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水中に佇む船体に、そっと近づく。
そして、窓の近くに寄って『コンコン』と軽く叩いた。
あ、気づいてくれた。
リョウジが驚いた顔でこっちを見ている。まだ私が誰かは分かっていないようだが、潜水士が救助に来たのは分かって貰えたようだ。
あーあぁ、あんなに喜んじゃってぇ。
そうよね、気持ちは分かるわ。だって絶対絶命のピンチから脱したと思ったら、折角掴んだ『蜘蛛の糸』が切れかかったんだから。そりゃ、パニックにもなるわよね。
けど、そこへ救いの手が現れて……。地獄で仏とは、まさにこの事でしょう。
でもね、リョウジ。それは流石に頂けないかもね。
妻である私の目の前で、ココナさんと抱き合ってキスするだなんて。
でも私は大丈夫。『そうだろう』と思っていたから、そんなにショックは受けていない。お陰で気兼ねなく……。
次の行動に、移れるから。
腰の錘を捨て、窓から船底に移動する。
持ってきたロープで自分と探査艇を縛り付け、補助浮力タンクの外部バルブを『開ける』。中の空気がゴボゴボと音を立てて抜け始めた。
浮力を失った探査挺がゆっくりと降下に転じる。
御免ね、皆んな。全ては私が仕組んだストーリーなの。探査艇が故障したのも、再浮上が失敗したのも。浮遊バランスの計算、大変だったんだから。
ああ……気づいたようね、再降下を始めたことに。
二人が慌てふためいているのがよく分かる。
マスクとレギュレータを外し、窓に顔を押し付ける。どうやら『私が誰だか』分かったようね。
ふふ……そんなに怯えちゃって。
私の意図に気づいてくれた? そして全てを悟ってもらえたようね。
『暗闇』から救われたと思っていたら、途中で『糸』を切られて墜ちていく……。その落差と衝撃をあなた達にも教えてあげる。
今度こそ『再浮上』はない。
何それ? 必死の懇願? 『助けてくれ』? 『彼女とは気の迷いだったんだ』? 声は聞こえないけど、言いたい事はよく分かる。だって私はあなたの妻だから。
けど私は怒ってないわ。それよりココナさんはいいのかしら? 半狂乱状態だけど。
あーあ、そんなに泣きわめくだなんて。なんてみっともないんだろう。ねぇ、私はその子と違って取り乱さなかったよ?
『糸』を切られた罪人達は、暗闇の支配する深海へと静かに堕ちていく。
ああ、今の私は幸せだわ。そのアバズレをあなたから引き離せたし。
何より、これでリョウジを誰にも渡さずに済む。
例え水底の砂塵と果てようと。
私はあなたを、離さないから。
完
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