兆候

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未来の出張の前日、青島は仕事終わりに未来の部屋へとやってきた。 カーテンの隙間から明かりが漏れているのを確認しながら、建物の脇を通り玄関のチャイムを押す。 「おかえりなさい。」 ドアが開いて、未来の笑顔が青島を出迎える。 「ただいま。準備は終わったか?」 「はい。でもあの辺りは、まだ朝晩冷えるからコートをどうしようか迷ってて。」 「行ったことあるのか?」 未来の話しぶりが気になって青島が尋ねると、一瞬 困惑した様子を見せた。 「…子どもの頃に。」 少し間があって言葉少なに答えた未来は、何事もなかったように笑顔を作った。 「今日はカレーですよ。すぐ準備しますね。」 そうして青島に背を向けた未来は、台所で準備を始めた。 炬燵布団がなくなったテーブルで、普段通り夕食を食べながら、普段通りたわい無い話しをして、二人の時間は過ぎて行く。 「ソファーか座椅子でもあった方が、くつろげるかな。」 部屋を見渡しながら、未来が言う。 「いつもどうしてるんだ?」 未来は和室と廊下を仕切る、ひとり分の丁度いい幅の壁を指差した。 「そこを背もたれにしてることが多いです。」 たまに雑誌や膝掛けが置いてあるのは、そういうことだったのかと青島は納得する。 「ゴールデンウィークにでも、探しに行ってみるか?」 青島が言うと、未来は嬉しそうに頷いた。 夕食を食べ終えて、未来がお風呂に行ったのを見計らって、青島はそっと事務所に入った。 出張の話しをしてからずっと、未来が気を張っているように感じていた。 今回の仕事に関して言えば、話しをしない方が不自然なのに、明らかにその話題を避けている。 「一緒に行くべきだった。」 青島は呟いて、迷いながらも電話をかけ始めた。 明くる日の朝は、通勤ラッシュを少しでも避けようと、7時集合になっていた。 駅まで送ると言った青島に対して、手前で降ろしてくれなかったら次からはタクシーで行く、と未来に強く言われ、仕方なく少し離れた路肩に車を止めた。 「朝、早いのにありがとうございます。しっかりリサーチしてきますね。」 もういつも通りの未来だった。 取り越し苦労ならそれでいいと思いながらも、青島の不安な気持ちは消えないままだ。 「お酒を飲むな、って言いたそうな顔してます。」 そんな青島の表情に何を思ったのか、未来はからかうようにそう言った。 「お前のことは、吉田にお願いしてある。でも何かあったらすぐに連絡しろ。分かったか?すぐにだぞ。」 未来の頬にそっと触れながら、青島は言った。 「子どもじゃないんですから大丈夫です。宏さんが行く時の方が、よっぽど心配。」 そう言って車を降りた未来が、朝日を浴びて眩しそうに目を細める姿に、青島は見惚れた。 「行ってきます。」 そんな青島の気持ちは露知らず、未来はにっこりと笑顔を浮かべてから歩き出した。 その背中を見送っていた青島は、角を曲がるときにもう一度手を振った未来を信じようと言い聞かせて、車に乗り込んだ。
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