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床をきつく擦ったような音が体育館全体に鳴り響く。バスケットボールが何度も跳ねて、生徒たちの熱気が飛び交っていた。体育館の中央にかけられた緑色のネットの向こうで男子生徒たちがシュートを決め、割れんばかりの歓声をあげている。 露木は上に紺色のジャージを着て、壁に背をつけて膝を抱えていた。すらりと伸びる脚を摩りながらコートをぼんやりと眺める。露木と岡村は同じチームに割り振られ、試合を終えた2人は退屈そうにしていた。 隠すことなく大きなあくびをした隣の岡村を見て、露木はごくりと唾を飲む。この騒がしさに乗じてしまおう。彼女は恐る恐る岡村に近付いて、声を潜めた。 「ねぇ、恵里。ちょっといい?」 「ん?どうしたの?」 D組の女子生徒が不恰好なシュートを決める。適当に拍手を送りながら、より声を小さくする。 「あのさ、非常に聞きにくいことなんだけど。」 「ふむ。何でしょう。」 「オナニーってしたことある?」 「はっ、え?え。」 勢いよく振り向いた彼女から目を逸らし、咄嗟に視線を落とす。あまりにも突然の発言に岡村は驚きを隠せなかった。 2人の間に沈黙が流れる。その間もシュートは決まり、言葉を交わすことなく拍手を送っていく。ようやく口を開いたのは岡村だった。 「え、っと…まぁ。したことあるよ…。」 下がった目尻が特徴的な彼女は、寂しそうな面持ちで呟く。短い髪を耳にかけているため表情は隠れていなかった。両唇を仕舞い込んで俯いている。露木はどこか安堵したように深い息を吐いて、座ったまま彼女に近付いた。 「い、いつから?」 「うーん…中学生の時だったと思うけど…。」 「どういうきっかけ?」 「えっと、お兄ちゃんが読んでた漫画雑誌にそういうシーンがあって。私は他の話を読みたかったんだけどたまたま目にしちゃってさ。そこでなんかこう、うずうず、みたいな…?」 「気持ちよかった?」 「いや、最初は分からなかったかな…回数重ねていくと段々分かるようになったけど。」 「今はどれくらいの頻度で?」 「週に1回くらい…」 「何時頃?」 「これ何?事情聴取?」 「ああ、ごめん…」 咄嗟に座り直して俯く。彼女は自分自身でもらしくないとは思っていたが、それでも好奇心を抑えられなかった。気まずい雰囲気を噛み殺しながら露木は続ける。 「なんか、その、他に聞く人いないからさ…。」 「まぁ分かるけど…タイミングにびっくりしちゃったよ。」 「そうかも…でもお昼ご飯に聞く内容ではないじゃん?」 「そうだね、一番間違ってるかも。」 性に関する話題はあまりにもデリケートで、たった一言を放り投げるだけで場の空気は凍りつく。急速冷凍されたような2人の間で、力の抜けた言葉が揺蕩っていた。 膝の前でぎゅっと拳を握る。露木は再びゆっくりと切り出した。 「そ、その…1人でしてる時って、何を考えたりしてるの。」 「えー…なんだろう、前にした時を思い出す、とか。」 「嘘。恵里ってもう…エッチしたことあるの…?本当?」 ぼそぼそと単語が消し滓を集めたように紡がれていく。岡村は少し戸惑った表情で頷いた。 「い、いつ?」 「去年の春。その当時好きだった男の子の家に行って、って感じ。」 突然隣に座っていた岡村が別世界に生きる人間に見えてしまった。露木は長い息を吐いて、彼女の体をまじまじと見つめた。 黒いハーフパンツからはほんの少しだけ日に焼けた足が伸びている。痩けているわけでも、脂肪で揺れているわけでもない。健康的な足の付け根、彼女の腰回りに体操服はぴったりと張り付いている。白い半袖の表面は大きく隆起していた。恐らく自分よりもバストのサイズは大きいのだろうと、露木は考えていた。 やがて露木はゆっくりと視線を体育館全体に向けた。 ドリブルをしてレイアップシュートを決める男子生徒も、そのゴール下で溢れ玉を貰おうとするクラスの男子も、拙いドリブルでゴールを目指す隣のクラスの女子生徒も、全員がセックスを経験しているかもしれない。今まで当たり前のように接してきた同年代の生徒達が既に大人への階段の踊り場でたむろしている。もしかしたら自分以外の全員が裏で淫らな姿を曝け出しているかもしれないと、露木はどこか不安に思った。 「あのさ、急にこんなこと聞いてくるって…もしかして萌華。一条先輩と…」 「いや、いやいや、まだだよ。まだっていうのも変だけど。」 「ていうかさ。それどころじゃないでしょ。」 バスケットボールが床を何度も叩く。同じクラスの女子生徒が華麗なシュートを決めて、まばらな拍手を送りながら岡村は鋭い口調で言った。 「クリスマスプレゼント。どうするの。」 少しだけ暖房が効いているせいか、体育館は蒸すような熱気に包まれている。しかし一歩外に出れば肌をつんざくような冷たい風が校内にも吹き荒れていた。 学園祭も終わって、亀梨校長曰く中弛みだという11月の下旬。露木は頭の中にクリスマスの日程を浮かべて、深いため息をついた。 「それがまだ決まってないんだよね。何をあげたら喜んでもらえるかとか、よく分からなくて。」 「財布、マフラー、手袋、色々あるけどね。」 「そうなんだけどさぁ…やっぱり初めてのクリスマスだからさ。」 うーんと岡村は唸る。2人はしばらく考え込み、耳障りなシューズの音を聞いていた。 やがて隣に座っていた岡村は足を崩し、閃いたように言った。 「あっ、あれが一番いいよ。」 膝をついて露木の耳元に近付くと、両手でメガホンを作り出し、彼女の左耳を包みながら小さく呟いた。 「処女。」 「へ?」 「だから、初エッチを一条先輩に捧げるの。」 「お、おお…なるほど…。」 戸惑いながら納得して露木は言う。数日前の夜に想像していた一条とのセックスが朧げに蘇る。それと同時に1人寂しく乱れていた自分を思い出し、彼女は膝小僧に額を合わせた。 「まぁ無理はしないでさ。でもその台詞を言ったら、多分男の人はイチコロだと思うよ。ちょっとセクシーな下着とかもあったら尚良しだけど…でも物はあった方がいいのかな。」 体育館の奥、壁にかかった時計を見る。残り5分で授業が終わるチャイムが鳴り響こうとしている。 露木はその間、頭の中で様々なプレゼント候補を思い浮かべていたが、彼との性行為を想像した映像だけが残り香のように漂い続けていた。
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