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東急東横線の急行に乗り込んだ2人は渋谷に降り立ち、スクランブル交差点を渡ってから買い物を続けた。ショッピングモールなどをはしごしているといつの間にか辺りは暗くなり、徐々に人混みが増えていく。道の至る所を彩るイルミネーションの光の粒よりも人の数は多く、少し油断してしまえば押し潰されてしまうほどだった。
公園通りの交差点に立ち、緑に覆われたMODIの建物を見上げる。一条はポケットから携帯を抜いて画面を確認した。
「もういい頃合いだな。」
「何がですか?」
「ここから行く所。」
隣に立つ彼を見上げて露木は不思議そうに首を傾げる。しかし一条は行く先を言うことなく、信号が青に変わって2人は対岸へ歩き出した。
緩やかに右へ曲がっていく坂道を渡り、渋谷区役所前を抜けていく。徐々に渋谷駅前の喧騒が遠くなった道のりの先は意外にも高い建物は無い。しかし坂を上がった先で眩く輝く青い光の集合体を見つけた露木は、咄嗟に一条の腕を掴んだ。
「え、何ですかここ!すごい!」
「お前見たことねぇのかよ。青の洞窟って言って、有名なイルミネーションだよ。」
信号を渡って代々木公園のケヤキ並木に滑り込む。その手前には青の洞窟と書かれた看板が光っており、左右には青空よりも濃い青の光が壁のように聳え立っている。寒色系の明かりのみで構成されたイルミネーションにも関わらず、冬の鋭い寒さなど気にならないほど無数のカップルが行き交っている。突然現れた一色のみの幻想的な光景に彼女は歩く道中で言葉を失っていた。
青い光が豪雨のように降り注ぐ。咄嗟に掴んだままの腕をぎゅっと体に寄せ、形だけの暖を取りながら白い息を吐く。彼はポケットに手を入れたまま青い天井を見上げていた。
「写真撮らねーの?」
「はい、なんか、焼き付けたくて。」
「そっか。それもいいな。」
言葉数は少ない。しかし2人はそれでいいと感じていた。感想を語る言葉よりも遥かに多い青い光の下、どんな定型文も邪だった。
青の洞窟の真ん中で立ち尽くし、歩いてきた道を振り返る。観光客の頭が絨毯のように敷き詰められている。それをぼんやりと眺めながら露木はふと呟いた。
「先輩と来れてよかった。」
何気ないその一言が漏れたことに気付かず、露木を見る一条の視線を少ししてから知って、彼女は照れを噛み殺して続ける。
「私普段だったらこういう場所来ないし興味も無いんですけど、でも、先輩とだったらもっと行きたいなって。先輩のおかげでこの景色を知ることができて、すごく嬉しいんです。」
「それは俺もだよ。好きな人と来ることができて、本当に良かった。」
そう答えて少しばかり沈黙が生まれる。妙な間に気付いた一条は続けた。
「何だよ、急に黙り込んで。」
「だって先輩、いきなり好きとか言うんですもん…」
「そりゃ好きなんだから言うだろ。好きな飯食って美味しいっていうのと同じだろ。」
「でも、そんな、いきなり…」
「まぁ萌華は俺のこと好きって言わねぇもんな。」
「だって恥ずかしいから…」
「いやいや、いいんだよ。お前のそういうところが可愛いから俺は好きなわけで…いって!肉つねるなよ。」
彼の二の腕をぎゅっと摘んで捻り、露木は唇を尖らせていたが、少しして2人は同時に吹き出して笑った。
いつものように、くだらないことを言って笑い合う。それは特別な日でも変わらなかった。どれほど青い光を浴びようと、男女の群れに揉まれようとも、2人の間に流れる空気は変わらないままだった。
2人は下らないことで笑いながら、距離を空けることなく、青いケヤキ並木を抜けていった。
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