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「三宅さん、一緒に帰らない?」
水樹君、いや、もう敬称などいらない。水樹にそう言われ、私は眉をしかめた。座る私に右手を差し出す水樹はまるで王子のようだ。一瞬見惚れてしまったのが悔しかったが、ぞくりとした悪寒で我に返る。周りの女子の目がひどく冷たい。つららのようにとがったそれが私に突き刺さる。
何度も何度も断るが、水樹はしつこくしつこく声をかけてくる。水樹が転校してきて一週間。毎日この調子だ。帰り際、昼休みはもちろん、朝のホームルーム前、移動教室。ありとあらゆる場面で現れる。私が誰と話してようとお構いなしだ。
だからだろう。最近、優香ちゃん以外、私に話しかけてくれない。今まで話してくれてた子も私を遠巻きに見るようになった。泣いてないし。
そういえば前世でもそうだった。
勇者をたぶらかした悪女として、様々な事件や陰謀に巻き込まれたものだ。勇者の許嫁の姫なんかには散々罵られた。無理矢理恋人にさせられたのはこっちなのに。理不尽なものだ。
理不尽なのは勇者も同じ。水樹は私の友好関係など気にせず、どんどん踏み込んでくる。
今日も帰りを誘ってきた水樹に私はそっけなく言い放つ。
「あんたと帰る義理はない」
すると、水樹がにこりと笑った。そして、そのカバンから取り出したのは透明の小さな袋。
「マフィン焼いてきたよ」
思わず動きが止まってしまった。
勇者のマフィンは前世の私の大好物だ。生き物の血肉を喰らっていた私にとって、人間の食事はあまりに美味で、瞬く間に魅了されてしまった。
その中でも特段好きだったのが、料理好きの勇者が作るマフィン。
ごくり、と喉が鳴る。
「ね、一緒に帰ろう?」
プライドと食欲が喧嘩をする。
ここで手を取ってしまえば魔王としての矜持が揺るぐ。いや、でも案外もう水樹と付き合ってしまえば、女子からのやっかみからも水樹が守ってくれるのでは? 前世は勇者が立ちまわってくれたじゃないか。馬鹿。何を考えてるんだ私は。
水樹が袋を開ける。ふわりと甘い匂いが漂ってくる。
こんなの勝てるわけがない。
私はふらふらとマフィンに手を伸ばそうとした。
「っ⁉」
後ろから強く手を引かれ、体勢を崩す。ぽふんと柔らかいものが背に当たり、ぎゅっ、と抱きしめられる。
「フィナンシェ、焼いてきたよ」
耳元で優香ちゃんの小さな声が聞こえた。私はフィナンシェの味を想像し、とろんと蕩ける。優香ちゃんのお菓子はたまらなくおいしい。
水樹のマフィンへの誘惑は一瞬のうちに絶たれた。
「マフィンは結構。私は優香ちゃんと帰るから」
「……。それは残念」
水樹がぞっとするような暗い瞳をみせた。私に向けられたものじゃない。その視線は私の後ろの優香ちゃんに。
前世も大概独占欲の強い男ではあったが、彼は勇者。罪なき人にあんな目は見せなかった。
私は背を向けた水樹をぽかんと見やる。今世で彼も変わってしまったのだろうか。いや、あんな最後を迎えたら仕方ない。私の胸は痛む。
と、私を抱きしめる手の力が強くなる。
「ちょ、優香ちゃん。力、力強いから!」
私が制止をかけても、優香ちゃんは手を緩めてくれない。
やたらと身体能力が高い優香ちゃん。力も強い。華奢な身体のどこにそんな力があるんだ。息が苦しくなり始めたころ、やっと優香ちゃんは私を開放してくれた。
優香ちゃんがぷくりと頬を膨らませている。そして、私の手を引いた。引きずられるように教室を後にし、学校を出た。
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