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「ヘレ。俺のことどう思ってる?」  私の真名を気安く呼ぶのは勇者くらいだ。私はいつもの問いに眉を顰める。 「何度尋ねたって変わらない。憎悪してるに決まっているだろう」  なぜだか知らないが、勇者はいつも通り、にこりと笑った。  意味がわからない。  腹が立つので、私もいつも通り聞いてやった。 「お前は私のことをどう思っているんだ?」  勇者は目を浮かせて口にする。 「俺はヘレのこと――」  目を覚ました私の頬は熱かった。こんな夢を見る自分が恥ずかしい。そして、その夢は私の気分をさらに盛り下げた。  もう水樹が声をかけてくることはないかもしれない。マフィンなんかなくても、手を取って受け入れていればきっとこんなことはなかったのに。  そうしたら、優香(ゆうか)ちゃんに避けられなかったかな。なんて考えるが、妙に冷静な自分が言う。いや、優香ちゃんは別件だろう。私もそう思う。  その日は朝から雨。優香ちゃんに避けられ、水樹から声をかけられることもなく日は落ちる。  一人の下校はやはり寂しいものだ。肩を落としとぼとぼと歩く。周りには友人と和気あいあいとおしゃべりする生徒たちが溢れている。  虚しかった。  あの時の記憶がよみがえる。そして、思い直す。  水樹はまだ、生きている。優香ちゃんだって生きている。伝えられずに失った前世とは違うのだ。まだ、できることはある。  私は目の涙を払う。もう二度と後悔したくない。  やんだ雨に傘をたたむ。  曲がり角越しに水樹の姿が見えた。呼吸を整え、踏み込もうとした私の目に映ったのは優香ちゃんだった。  水樹と優香ちゃんが笑顔で話をしている。周りの女子生徒が後ろ指を指しているのがわかる。  私は手を打った。  なるほど。優香ちゃんは水樹のことが好きだったのだ。だから、私が水樹のことを憎悪していると知って、告白したのだ。そして、二人は付き合った。うん、水樹の気持ちはわかる。あんなに可愛い子に告白されたら前世なんてどうでもよくなるだろう。  一人納得した。そして、瞳から涙が溢れてきた。  喜ばなくてはいけない。二人の幸せを願わなければならない。  制服の裾で何度も涙をぬぐう。周りの視線が痛くて、私は駆け出した。でも行く当てなんかなくて、結局たどり着いたのはいつもの公園。  濡れたベンチにハンカチを引き、腰を下ろす。湿った風が濡れた頬を撫でていく。 頭にあふれてくるのは勇者の笑顔。    たまらなく憎んでいる。どこまでも憎んでいる。  最低な奴だった。勝手に人を恋人にし、結婚させて、幸せにしておいて――。  私をかばって死んだ。  私を憎んだ人間たちによる凶行だった。  唐突に終わった幸せ。毎日繰り返した会話もその日で終わった。 「ヘレ。俺のことどう思ってる?」  ちゃんと答えておけばよかった。  愛してる、と。    五時を知らせるゆうやけこやけが頭上のスピーカーから流れる。それもどこか遠くに聞こえた。立ち上がる気にもなれず、そのままベンチに身を任せ、目を閉じる。 「お前は私のことをどう思っている?」  あの日まで繰り返した問い。勇者の答えはいつも同じだった。 「俺はヘレのことが好きだよ」  目が浮いている。恋人になり、結婚し、身体を重ねてもそんな調子だから、私はいつもからかってやったものだ。 「ふうん、好き止まりか」  そういうと、彼は顔を真っ赤にして言葉に詰まった。  とても、幸せな時間だった。 「三宅さん?」  その呼びかけで我に返る。公園の入り口で水樹が手を振っている。正直、今は顔も見たくない。ベンチから立ち上がろうとする私の横に、水樹は素早く腰を下ろし、帰りづらい空気を作ってきた。策士だ。  水樹がこちらの顔を覗き込んでくる。とっさに顔を逸らしたが気づかれてしまったようだ。 「目、赤いね。泣いてたの?」 「別に」  自分でも驚くほど、ぶっきらぼうになってしまう。だが、ちゃんと言わなければいけない。  私は深呼吸し、水樹の方を振り返る。 「おめでとう」  出来損ないの笑顔を精一杯作る。だが、私の言葉に水樹はきょとんとした。 「何のこと?」 「へ?」 「え?」  どうやら私の勘違いだったようだ。  優香ちゃんとの関係のことを言うと、水樹は全力否定。さっき私が見たのは、確かに間違いではないが、話の内容は私のことだったらしい。 「三宅さんは可愛いなって」 「へ、へぇ……」  顔に血が上ってしまうのがわかる。水樹がにこりと笑う。 「もしかして、僕と彼女が付き合ったと思って泣いてくれてたの?」 「ち、違ッ」 「ヘレは可愛いなぁ」 「気やすく呼ぶな!」  水樹は私の言葉を笑顔で流す。そして、カバンを開け、中から袋に包まれたマフィンを取り出した。 「どうぞ。食べたかったんでしょ?」  くすくす笑われたのが癪に障るが、食べたかったのは確かだ。私はそれをひったくるように掴み、かぶりつく。 「おいしい?」  私は頷く。 「よかった。これからは毎日食べさせてあげるよ」  二口目を食べて、私は首を縦に振らない。 「ヘレ?」  三口目を食べて、飲み込む。そして、私は問う。 「なあ、勇者」 「なんだい?」 「お前は私のことをどう思っている?」 「そんなの当然」  彼は答えた。 「愛してるよ」  私は素早く立ち上がり、水樹と距離をとる。不思議そうな彼を睨みつける。 「お前、誰だ?」  悪寒が走る。口にしたマフィン。確かにおいしかった。だけど、味が違うのだ。私が好きなマフィンの味じゃない。  確信を持ったのはさっきの質問だ。勇者は私の問いに「愛してる」と返すことができなかった。「好き」止まりの意気地なしだった。 「あーあ、ばれちゃいましたかぁ」  水樹がゆらりと立ち上がる。その敬語が威圧的に響く。 「やっぱり、あいつのせいでばれちゃったんですかねぇ」 「あいつ?」 「そう、あなたが大好きな優香ちゃんですよ」  水樹の美しい顔が歪んだ。全身が粟立つ。 「まさか、優香ちゃんに何か⁉」 「ええ。後ろから殴らせていただきました。魔王様と同じように」  血の気が引いていく。私を殴ったのは水樹だったのだ。そして、今、優香ちゃんにも被害が出た。私のせいだ。私のせいで優香ちゃんを巻き込んでしまった。  前世の光景が頭をよぎる。私をかばって、真っ赤に染まった勇者。その掴んだ手が落ちていく。冷たくなっていく。 「優香ちゃんは⁉」 「さあ? そこらへんに転がってるんじゃないですか?」  駆け出そうとした私の腕を水樹が強く握る。振り払うことが出来ない。体格も力も違いすぎる。  手の拘束が強くなってくる。痛みに顔をしかめた私に、水樹が笑いかけてくる。 「魔王様はそんなに優香ちゃんが大事なんですか?」 「もちろんッ」  その答えに水樹は舌打ちし、呟く。 「これじゃあ、前世と同じじゃないか」 「は?」 「いいでしょう、魔王様。私は二度と優香ちゃんに手を出さない」  水樹が私の腕を引き、その胸に引き寄せる。そして、耳元で囁いた。 「その代わり、私のものになってください」  ぞっと背筋が冷たくなった。  水樹の得体が知れない。私の前世を知っていて、私を殴った犯人で、優香ちゃんにも危害を加えている。こんな人間のものになるなんて、恐ろしすぎる。だけど、優香ちゃんを守りたい。  水樹が暗い声を私の耳に注ぎ込む。 「大丈夫。あんな奴より、ずーっとずーっと愛してあげますからね」  そこで我に返る。妙な既視感。この顔の良さ。この距離の近さ。そして、私にまとわりついてくるストーカー感。勇者じゃない。もしかすると、水樹は――。  その刹那、視界に入ったのは未確認飛行物体。いや、人間だ。一メートルくらい飛んでる。何、あの跳躍力。そして、その右手に掲げられたのは伝説の剣。いや、錯覚だ。ただのビニール傘だ。さらに、こちらに飛んでくるのはあまりにも殺傷力の高い眼力。  振り上げられた傘が、水樹めがけて下ろされる。彼は私の手を離し、間一髪でその斬撃から逃れる。地面をえぐった傘が真っ二つに折れた。  盛大に舌打ちをし、私と水樹の間に割って入ったのはあまりに見覚えのある人物。  私は目をこすった。何度もこすった。でも、やっぱりこすった。結局そうだった。 「優香ちゃん?」 「遅くなってごめん。理央(りおう)」  あまりにはっきりとした響き。その立ち姿は凛々しく、心臓が跳ねてしまう。それは前世で幾度となく見た、私を守ってくれた背中を思い起こさせる。  水樹が目を見開く。 「気を失わせたはずですが」 「あんな攻撃で俺の意識が飛ぶとでも思っているのか?」  挑発するような口調に、俺という一人称。誰もが認める美少女から出る言葉じゃない。ものすごい違和感に思わず顔をしかめる。  優香ちゃんは折れた傘を振り上げる。それはとても様になっている。だが、ただの折れた傘だ。 「これ以上、理央にちょっかいをかけるな。斬るぞ」  斬れないよ。それ、傘だもん。だが、水樹はその言葉に怯みを見せた。  え? そんなものなの? 「いえ、ですが、私もここで引き下がるわけにはいきません」   水樹はカバンから折り畳み傘を取り出した。  アホだ。この真面目なアホぶりは知っている。  私は頭を抱え、優香ちゃんは水樹を鼻で笑う。 「その程度の剣で、この俺にかなうとでも?」  剣じゃないよ。折り畳み傘だよ。 「折れた剣を持つあなたに、その言葉、そのまま返しましょう」  だから、剣じゃないよ。折れた傘だよ。 「さあ、来いよ。低級魔族」  二人が傘を掲げる。私はその中に割って入った。 「もうやめなさい。勇者、それからトート」  水樹がぴくりと動きを止めた。その隙を狙ってだろう。優香ちゃんが殺意のこもった目で飛び上がり、折れた傘を振り上げた。  傘とはいえ、あれが当たればただ事じゃすまない。とっさに判断できた。  私は水樹の前に躍り出て、その折り畳み傘をひったくった。両手でそれを持ち、水樹をかばうように軸を広げる。だが、折り畳み傘の軸なんて弱い。あの斬撃を受け止めることはできないだろう。  大きく出た賭けに私の心臓が跳ね、思わず目を閉じる。だが、いつまでたっても衝撃は来ない。恐る恐る目を開く。  優香ちゃんの傘は、折り畳み傘の寸前で止まっていた。 「なんだ? 今世でも魔王を殺せないというのか。勇者」  私は不敵に笑って見せる。  優香ちゃんが手を止めてくれることを信じて出た賭け。勝った。優香ちゃんは私を傷つけないでいてくれた。嬉しい。そして、心底ほっとしていた。怖かった。かなり怖かった。  それを察したのだろう。優香ちゃんがふっと笑う。 「強がるなよ、ヘレ」 「気やすく本名を呼ぶな。勇者ごときが」  そう言ってやると、優香ちゃんはにこりと笑う。ここで笑う意味がわからない。腹が立つ。 「魔王様……」  震えた声に振り返れば、水樹が目にいっぱいの涙をためている。 「どうして、私なんかかばうんですか?」  私は背伸びし、水樹の頭に手を乗せてよしよしと撫でてやる。 「トートは私の側近だ。勇者ごときに傷つけられてたまるか」 「魔王様ああああ! 大好きいいいい!」  叫びながら抱き着いてくる水樹を受け止める。  やはりそうだったのだ。水樹の正体は、前世の私の側近・トート。料理が上手く、絶世の美女で、やたら距離が近い。ついでにストーカー気質がある。風呂にもついてこようとする変態だ。  それにしても不思議だ。私は尋ねる。 「トート。どうして自分が勇者なんて名乗ったんだ? あれほどまでに勇者を嫌っていたじゃないか」 「確かに私は勇者が大っ嫌いです」  水樹はそういうと、優香ちゃんに向かって盛大にあっかんべーをした。優香ちゃんは嫌悪露な表情を浮かべる。この喧嘩、懐かしい。  水樹が続ける。 「今世でも魔王様が勇者に捕まるのなら、私が魔王様を捕まえればいいと思ったんです!」 「は?」 「勇者を名乗れば魔王様が引っかかるでしょう? まあ、私は勇者であると偽り続けるわけですが、魔王様とのいちゃいちゃライフを目前とすれば、そんなこと、些細な問題なのです!」  何言ってんだこいつ。 「毎日、一緒にご飯を食べて、魔王様のかぐわしい香りをすーはーして、一緒にお風呂に入って、それからベッドに連れ込んで」 「トート、正座」 「え」 「三時間、正座な」 「どうしてですかああああ⁉」  アホだ。この子は前世からアホを引きずってきてしまったのだ。神がいるとすればなんて残酷なんだろう。どうしてこの子はこんなにもアホなんだろう。素直に正座を始めるところは真面目でいい子なんだが、やっぱりアホなのかもしれない。 「理央、いや、ヘレといった方がいいか」  優香ちゃんの声に振り返る。どこか憂いを帯びた表情の彼女に私は強い視線を向ける。 「優香ちゃん、いや、勇者。私に何か言うことがあるだろう」 「好きだよ」 「違うわ」  思わず真顔になる。こいつも大概アホだ。何故この場面でその言葉が出てくる。  優香ちゃんは首を傾げる。顔がいい。可愛い。お前わかってやってるだろ。だが、そうじゃない。 「私に謝れ。お前はずっと前世のことを知っていたのだろう?」 「うん、まあそうだね」  優香ちゃんはへらりと笑う。そして、その顔がやけに真剣なものに変わった。真っ赤な夕暮れがその表情をドラマチックに映し出す。  優香ちゃんは深呼吸して、言った。 「ヘレ、今世でももう一度、俺と勝負してほしい」 「なに?」 「ヘレが勝ったら俺はヘレの言うことなんでも聞く。逆もまたしかりだ」  私は息を呑む。それは魅力的な誘いだった。前世で味わった屈辱をここで返すことができる。何をさせてやろうか。思わず口角が上がった。 「受けてたとう。方法は?」 「もちろんこれだ」  優香ちゃんが右こぶしを握った。私はふっと笑う。 「よかろう」 「いくぞ」 「いつでも」  夕日が群青に染まり始める。 「最初はグー!」  私たちの威勢のいい掛け声が、小さな公園に響いた。
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