カンダタの糸は深海に堕ちて

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 『140時間』。それは絶望的な数字。ならば、やれる手はひとつしかあるまい。 「仕方ありません。ならば、この船で引き取りに戻るしかないでしょう。この支援船なら片道33時間……往復しても68時間程度で何とかなります」  単純計算で明日の深夜には積載と燃料の補給を完了してUターンが出来るだろう。それなら、4日目の夕方には『かいこう12000』を回収出来る。  ねぇリョウジ、覚えてる? 結婚式の時の事を。私、ずっと泣いていたよね。『私は幸せになっていいんだ』って。掴んだ糸の先に、天国が見えた気がした。 それがになるなんて。 とにかく、今は何としても探査艇を再浮上させる方法を講じねば。 しかし、その決断が意味するのは……。 「……聞こえてる? リョウジ」 《ああ、聞こえてる。港に戻るんだね? 仕方ない、よろしく頼むよ》 力ない返事が帰ってくる。そう、この場を離れるという事は蜘蛛の糸のような光ケーブルが遮断されるという事だ。8500メートルの深海で68時間の孤立……。 「斎藤さん、聞こえてる? 出来るものなら代わってあげたいくらいだけど……すぐに戻ってくるから、何とか耐えててね」 《はい……》 消え入りそうな声。 『間に合わないのでは』という不安は拭えまい。 でも、代われるものなら代りたい。 だって、誰にも邪魔されることなくリョウジを68時間も一人占め出来るのだから。 「光ファイバー、離脱します!」  エンジニアの声とともに、音声とデータリンクが途絶する。  これでもう、後戻りは出来なくなった。何が何でも『かいこう6500』を持って戻ってこなければ。 「面舵一杯! 帰港するぞ、両舷全速!」  船長の指示で、船体が大きく右に傾く。  エンジンがフル回転を始め、船首が波を切り裂いて進む。 「現在ポイント! しっかり記録しておいて!」  ちゃんと念を押しておかないとね。何しろ海に目印は無いんだから。 「……動いてくれますかな『かいこう6500』は」  船長は尚も心配そうだ。 「そうですね……。博物館でも出来る範囲は分解して整備するそうです。後は6時間の耐圧試験で最終確認……私は、スタッフを信じています」  そう、今はただ陸上のスタッフに委ねるしかない。
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