アイ・監禁・アイ

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 もう、限界だった。  一体、何年目になるのだろうか。  物心ついたときから、私は真っ暗な部屋に閉じ込められていた。  何もない、闇の世界。手を伸ばせばいろいろなものに当たる。だけど私の世界には何もない。 「ここから出して」  そう、言ったことは数えきれない。だけど母は言う。 「駄目よ。外は危ないものがいっぱいで、マナちゃんはすぐに死んでしまうわ」  そして、母はいつもこう続けるのだ。 「……今日も、楽しい物語(おはなし)を聞かせてあげるから。……さあ、イイコね。ちゃんとお座りして聞いて……」 「ここから出して」 「……昨日はどこまで話したかしら? ああそうだ。――はらぺこ紳士は言いました。やあ、良い天気だねお嬢さん。公園のベンチでサンドイッチでもいっしょにいかが?――」 「ここから出して!」  手を伸ばすと、そこにはいつも母が居る。母は大体そうして私と手をつないでいた。  部屋の中を移動するにも、必ず私の手を引いている。私はそれを、酷く疎んでいた。  心の底から鬱陶しい。母が邪魔だった。だけど、仕方が無い。母がいないと生きていけないのだ。  この部屋は闇に包まれていて、母の導きがなければどこに何があるのか分からない。タンスも、洋服のボタンも、包丁も、お箸も、私には何も見えないのだから。 「何も心配しないで。マナちゃんのそばには、お母さんがいるんだから」  母は言う。いつもそう言う。  私は言う。いつもこう言う。 「ここから出して! わたし、公園に行ってみたい。外に出たいよぉ――」  母は答える。 「駄目よ」 「だったらせめて、明かりをつけて。カーテンを開けて! これじゃ何にも視えないじゃない!!」  私の言葉に、母は息を呑んだ。そしてすぐに、怖い声が怒鳴り返してくる。 「視なくていい! なんにも視えなくたって、この部屋にいればマナちゃんは一生幸せでしょう!?」  私は母の手を振り払い、出鱈目に手足をばたつかせた。この部屋は決して広くはない。体を動かせば何かに当たる。足がなにか堅いものに当たった。ガチャンと鋭い、割れる音。私は知っている。ご飯を食べるときはこのへんに座っているのだから、さっき蹴ったのがテーブルで、割れたのは食器。視えないけども知っている。母が読んでくれる物語に、いつも出てきたものたち。  一度も視たことがなくたって、それがどれだけ、危険な物か知っている! 「駄目、マナちゃん! 危ない!!」  私はそれを掴んだ。指先に激痛が走ったが、それこそが期待通りのもの。私は大きな笑い声を上げて、手にあるものを、母に向かって―― 「マナちゃん、駄目! マ――あぁっ――!」  母の悲鳴。げぶっ、と奇妙な音がした。そこから生暖かい飛沫(しぶき)が吹き上がり、私の手と顔にバシャバシャかかった。  そして、母はゲボゲボと可笑しな音を立て、それきり静かになった。  ――やった。  ――ついにやった。やってやった。 「私は自由だ!!」  私は歓喜の声を上げ、闇に向かって駆け出した。たしかこの辺に――あった! これがドアノブというやつだ。母はときどき、これを「がちゃっ」といわせて、外に出るのだ。  私はそれを握って、「がちゃがちゃ」させてみた。やがて、「がちゃっ」という音。体重をかけて押してみると、空気が変わった。知ってる、これは扉というものだ。  扉を開いても、まだ闇だった。足下はひんやりしていた。進むと、突然おでこにガツンと痛みが走った。どうやら壁らしい。撫で回してみると、さっきとよく似た、でも違う形のドアノブがあった。「がちゃっ」で押して、外に出た。  まだ闇だった。でも、それは今が夜だからだろう。ここは外だって、私には分かった。  なぜなら空気が違っていたから。風があったから。色んな音が聞こえる。人間の声――初めて聞く、母以外のヒトの声。 「……ねえ、おばちゃん。だいじょうぶ?」  足下から声がした。まだ小さな子供だろう。私は首を傾げた。 「何が? 私は大丈夫よ」 「そう。じゃあ、良かった。おばちゃん、血まみれみたいにマッカッカだったから」  ……マッカ……真っ赤? 赤。赤色。  不思議な子だな。こんな闇の中で、色が見えたというの?  色って、光が当たって初めて見えるものだよね。闇の中に色は無い。  こんな真夜中に一人でいるのもおかしい気がする。たしか母の読んでくれる物語では、子供は夜に出歩けないはず。  子供はまだ言う。 「でも、それってケガじゃないの?」 「……ああ、手ね。そうね、ちょっと痛いかな」 「手じゃなくて、目。……おばちゃん、めんたま無いのどうして?」  めんたま?  めんたまってなんだろう。そんなもの私は手に入れたことがない。それって何かと聞いてみると、子供の声は答えてくれた。 「ほら、ココにあるやつ。これが無いと何も見えないよ。それがあるから視えるんだよ」  そうだったのか。私は驚いて、同時に、その子供に感心した。めんたま――その魔法のアイテムを、どこでどうやって手に入れたかは知らないけど、だからこの子はこんな闇でも私のことが視えたのね。  私は言った。 「――ねえ、それちょっと、私に貸して」  子供が頷いたのか、首を振ったのかは分からない。私には視えないから。  まあ、あとでしっかりお礼を言えばいいだろう。  私は子供に向かって手を伸ばした。
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