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11
休み時間のチャイムが鳴る。国語の教員である喜多川は老体に鞭を打って、腰を曲げながら教室から出て行った。
彼の後に続いた露木は廊下に出てロッカーの前に立つ。鉄の薄い扉を開けて次の授業で使用する教科書を取り出し、ふと廊下の奥を見た。
一条と生徒会役員の性行為を見てから1週間が経過していた。
あれから彼は一度も彼女の前に現れていない。いつもと変わらない騒がしさが各教室の前で溢れている。
残り滓程度の寂しさを抱いた自分に嫌悪感を抱いて、露木は扉を閉めた。思わずため息が漏れる。ここで涙を流したら誰が気付くのだろうと彼女はふと考えた。他人に興味があるようでない年頃の人々が詰め込まれている中で、感情を剥き出しにしても近付いてくる人はいるのだろうか。
それは一条と実里を見て彼女が毎日のように考えていることだった。今廊下で2人が性行為を行っても、もしかしたら皆見て見ぬ振りをするかもしれない。まるでこの世界から消してしまうかのように、いなかったことにするのではないか。
用もなく再び扉を開ける。中に詰まった参考書や教科書を並び替える。
「どうかしたの。」
背後からかけられた男性の声に、露木は咄嗟に振り返る。しかしそこにいたのは見たことのない男子生徒だった。
ワイシャツにネクタイを締め、ベージュのカーディガンを羽織っている。柔らかな金髪は白に近い。その下には真珠のように輝く目、ハーフのように長い鼻筋に薄い唇。該当する人物がいないために彼女は言葉に詰まってしまった。
「え、え?」
「ああ。D組の白河勇輝。初めまして。」
にっこりと笑った表情はとても爽やかだった。
「あ、ああ、どうも。」
「名前は何て言うの?」
「露木萌華です。」
「萌華ちゃんか、可愛い名前だね。」
ロッカーにもたれて白河は笑う。柔軟剤の甘い香りがした。
「え、えっと。何か?」
「いや、なんか寂しそうな表情だったからさ。」
まだ廊下の喧騒は止まない。それどころか何かとびっきりおかしなことがあったように、廊下の向こうが笑いで包まれていた。
白河はロッカーから離れると、露木の後ろで中途半端に開いた扉をゆっくりと閉める。彼女の真後ろでギィ、と金属がしなるような音が鳴ると、徐々に2人の顔の距離が近くなった。
「な、何。」
咄嗟にその場から離れる彼女を見て、白河は再び笑う。
「寂しそうな顔、似合ってないよ。もっと笑ったら?」
言葉尻を遮るように始業を知らせるチャイムが鳴り響く。それまで盛り上がっていた生徒たちは何かを避けるかのように教室へ戻っていく。
例に漏れず白河もチャイムに反応し、D組の方に足を向けてから彼女の肩に手を置いて彼は言った。
「萌華ちゃん、また話そうよ。僕のことも知ってもらいたいしさ。」
じゃあ、と付け加えて彼は手を振りながらD組へ戻っていく。突然現れて突然去った白河が教室に吸い込まれていくのを見届けてから、露木は妙に新鮮な気持ちでC組に戻った。
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