1人が本棚に入れています
本棚に追加
夕暮れハードル
2008年8/15(日曜日)
蝉の鳴声。雨は小降り。日は傾いていた。
その橙色に照らされて走る彼女の姿は青春ドラマのようでとても微笑ましかった。ハードルを越えた先に見られる景色は俺にはもう一生見ることは叶わない。
たとえそこに同じ橙色があろうとも。その色は俺が今見ている色とはまた違うものだろう。
彼女は振り返って感想を求めてきた。
「どうだった?あたしのジャンプ」
綺麗だった。まるで傾いた日すら越えるように高く。まるで夕立さえも避けるかのように素早く軽々と浮いた。
「うん。凄かった」
「えー?それだけ?もっとないの?」
ふくれた顔。もっと頬を膨らませてやろうと巧みに言葉探しをするがすんでの所で止めた。
正直になれないのはそろそろ止めにしよう。素直に口にした。
「綺麗だったよ。まるで飛ぶんじゃないかと思うくらいに」
「だから跳んだじゃん」
それは理解した上での返答だろう。だから笑わない。微笑む程度にしておいた。
「羨ましいでしょー。えへへっ」
こっちを向いて微笑み返してきた。彼女の言う通りに本当に羨ましい。そう、思われるために俺は彼女とこうしている。
代わりに出たのは嫉妬のそれではなく素直な気持ち。
「もう一回やってよ」
「えぇっー!今のは一回だけ。一回だけのジャンプだよ」
「そっか。じゃあ俺が代わりにするよ」
「えっ?」
彼女の近くまで移動する。ハンドリムを操作する。ブレーキレバーを後方に引く。脚を地面へと下ろす。車椅子から立ち上がる。
身体の重心をなんとか制御して渾身の力で彼女の身体を抱いた。
「ぇっ…。ちょっとっ」
戸惑っている顔も、困っているその声も、速くなっている心拍も、さっき跳んだハードルも。全部が全部。俺のものだ。
「好きだ。付き合って」
彼女は無言だったけど耳元で小さく、うん。と聞こえた。
見据えた先には、眩しいくらいの夕日とざらざらと降る夕立と永遠に続くハードルがあった。
最初のコメントを投稿しよう!