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『私の名前は露木萌華!今年の4月から六石学院高校に通う1年生!素敵な出会いがあるといいなぁ!』
と露木は心の中で呟いた。自分らしくないとは思っていても、どこかで期待しているのかもしれない。吊革を掴んで乗客の圧に飲まれながら、露木は顔を上げた。都営新宿線が篠崎駅に到着するとのアナウンスが、ほとんど同じタイミングで流れる。
怪物が消化しきれず吐き出すように、開いた扉から大勢の乗客が溢れていく。露木は学生鞄を肩にかけ、身を縮めるようにして篠崎駅のホームに降り立った。
入学して1ヶ月が経った六石学院高校は俗に言うマンモス校である。一学年の生徒数は400人を超え、教室の数ですら2年生も全てを把握していないという。
既に疲れているように見えるサラリーマンたちに背中を押され、地上に出る。ショッピングセンターなどの複合施設が聳えるように建つ駅を抜けて江戸川区に足を踏み入れた。
駅前の通りに身を投じる。露木は自分と同じ制服を着た生徒たちを見てどこか安心していた。白とグレーの格子柄のスカートに、紺色のブレザー。白いワイシャツに深緑のリボンが、六石学院高校女子生徒の制服である。前を歩く男子生徒のスボンは濃いグレーで、同じく紺色のジャケットを羽織っている。ネクタイはくすんだような赤だった。
灰色の京葉道路が天井のように空を少しばかり塞ぐその下を渡って、開けた青空の向こうに歩き出す。住宅街が多くなっていく道の途中で露木は背後からかけられた声に立ち止まった。
「萌華、おはよう。」
生徒たちの群れを掻き分けて、岡村恵里が息を切らして露木の前に立ち止まる。顎の先を指す毛先が揺れている。黒い宝石のような目は尻が下がっていた。
「おはよう。どうしたの、そんなに慌てて。」
「だって、歩くの、速いんだもん。」
同じ1年C組で出会った2人は、入学式が終わった後のホームルームで会話を交わした。それ以降1ヶ月間、2人は池袋や渋谷などに遊びにいく仲になっていた。
まるで穴から出てきた蟻が餌を求めているような、六石学院高校の生徒たちは狭い歩道を埋め尽くしている。その中で様々な会話が聞こえていた。
「はぁ。」
「ん?どうしたの。」
思わずため息をついた露木に、岡村は不思議そうに首を傾げる。
「いや、テンプレみたいだなって。」
「何が。え、今日のメイク?変かな?」
「違うよ。皆の話してること。」
「ああ…誰がかっこいいとか、良い人いた、とか?」
露木はこくりと頷く。六石学院高校は生徒数が多い為、容姿端麗な生徒もいる。そのせいか男子生徒も女子生徒も皆口々に誰が良いかと話していた。それが恋愛漫画のようで、露木は嫌っていた。
「まぁでも仕方ないんじゃない?色々な情報入ってきてるし。」
そう言って岡村はブレザーのポケットからピンク色の眩い手帳を取り出す。ぱらぱらとページを捲って紙を睨みつけている。
「2年生にもかっこいい人多いみたい。」
「恵里、それ情報屋じゃん。誰からそういうの聞いてるの。」
「風の噂。ていうか、こういう話し声を聞いてまとめてるって感じ。」
2人の真横を6人の男子生徒たちが通り抜けていく。岡村は手帳をポケットに仕舞い、学生鞄をリュックのように背負いながら露木の前に立った。
「萌華もさ、気になる人がいたら私に教えてよ。情報があったら特別に無料で教えてあげるからさ。」
「普段お金取ってるの?」
「いや、基本無料だけどさ。」
住宅街を抜けた十字路の先、横に広がった六石学院高校の校舎が辺りに散らばる生徒たちを吸い込んでいる。白を基調とした外壁に、クリーム色の線が施されている。暖かな印象を受ける校舎は4階建。2階が1年生、3階が2年生、4階が3年生のフロアとなっている。それとは別に体育館、渡り廊下で繋がれた六石棟と呼ばれる建物がある。6階建の細長いビルのような箱の中には、音楽室や家庭科室。2年生ですら把握できていない部屋も存在する。まだ1年生は六石棟を利用する機会はなかった。
黒い校門を抜け、中庭に進む。正面玄関の前には大きな桜の木が、寂しく佇んでいた。丸いコンクリートから伸びる染井吉野は何十年も生徒たちを見守り続けている。太い幹から分かれていく枝の先で、桃色の花弁はかなり散ってしまった。
露木と岡村は右手の1年生用玄関に入った。まだ慣れない新品の上履きに履き替え、ワックスが塗られたばかりの階段を上っていった。
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