12章:外堀の埋まる音がする

2/19
前へ
/302ページ
次へ
 私がリビングに行くと、庭先にスーツの男性が一人見えた。 先輩かと思ったけど、背格好が違う。その人はどうも鯉の世話係として餌やりに来ているようだった。  私はちらりと世話係代役の男の人を見る。先輩より年上に見えたし、着ているスーツも高級そうに見える。まさか法律事務所の人じゃないだろうな……とそんなことを思って、さすがにちがうよね、と一人ごちだ。  そして、庭に立つその人がなんとなく気になってしまい、 「あの、良ければ一緒に朝食食べませんか?」 と声をかけた。  男の人は驚いたように振り向く。あ、ちょっと怖そうな顔だった。 「いえ、結構です」 「おいしいですよ、父の卵焼き。それに私はご飯炊くのはうまいんです」  コメは夜に炊飯器にセットしておくのだが、私は米を洗うのも、水加減もばっちりなのだ。これは、母が亡くなってから忙しい父に代わって自分にできることを考えた末、小学生の時から必死に練習してこつこつと上達してきたという背景がある。  それを聞いて、男の人は笑う。 「『ご飯を炊くの上手』って人、初めて聞きました」  あ、笑うと、表情柔らかくなるのね。少しほっとする。 そう思っていると、父も、どうぞ、と言って、半ば無理矢理に私たちは三人で食卓を囲った。  食事の時少し話して、その人は自分が『眞城』という名で、先輩の会社の人ではないようだった。 それ以上は話してくれなくて、ますます謎ではあるが、眞城さんはやけに礼儀正しく、米粒一つ残さず食べると 「確かに炊き方ひとつでこんなに違うものなのですね。勉強になります」 と優しく笑った。
/302ページ

最初のコメントを投稿しよう!

899人が本棚に入れています
本棚に追加