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13
玄関を出ると、既に禿げた染井吉野がぼうっと空に浮かんでいた。また来年の4月に花を咲かせるまでこの木は何をしているのだろうと、露木は考えていた。
野球部の掛け声が横から殴ってくる。校舎のあちこちに飛んでは跳ね返り、彼女は活気付いた校庭の奥に立つ細長い六石棟を眺めた。頭の中で地図を浮かべる。資料準備室があるであろう壁を睨みつける。
今もあの人は、知らない女子生徒と体を重ねているのだろうか。
露木の頭の中でぐるぐると言葉や顔が回る。彼が優しいという情報に、生徒会役員の実里に優しく触れる姿に、妖しく微笑む一条の横顔。いつの間にか立ち止まっていた彼女を別の声が殴った。
「萌華ちゃん。今帰り?」
ベージュのセーターのポケットに手を入れ、白河は雪国の狐のような明るい毛を振っていた。彼女の前に立って覗き込むようにして彼は続ける。
「一緒に帰ろうよ。」
「うん、いいよ。」
白河の肩越しに見える六石棟が徐々に遠去かっていく。少しだけ寂しさを覚えたことに、露木は微かな疑問を抱いた。
「最寄駅ってどこなの?」
「私?私は森下。」
「へぇ。じゃあ高校まで一本だ。楽でいいね。」
「うん。白河くんは?」
「僕は要町。有楽町線だから市ヶ谷で乗り換えて、って感じ。もう朝大変だよ。せめてサラリーマンが皆降りてくれればいいんだけど、市ヶ谷はオフィス街だからさ。」
校門を抜けて住宅街に入る。壁に隠れて六石棟は見えなくなった。
「そうなんだ、大変だね。」
「やっぱり一本だと楽だよねぇ…多少遅延してても間に合うだろうし。」
「でも男子って遅延してたら嬉しいんじゃないの?」
「ああ確かに。遅延証明書は強い味方だからね。」
そう言って爽やかに笑う彼を見て、露木も思わず笑ってしまった。人の少ない住宅街に2人の笑い声が微かに響く。篠崎駅に向かうまで彼女は白河と談笑しながら、心の隅で一条のことを考えていた。
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