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一条に呼び出されているということを、露木は岡村には話していなかった。先に帰宅した彼女の後に教室を出て、1階に降りると目の前の下駄箱ではなく、左に曲がって六石棟に向かう。 オレンジ色のカーテンのような光が差す廊下を抜け、吹奏楽部の拙いメロディーを聴きながら露木は武芸室の前を左に曲がった。 中途半端に開かれた資料準備室の扉、その奥で一条は棚の間に立っていた。 「よう、来たか。」 既にネクタイを解き、一条はワイシャツ1枚で窓際にもたれている。露木は背後の扉を閉めて彼の前に立ち、深く息を吸い込んでから言った。 「一条先輩。お願いがあります。」 「おお。何だよ。」 「これを見る代わりに、もう私のところに来ないって約束してくれますか。」 昼休みの後から露木が考えていたことだった。何を言われるかは分からないが、今の自分の思いを伝えないといけない。自分とは合わない人間とは関わらな方がいいと露木は決めていたのだ。 「もうって、まだ2回くらいしか来てないじゃん。もうちょい絡もうぜ。」 「嫌です。学校で、しかも女の子からお金を貰ってそういうことをする人とは、友達にもなりたくないです。」 ああそう、と言って一条はため息をつく。やがて落ち着いたように肩を落とすと彼は言った。 「分かったよ。約束な。」 彼の言葉に露木はほっと胸を撫で下ろした。何故自分に構ってくるのかという疑問は聞かなかったが、これで関係が終わるならば構わないと彼女は考えていた。 「じゃあそこの奥に隠れてて。布あるから被ってさ。」 言われるがまま右奥の棚に回り、しゃがみこむ。学園祭で使用したであろう垂れ幕の端を頭から被ると、妙に埃っぽくて露木は咳き込んでしまった。 「おい、セックスしてる時に音立てるなよ。」 「わ、分かってます。」 露木は前の棚の中に収まった有機化学の基礎と書かれた参考書と、旋律法の総知識という本の名前を、生涯忘れないだろうと思った。その隙間から覗く一条はまたため息をついて窓にもたれる。 数分が経って座り直そうとした時、壁の向こうから小さな足音が聞こえた。咄嗟に掌で口元を覆い、有機化学の基礎と旋律法の総知識の隙間から扉を見る。数秒後にゆっくりと扉が開かれた。
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