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幾つかの授業が潰れ、学園祭準備に充てられている。受験生の増加にも繋がるらしく、学校側も気合が入っている印象だった。連日学園祭の準備は着々と進んでいる。校門を彩る柱なども立てられ、住宅街の中にお祭りの会場が出来ていた。 帰りのホームルームが終わってもなお、教室にはクラスメイトたちが留まっている。露木は一度学生鞄を肩にかけて席を立った。教室から抜けていこうとする時、同じように鞄を持った岡村が申し訳なさそうな表情で彼女に近付いてきた。 「萌華、ごめん。今日バイトのヘルプ頼まれててさ。委員会パスしてもいい?」 「うん、大丈夫だよ。」 「ごめんね、今度埋め合わせするから!」 合唱のポーズをとって教室から出て行く。露木は帰宅する彼女とは反対に階段を上がって、2年B組へと急いだ。 教室の後ろからゆっくりと入る。既に大勢の福祉委員が集まっており、露木が席に着いたと同時に委員会は始まった。教壇に立った生真面目そうな雰囲気の女子生徒が声を上げる。 「それでは福祉委員会を始めます。今回は確認事項の伝達ですので、この後は各々学園祭の準備に取り掛かってください。」 間延びした返事がぱらぱらと起こる。書記のような役割を果たす2年生の男子生徒が黒板に文字を刻み始めた。早くも引き継ぎを終えて、委員長に就任した女子生徒がチョークで書かれた文字を読み上げる。 「京本先生が手配をしてくれていますが、数が多いということなので学園祭当日は朝7時半に登校してください。六石棟の武芸室を貸し切って、祖父母をターゲットにしたお茶菓子店を開きます。その店番や裏方などのシフトを決めなくてはならないので、今から配るプリントに皆さんはクラスの出し物を記入してください。」 書記の男子生徒がプリントを配っていく。窓際の後ろに席を取った露木もそれを受け取り、鞄から筆箱を取り出した。委員長は淡々と続ける。 「まだクラスでの出し物の役割などが決まっていない方は、出し物の詳細だけを記入してください。基本的に2年生は出ずっぱりなので、1年生は1人1時間ほどになります。」 えー、と反論する声が2年生たちから飛ぶも、委員長はまるで気にしていない様子だった。 出し物を記入する欄に1年C組のカフェの名前を記入していく。『浴衣カフェ』という字を記してから、露木はペンを持つ手を止めた。 自分も接客に回ることだろう。もしタイミングが合えば、一条が来店した時に浴衣姿で接客することになる。露木は数日前の岡村との会話を思い出して、思わず頬が緩んでしまう。まだどの浴衣を着るのかという話し合いは行われていないが、とびっきり可愛いものを選ばないといけない。記入を全て終えたにも関わらず、彼女の頭の中は一条との接客でいっぱいだった。 「それでは、記入を終えた方は終わりで大丈夫です。2年生は残ってください。」 委員長の言葉で数人が立ち上がる。我に返った露木は何かを誤魔化すようにすぐさま席を立つと、教壇の上に徐々に積まれていくプリントの上に紙を添えて、足早に2年B組を出た。 放課後の静けさはなかった。授業が終わってもなお生徒たちは廊下に溢れ、学園祭の準備を行っている。しかしほとんどの生徒たちが準備を口実に遊び呆けていた。教員たちもそれを注意しておらず、どことなく緩んでいる空気が漂っている。そのせいか露木は急ぐことなく、ゆっくりと廊下を抜けていった。左の手首に巻かれた時計は午後4時を指している。一度教室に戻って学園祭準備の作業に加わろう、そう考えて露木は階段を降りようとした。 「萌華ちゃん。良かった、いたいた。」 3年生のフロアがある階段の方から声がかかる。葛城陽介は少し髪を切ってツーブロックにしていた。上履きを鳴らして降りてくる葛城に、露木は会釈した。 「葛城先輩、お久しぶりです。」 「久しぶりだね。まぁ1年と3年は会う機会ないもんね。」 着崩した制服が揺れる。彼がやってきた方からも生徒たちの騒ぎ声が聞こえていた。 「萌華ちゃんのところは何やるの?」 「浴衣着てカフェやります。なんか、割とオーソドックスですけど。」 「へぇ、いいじゃん。軽く覗こうかな。」 階段を降りて2階に到着する。露木はそのままC組に向かおうとしたが、葛城は思い出したかのように言った。 「あのさ、伝言を預かってるんだけど。」 「伝言?」 「うん。今から六石棟の資料準備室に行ってくれないかな。」 その名称を聞いて彼女は思わず固まってしまう。どきりとして葛城を見たが、彼は一度だけ頷いた。 「あいつ、待ってるからさ。」 誰とは言わなかったが、露木は分かっていた。学園祭準備の喧騒が突然遠くの方に感じる。くぐもっているように聞こえるのは緊張のせいなのか、彼女には分からなかった。 しかし露木は一度だけ深く息を吸い、彼に向かって頷いた。 「分かりました。ありがとうございます。」 「行ってらっしゃい。頑張って。」 彼の言葉を背に受けて、露木は一目散に階段を駆け下りていった。学園祭の準備にはしゃぐ生徒たちの声に耳を貸すことなく、正面玄関前を左に曲がり、六石棟へ続く廊下を駆け抜けていった。 胸の奥がノックされているように弾む。上履きの底を鳴らして、比較的はしゃぎ声の少ない校内を走っていく。福祉委員会の出し物が行われる武芸室が前に見えて、より鼓動が早くなった。 角を左に曲がる。資料準備室の扉は少し寂しそうに佇んでいて、ゆっくりとその前に近付きながら露木は5月を思い出していた。 何気なくここへ来て、微かな女子生徒の声を聞いた。中途半端に開いた扉の隙間から彼の行為を目撃した。その時は最低だという印象しかなく、一条と距離が縮まるなど考えもしなかった。 しかし徐々に相手のことを知り、時に傷つき、時に苦しんで、隣で笑い合えるようになった。 5ヶ月間の思い出を胸の奥に仕舞い、露木は震える手でドアノブを握り、全てが始まった部屋の扉をゆっくりと開けた。 ギィ、と音が鳴る。午後4時の夕暮れは濃い橙のベールを窓に突き刺し、資料だらけの棚に当たって深い影ができている。徐々にその真ん中にシルエットが浮かび上がり、色や形を帯びていった。ネクタイを緩めた一条は露木を見て微笑んだ。 「よう、萌華。」
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