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はじまり
頭に強い痛みが走った。その瞬間、火花が散った。
過ったのは壮大な物語。
何の変哲もない女子高生・三宅理央、私の前世は魔王だ。
「ただの村娘だった私は世界を憎悪し、やがて魔王になった。ここまでおっけー?」
私の質問に、向かいの席に座った優香ちゃんがこくり、と頷く。私は続ける。
「そこに現れたのが勇者。激戦の末、私は勇者に負けた。そこでそいつはとんでもない提案をしてきたんだ」
その時のことを思い出し、拳に力が入る。
「お前のことは殺さない。その代わり俺の恋人になってほしい、と」
朝の騒がしい教室の片隅で優香ちゃんの拍手が控えめに響く。
茶色がかったポニーテールを揺らしながらキラキラとした目で手を叩く優香ちゃんは可愛い。幼馴染のひいき目を除いても可愛い。だけど、違う。
「いや、拍手するところじゃない」
優香ちゃんが首を傾げる。
「だって、そうでしょ? 負けた相手の恋人にされるなんて屈辱の極みだよ。そう思わない?」
首を横に振った優香ちゃん。
「思わないんだぁ」
がっかりした私は薄水色のワイシャツに顔をうずめる。ブレザーはもう箪笥にしまった。
一方まだブレザー姿の優香ちゃんを見上げると、なんだか嬉しそうに笑っている。
優香ちゃんは無口だ。だけど、表情は豊かで、見ていて癒される。
「まあ、でもあり得ないよねぇ。前世なんて」
ため息をつく。
鮮明に思い出してしまったけど、やっぱり信じられない。きっと、頭を打ったせいだろう。だけど、優香ちゃんは違うと言いたげに首を横に振る。
「優香ちゃんはロマンチックな話、好きだもんね」
こくこく、と頷く優香ちゃん。そして、カバンから花柄の袋を取り出した。
「あ! もしかしてクッキー!」
私が上げた歓声に、得意げな表情を見せて、優香ちゃんは袋のふたを開く。うさぎ型のクッキーを一枚取り出し、私に向けた。あーんされる形で私はクッキーにかじりつく。確実に餌付けだ。だけど、おいしくて頬が緩んでしまう。
「今日もおいしいー。優香ちゃん、すきー」
目がとろんとしてしまっている自覚がある。おいしいものには逆らえないのだ。
そういえば、前世でも、餌付けされていたな。勇者に。
ぶんぶんと強く首を横に振る。優香ちゃんが小首をかしげる。
「いや、ちょっと前世のことを思い出して」
自分の言葉への激しい違和感。いや、やっぱり、無理がある。
友人が前世なんて言い出したら、厨二病の発動に恐れおののくだろう。私たちはもはや高校二年生なわけだし。
「やっぱりありえないよね」
私はどちらかといえば現実主義者だ。神様とか信じないし、占いだって好きじゃない。
だけど、妙に生々しいのだ。
眉間にしわを寄せてそんなことを考えていると、優香ちゃんにクッキーを差し出される。今度はねこちゃんだ。ぱくり、とそれにかぶりつく。
口を大きく開けたせいか、頭の後ろの鈍い痛みが走る。思わず顔をしかめ、コブのできたそこを押さえる。優香ちゃんがおろおろとしてるのがわかる。
「大丈夫だよ」
そういってはみるが、ちょっと痛い。そして、ちょっと怖い。
昨日、私は頭に痛みを覚えて気を失った。その原因がまだわからないのだ。貧血で倒れたとか、そういうのではなく、一番あり得るのは誰かに殴られたという線。
ただの女子高生だし、恨みを買っているなんてことはなさそうだけど、それでも、人はどうでもいいことで人を憎む。
込み上げてきた黒い感情に自分自身で驚いてしまう。たぶん今のは前世の魔王としてのものだろう。
でもやっぱり、ありえない。
心配そうな優香ちゃんをなだめている間にチャイムが鳴る。朝のホームルームが始まった。
背筋を正して話を聞いている自分は優等生。前世の記憶がよみがえった私は内心苦笑していた。どこまでも世界を、人間を憎悪していた私が、こんな人間の生活に染まり、管理されているなんて。
その感覚は嘘だとは思えなかったが、やっぱり受け入れがたかった。
「転校生を紹介します」
先生の声に皆がざわつく。頭を殴られた挙句、前世なんて思い出してしまった私には些細なことで、一学期の途中から大変だなぁ、くらいにしか思わなかった。
彼が教室に足を踏み入れる。誰もが息を呑んだのがわかった。
入ってきたのは、短髪がよく似合う、やたら顔のいい青年だった。どこか上の空だった私ですら現実に引き戻されるイケメン具合だ。
「水樹作哉といいます。よろしくお願いします」
彼は綺麗にお辞儀をすると、にっこりと笑った。クラスにざわめきが走る。それもそうだ。こんなイケメンが転校生なんてマンガじゃあるまいし。
ああ、でも――。
不意に思い出す。
世界を救うたった一人の勇者がイケメン、ということもありうるのだ。
あいつは腹が立つほど顔がよかった。ブロンドの髪にコバルトブルーの瞳を持っていて、王子のようだったのだ。それを考えると、全国に何百人といるだろう転校生の一人がイケメンというのもありえなくはない話なのだろう。
「水樹くんの席は三宅さんの隣で」
担任の先生の言葉に私は内心眉を顰める。
こんなイケメンが隣にいたら、どうしても勇者が頭をかすめる。ありもしない前世に悩まされるなんて御免だ。それに、女子の目が怖い。こっちの方が現実問題。
スクールバックを片手に持ち、皆の視線を浴びながら水樹君が教室最後尾の私の隣の席に座る。
「よろしくね。三宅さん」
「よろしく……」
私は元気のよろしくない挨拶を返した。その反応に気を悪くするでもなく、むしろにこりと笑った転校生。なるほど、人当たりもよさそうだ。これから彼をめぐって、学校中の女子が血で血を洗う争いをするに違いない。
先生の話が始まる。皆、浮足立っている。誰もが水樹君を気にしている。ちらちらとぶしつけに視線を送る生徒も少なくない。だが、そんな視線も素知らぬ顔で水樹君はノートを開き、メモを取っている。ホームルームでメモを取るなんてよくやるな。
横目に入る彼が妙に気になってしまう。やっぱり、私もイケメンが好きなのだろうか。
誰もが通る道といわれるアイドルにすらはまらなかったのだが、やはり、目の前にイケメンがいたら考えも変わるのかもしれない。
たいして代わり映えしない先生の話が終わり、チャイムが鳴った。水樹君が席を立つ。そして、私の机にノートの切れ端を置いた。
そこには走り書き。
『魔王、久しぶりだな』
その一行で私の肌は粟立つ。次の一行は予測がついていた。
『俺は勇者だ』
私は水樹君の方を振り返る。クラスメイトに囲まれ、笑顔で談笑する水樹君が一瞬私に顔を向け、ウインクした。顔がいい。腹が立つ。
腹の底から黒いものが湧き上がってきた。勇者に敗北した屈辱が、彼と過ごした不本意な日々が、そして、その最後が。
こぶしを握り締めた。感情がほとばしり、掌に爪が食い込み、血がにじむ。
信じることを拒否していた前世が、突然現実味を帯びてくる。
確信する。私は魔王だった。
私の根幹にあるのは憎悪。そして、その対象は人間、世界、そして――。
あの笑顔を振りまく勇者だ。
私は決めた。
今世でも、憎悪を始めよう。
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