171人が本棚に入れています
本棚に追加
6
ALTを担当するルイスはやたらと明るく、授業の終わりを知らせるチャイムが鳴ってもなお生徒たちと触れ合っていた。どうやら男子生徒からの人気が高いらしい。露木は這うように教室から出ると、壁に沿うようにして置かれたロッカーの前に立つ。教科書を1冊取り出して鉄の平たい扉を閉めた。
廊下の奥から甲高い女子生徒の歓声が聞こえる。数学の教科書を手に取った露木は何気なくその方を見た。
1年A組の教室の向こうで妙な人集りができている。女子生徒たちの真ん中で1人の男子生徒が立っているのが見えた。やがてその群れはゆっくりと蠢き、壁を割くように中から飛び出してきたのは一条景だった。
「よお。」
露木に気が付くと一条は片手を上げる。咄嗟に目を逸らしたはいいが、そこからどうしたらいいかが分からなかった。何も取り出す物はないがロッカーの扉を開き、露木は自らの顔を隠した。
しかしそんな彼女の抵抗など気に留めることなく、一条は乱暴に鉄の扉を閉めると、片肘でロッカーに体を預けた。
「へぇ。1年C組なんだ。俺一年の頃E組だったわ。」
「そ、そうですか。」
「ふーん。ああ、今ここなんだ。教えてやろうか?」
手に持った数学の教科書の表紙をとんとんと指先で叩く。それが妙に挑発しているように感じて、露木は教科書を反対の手に持ち替えた。
「いや、いいです。教室戻った方がいいと思いますよ。」
「なんで?」
「な、なんでって。後5分くらいで次の授業始まりますし。」
「いいじゃんよ。あ、そうか。エロいこと教えて欲しいんだろ。」
「違います!」
咄嗟に一条の前から離れ、彼女は距離を取ろうとする。しかし彼はその様子を見てあの不敵な笑みを浮かべた。
「何だよ。抱かれたいんだろ?」
「あ、あの、いい加減にしてください。」
言葉を震わせて露木は吐き捨てる。彼の体の向こうで大勢の女子生徒たちが、2人を取り囲むようにして眺めていた。
1年生のフロアに3年生がいるという状況も相まってか、徐々に廊下が騒がしくなる。その中心に自分がいるという心境が、露木にとっては苦痛だった。
「あ?何よ。」
ちらりとワイシャツから覗く彼の肌は、氷の上に薄い牛乳を張ったように白く、骨張った胸部の上に小さな十字架のネックレスがかかっている。
「ん?早く言いなよ。」
「そ、そういうのがかっこいいと思ってるんですか。もう時代遅れだと思いますよ。」
肌から冷や汗が染み出す。一条に何かを言う度体の内側が火照るような感覚に、露木はごくりと唾を飲んだ。
「それで?言いたいことはそれで終わり?」
にっこりと微笑んだ一条はロッカーから離れると、指の骨を何度か鳴らして首を傾げた。ざわざわと辺りが騒がしい。
「皆そうやって自己防衛してても、最終的には求めてくるもんなんだよ。」
「私とその皆を一緒にしないでください。」
「でも見てたってことはそうなんだろ?」
彼の不敵な笑みは消えることなく、獲物を狙うような鋭い目が露木を突き刺す。何故か彼は一切引くことなく2人の距離を詰めていく。どうにかして露木が彼から離れようと模索していると、騒めく廊下に氷水を浴びせるような音が鳴った。
ゆったりと間延びしたチャイムがこだましていく。すると一条は小さくため息をついてから言った。
「なぁ、ちょっと放課後付き合えよ。」
露木の掌に汗が滲み、スカートの表で拭った。彼の威圧感がその場の空気を支配しているようだった。
「い、いえ。予定があるので。」
「あっそう。じゃあ、また来るわ。」
簡単に露木から距離をとった一条は、扇ぐように掌を振って廊下の奥に歩いていった。そんな彼の後ろ姿と入れ替わるように数学の担当教員がやってきたものの、露木はその場から動けずにいた。
最初のコメントを投稿しよう!