんでいる。私は彼女をゆっくりと抱きしめる。優香ちゃんの鼓動が伝わってくる。肺いっぱいに空気をためて膨らんだ彼女の胸。放たれるのは震える声。
「理央。俺も、理央のこと、ヘレのこと」
そこで優香ちゃんは止まってしまった。私の胸に顔をうずめた彼女。そして、そのまま謎の五秒。
ここで止まるか?
しびれを切らした私は、うずまった顔に顎を乗せてやる。
「ゆうかちゃーん」
それから三秒。
「愛してます……」
くぐもった声に謎の敬語。私は吹き出し、笑ってやる。
「ははっ、この意気地なし」
私の胸元で小さくうなる優香ちゃんの手を振りほどき、彼女の頬を両手で挟み込む。真っ赤になったその頬は温かいを超えて熱い。それが愛おしい。だから、少し頑張ってみる。
心臓が痛いほど跳ねる。前世では絶対にしなかっただろう。だからこそ、今世では。
私は優香ちゃんに顔を近づけた。優香ちゃんが柔らかく微笑み、目を閉じる。
私たちは唇を重ねた。
そんな雰囲気を吹き飛ばすものがいる。
「魔王様ー!」
水樹が黄色い声を上げて走ってくる。そして私目掛け飛びついてくる。優香ちゃんが動いた。華麗な動きで、水樹のみぞおちに一発。水樹は膝をつき、うめく。
「クソ勇者が……」
「低級が。俺とヘレの幸せな時間にお前の入り込む余地なんてないんだよ」
二人とも口が悪いし、前世の名前を持ち出さないでほしい。そんな私の声を遮り、二人の喧嘩は続く。
前世から何も成長しない二人の幼い罵り言葉に私はため息をつく。そして、こんな時間にすら幸せを覚える自分に、思わず苦笑した。
ついでに、水樹の前で見せしめ的にディープキスをしてきた優香ちゃんを締めあげた。
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