トンネルから

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 ガタタン、ガタン。轟音を響かせながら、電車がトンネルに入っていく。  学校に行きたくない。面倒臭いとか、テストや勉強が嫌だとか、担任の先生がムカつくとか言う生半可な嫌さではない。もっと、深くて重いのだ。憂鬱な気持ちを抱いてため息をついた時、S駅に止まった。  憂鬱な気持ちが少し晴れる。いつもと同じドアから入ってくる彼はいつも通り私の隣に立つ。  名門私立学校の制服を身に(まと)い、紺のブックカバーに覆われた本を取り出した。前に抱えられているリュックは高そうだ。  すらっと背が高く、少し長めなこげ茶の髪が電車に揺られる。  名前も知らない彼。憂鬱な通学時間を彩ってくれる存在だ。  チラッと彼を眺める。長い睫毛が文庫本に影を落とす。  彼と過ごせるのはA駅まで。私も彼もA駅で降りるが、改札でバラバラになってしまう。その過程で人の波に揉まれ、はぐれることも少なくない。  ──不意にハラリ、と足元に何かが落ちた。 「ん?」    反射的にそれを拾ってしまった。一枚の黒の布栞はしなやかで落ち着いた雰囲気を醸し出している。  とっさに顔を上げると彼が「あっ」と洩らしていた。 「あ、あの、これ……」  栞を差し出す。白く大きな掌と交差した瞬間鼓動が跳ねた。  頬が火照り思わず俯いた。 「すみません、ありがとうございます」  初めて聞いた彼の声は、少し低く、どこか色っぽかった。  この一度きりのチャンスを手放したくない。前に抱えていたリュックを背負い直した。 「あの、何を読まれているんですか?」 「え?」 「す、すすみません。あの、気になっただけで」  ぽかんとした顔で見つめて来た。  顔が熱い。私の顔はどこまで熱くなるのだろう。 「あぁ、これ?」  彼は聞いたことのある作家の名前とタイトルを挙げた。   「面白いですか?」 「えぇ。今度貸しましょうか? もうすぐ読み終えるし」 「え、いいんですか」 「はい。あの、毎朝会いますよね」 「あっはい」 「その時に返してくれればいいです」 「ありがとうございます」  たったの二十分のトンネルの中が、彼との会話で彩られる。  それから毎朝改札まで他愛のないことを話した。  同じ高一であることがわかり、タメ口で話すようになった。  話すようになって三日後には名前も教えあうようになった。  彼の名は大内航太(おおうちこうた)。互いに「航太くん」「紗奈(さな)ちゃん」と呼ぶ仲になった。  二十分に車内では、それぞれの学校の授業のことや先生の話というような、一週間もしたら忘れてしまうようなことを囁き、静かに笑った。
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