暗闇の初恋

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 私の体内時計が正しければ、今日はたぶん、4月21日の月曜日。ダンジョンで迷子になって3日が経った。  その間、私はずっと暗闇(くらやみ)の中にいる。  暗闇っていうのは文字通り、一筋の光明もない真の闇ってこと。自分の手を顔に近づけても、その輪郭すら見えてこない。昨日あたりから、自分の体と闇との境界線があいまいになって、もしかして私は聴覚だけで(ただよ)う空気みたいな存在になったんじゃないかって気がしてる。  いまは(にぶ)くなりつつある手足の感覚だけが頼りだ。  3日前、私は仲間たちと一緒にこの中級ダンジョンにもぐった。幼馴染で結成した男女5人組のパーティで、剣士2名、盾1名、魔法使い2名とバランスの取れたパーティ。それにすごく仲もいい! と、思ってたんだけど……  魔法使いで一番仲良しのラナが言うように、私はだいぶ「(にぶ)いやつ」だったわけで、だから人間関係に失敗して、いま、こんな暗闇の中に(ひと)り取り残されている。  カツン、と硬質(こうしつ)な音が響いた。右手に握った剣の先が、ダンジョンの壁をこすったんだ。こっちとこっち、人工的に四角く切り取られたような入り口が……。左手を伸ばして確認してみる。やっぱり、休憩所かもしれない!  期待を込めて入り口を抜けた。が、そこにも(やみ)が広がるばかりで光はない。人はいないってことだ。  こんな期待と失望を、もう何度も繰り返してきた。ああ、もう、疲れたよ……。  そのときぐぅとお腹が鳴って、私はへなへなとその場にしゃがみこんだ。汗で固まったポニーテールの髪がぽてっと肩の前に落ちてくる。  休憩所っていうのは、安全地帯に作られるんだ。だからここで伸びてたって、魔物は襲ってこないさ。たぶん。  食料は、といってもたった1枚のクッキーだけど、昨日尽きた。とつぜんだったもので、食料やら火打ち石やら薬やらが入った荷物は道連れにできなかったのだ。落ちてきたとき持ってたのはこの剣と、ポッケの中で腐りかけてたクッキー1枚だけ。また、ぐぅぅとお腹がなる。普段なら恥ずかしいくらいの大音量だけど、残念ながらここに聞かせる相手はいない。 「お腹すいたよぅ!!!」  じたばた、じたばた、赤ちゃんのように(わめ)いてもラナの懐かしい失笑は聞こえてこない。    だいたいこんだけ歩いて人に全く会わないってどういうこと? まさか私、まだ誰も知らない横穴に落ちちゃったとか……じゃあぜったい見つけてもらえないじゃん!  ああ、私はこのまま空腹で野垂れ死ぬか魔物に喰われて死んじゃうんだ。暗闇の中ひっそりと。そんで百年後とかにひょっこり横穴を見つけた冒険者の松明に照らし出されて、私の白骨死体が浮かび上がるんだ。 「ラァナァァァァ」  そんなのやだよぅ! と記憶の中の大好きな友に訴えたときだった。 「あの、冒険者さん」  ビクッと肩が跳ねた。いまのは、空耳……? 寂しさに()えかねた私が作り出した幻聴? 「すみません、生きてますか?」  いや確かに聞こえる! 若い男の人の、優しげな声!  ガバっと起き上がると、(ひたい)に鋭い痛みが走った。いったーい!!  うぅ、と近くでもうめき声が上がって、ああ、額同士をぶつけたんだとわかった。久々の人との接触! 痛いけど、でも嬉しい! 「あ、あの、生きてます! そちらは大丈夫ですか? 私、石頭って言われるからかなり痛いんじゃないかと……」 「ええ、たしかに、強烈で……」  声をかけてた方とまったく別の方向から返事があった。  姿は見えないけど、声質的にやっぱり若い男の人だ。ちょっとだけ恥ずかしくなった。ファーストコンタクトが頭突きって17歳の乙女的にどうよ……?  ていうか、あれ?  なんでまだ、真っ暗なままなんだ? 彼は(あか)りを持っていないのか? 「灯り、持ってないんですか?」 「え?」  男の人は一瞬黙った。えーっと……と考える声が聞こえてくる。気まずさを誤魔化すような沈黙に私はピンときた。  まさか、この人も私と同類? 「荷物を残したまま横穴に落ちちゃったとか……」 「そう、それです!」 「やっぱり!」  ははは、と私たちは笑いあった。乾いた笑い声。  この人は救助隊じゃなかったし、装備ばっちりの冒険者でもなかった。私と同じただの迷子。でも、人と会えただけちょっと気持ちが盛り返したのも事実。  というわけで、まずはお互いの装備品を確認。 「何か食べ物持ってます?」 「……魔物の肉なら」  ふっと、鼻孔(びこう)を血の匂いがかすめた。闇の中ではきっと、彼が肉を持ち上げて見せているのだろう。 「ちなみに炎の魔法が使えたり?」 「……しないです」 「ですよねー、使えてたら灯りに困らないですよねー。ははは、はぁ……」  ガクッと肩を落としていると、でも! と男の人が(はげ)ますように言った。 「水は! 水なら持ってます!」 「マジですか!!」  渡された革袋の水を私はガブガブ飲んだ。3日ぶりの水! 野垂れ死に寸前の水! 生き返る……!  プハーッと口を離し、あ、と思う。やばい、節約しなきゃいけなかったのに。ていうか男の人のぶんが! 「……ごめんなさい」    ほぼ空になった革袋をしおしお返すと、くすりと男の人が笑った気配がした。 「俺は大丈夫です。さっきたくさん飲んだので」  声は、高い位置からふってくる。男の人はだいぶ背が高いみたいだった。 「また歩けそうですか?」 「はい」 「じゃあ、行きましょう。出口を目指すんですよね?」  はい、と答えようとして、なぜだか声がつまった。出口って、あるんだろうか。落ちてくるのは簡単だったけど、上へのぼるための道なんて、あるのかな?  さまよい続けたこの3日間で、私はすっかり弱気になっていた。 「出口はきっとあります。諦めずに、頑張りましょう。ね」  顔を上げる。男の人の姿は見えないけれど。息遣いが、ぬくもりが、伝わってくる。  ……ああそうだ、私は独りじゃない。  気づくとちょっと泣けてきて、それから勇気が湧いてきた。 「はい!」  今度こそ私は元気に返事をした。 「俺はルキフェルといいます。どうぞ気軽にルキと呼んでください」 「私はニーナです! よろしくです!」  コツ、コツ、と剣先で地面の先を確認しながら真っ暗闇を歩いていく。湿ったダンジョン。いつ魔物が飛び出してくるかもわからない怖さ。でも。  すぐとなりからは、落ち着いた息遣いとぬくもりが伝わってくる。ルキがいる。独りじゃないって、なんて心強いんだろう。空腹なのも疲れ切ってるのも変わらないけど、気持ちは上向いていた。 「手、繋ぎませんか?」  私はとなりにいるはずのルキに提案した。 「えっと……」  ルキの戸惑いが伝わってくる。私は焦った。 「べ、別に下心があるわけじゃなくて! はぐれると困るかなーって。それに、どっちかが転けそうになったとき手を繋いでいれば支えられるでしょ」 「下心は(うたが)っていませんよ」  ルキがくすくすと笑っている。低くて、心地いい響きだった。人間は目が見えないと聴覚が鋭くなるっていうのはホントかも。小さな息遣いから衣擦れの音まで、私の耳はルキの音はぜんぶ聞き逃すまいと頑張っている。その存在を確かめて少しでも安心しようとしてるんだ、きっと。  そうだ、音といえば、ここに落ちた日からずっと聞こえてる音がある。カサカサ、カサカサ、例えるなら乾いた葉っぱがじめんをこするような音。すぐ後ろをついてくる。敵意は伝わってこないから大丈夫だと思うんだけど、蜘蛛の魔物かなぁ。  その音はいまも続いてる。 「私と手を繋ぐの、嫌ですか?」  黙ってしまったルキにおずおずとたずねると、 「嫌というわけでは。ただ、俺の手はすごく冷たいので、びっくりさせるかもしれません」 「そんなの気にしませんよ!」  嫌じゃないとわかって、私の声は大きく早口になった。 「私の友だちにラナって子がいるんですけど、その子もすごい冷え性で。年がら年中指先が氷みたいに冷たくなるんです。心が冷たいからじゃない? って私はからかうんですけど……あ、ルキの心が冷たいと言ってるわけじゃなくて! これはあくまで冗談で!」  くそぅ、この()まわしい口め! あんたは一言多い、とはいつもラナから指摘されることだ。黙っていれば美人とも。  それでもルキは気分を害した様子はなかった。やっぱり穏やかに笑っている気配がする。やがてルキが言った。 「繋ぎましょうか、手」 「あ、はい……」  なんだろう、改めて繋ぐとなると緊張する。思えば年齢イコール彼氏なしの私は異性と手を繋いだ経験など当然に皆無だった。  迷ってさまよわせた右手が、ふいに、(つか)まれる。私は思わずぎょっとしてしまった。    つ、冷たすぎ! ってこれ、ラナの比じゃないよ。比喩でも何でもなく、氷だ。 「ね、言ったでしょ」  悲しそうなルキの声がする。離れていきそうになった手を、私はぎゅうと引き止めた。 「大丈夫だよ。本当に、ちょっと、びっくりしたけど。あ、でも、サラサラしてて気持ちいい、よ?」  また余計なことを口走ったと自分を殴りつけたくなったけど、私の"余計な一言"はルキを元気づけるには効果的だったようだ。   「女の子と手を繋いだの、初めてです」  はにかむように言って、ルキはちょっとだけ強く私の手を引いた。   「ねぇ、ルキって何歳なの?」  女の子と手を繋ぐのが初めてな男の子のことが、私は少し気になりだしていた。話しやすいし、同世代かもしれない。 「えっと、見た目は17歳くらいです」 「見た目はって、本当の歳は違うってこと?」 「あ、いや、17歳です」 「なんだ、じゃあ同い年なんじゃん! どこの冒険者学校出身? 知り合いがいるかも」 「あの、冒険者学校には行っていないんです」 「じゃあ叩き上げ組かぁ! すごいね!」  冒険者になるには、2つのルートがある。12歳頃からベテラン冒険者にくっついてダンジョンで3年間修行を積むルートと、5年間学校に通うルートだ。修行タイプは元々特別な能力を持っていたり、すごく強かったりする。つまり、エリート組だ。 「ルキは強いんだねぇ」 「そんなことないですよ」  ルキがどこか自嘲気味なのは、強くてもいまみたいなピンチに(おちい)ってちゃ世話ないですよ、ってことなのかもしれない。 「魔法使いじゃないなら、ルキは剣士?」 「はい。ニーナも剣士ですよね。立派な剣をお持ちだ」 「うん、この前冒険者学校を卒業したときにパパからもらったの。魔族(まぞく)も切れちゃう、すごい力を秘めた剣だって。女の子には、ちょっと重いんだけど」  魔族というのは、人間と敵対する種族だ。めちゃくちゃ強くて、バケモノみたいに不格好な姿で、それで、人間を憎んでる。らしい。実際のところ魔族と会ったことのある人はほとんどいないから、よくわからないんだけど。  過去にあったとされる人間と魔族の戦争なんて、いまじゃおとぎ話だ。 「ねぇ、ここを出たら剣の勝負をしようよ」    「やだなぁ。ニーナは強そうだから、俺が負けちゃいます」    他愛もない会話を続ける。それは繋いだ手から意識をそらすためでもあったし、いまだ出口にだどりつけない不安を誤魔化すためでもあるような気がした。  私たちは二人きりで、真の闇の中。繋いだ手だけがお互いの頼り。すぐ後ろでは、カサカサ、カサカサ、奇妙な音が続いている。  それから、まる1日くらい歩き続けただろうか。さすがに水だけじゃ体力も限界で、足はほとんどひこずるみたいになって、あっと思ったときには私は体のバランスを崩していた。 「おっと」  ルキがすぐに引き上げてくれたけど、タイミングが合わず私のひざはすでに擦りむけていた。すり(ばち)みたいにザラザラな地面にこすれて、そこが、火がついたみたいに痛くなった。  呆然(ぼうぜん)としてしまう。立ち止まってみると、もう少しも前へ進めないような気がした。絶望は、ずっとあったのだ。考えないようにしていだけで。ひたひた、ひたひた、それは後ろをついてくる奇妙な音と同じように私の方へと確実に距離を詰めていて、いま、私を完全に(から)め取ってしまった。 「痛いよぅ、もう無理だよぅ、出口なんてぜったいたどり着けないよぅ……!」  私はその場にしゃがんでワッと泣いた。もうぜんぶが嫌だった。 「ニーナ」  氷のように冷たい手が、私の肩に置かれた。生ぬるい息が顔にかかる。不思議な、甘い匂いがした。蜂蜜(はちみつ)みたいな。吸うと、もっとお腹がすく気がした。なんだかぼんやりしてしまう。と、私を正気に戻そうとするように肩が強く揺すられた。 「ニーナ。ずっと昔に亡くなった、俺のひいおばあさんが言ってました。人間が突然取り乱すときは、たいてい何か他に理由があるって。さぁ、本当は何が心配なんですか」  私はしばし泣くのをやめて感心してしまった。そのおばあさん、なかなかするどい。確かに私には出口が見つからないことの他に、もっと心配なことがあるのだった。 「私の、親友のことなの……」  私はぽつりと打ち明けた。目の前の闇がうごめく。ルキがすぐ近くで待ってくれている。  私が所属する冒険者パーティのメンバーは5人。男女バランスの良いパーティで、全員が幼馴染。その中に、魔法使いで私の大親友のラナがいる。そしてジェイクという盾術師がいる。 「ジェイクはニーナのことが好きなんだって」  3日前のあの日、ダンジョンの休憩所でラナは言ったのだ。みんな近くの探索に出ていて、私たちは二人きりだった。ランプのオレンジ色の光に照らされたラナの横顔は不機嫌そうだった。  ラナとはずっと親友だったけど、恋愛の話はしたことがなかった。好きとか、よくわからない。ラナも私も道行くカップルを首を傾げて見送るばかりだった。  そんなラナから突然恋の話を振られ、私はとまどった。どう反応していいかわかんなくて、私の顔はたちまち真っ赤になったのだと思う。それをラナは、喜んでいると受け取ったらしい。 「ああ、そう。ニーナもジェイクが好きなのね」  カッと目を向いたラナは、顔を真っ赤にしてすごく怒っていた。それで私は持ち前の空気の読めなさを発揮して、 「どうして怒ってるの?」  ラナに聞いてしまったのだ。 「あんたってホント、鈍いやつ」  よくよく考えればわかることだったのに。ラナは、ジェイクのことが好きだったんだ。    ラナは私の胸をドンと押した。それで私は横穴の底に真っ逆さま。  最後に見た、ラナの泣きそうな、怒ったような顔が忘れられない。 「恋ってわからない」  私はルキに訴えた。 「恋は不滅なはずの友情をあっさり壊してしまうものなの? だったら私は恋なんかしたくないよ。ラナも同じだと思ってたのに」  繋いだままの、ルキの手。冷たくて、サラサラの手。私の体温がうつって、少しだけぬるくなった手。その手が闇の向こうに一瞬だけ離れて、私の怪我をしたひざを優しく押さえた。……不思議、すごく温かい。 「ラナは、寂しかったのかもしれないね」  穏やかな声でルキは言った。 「ずっと一緒にいられると思っていた親友をジェイクに取られちゃう気がして」  手が、ひざから離れた。火がつくような痛みが、消えていた。 「ラナは私と仲直りしてくれるかな。私バカだし、鈍いし、いっつも一言多いし、親友を傷つけちゃうような最低なやつだけど。良いところなんて、いっこもないけど。それでもラナはまた、私と親友になってくれるかなぁ?」  ふわっと、頭の上に重みが乗った。ルキが頭をなでてくれたのだと遅れて気づく。 「その気持ちをまっすぐ伝えれば、きっと」  ──あれ、なんか、心臓が痛い?  さぁ立って、とルキは私の手をぐっと引いた。 「あっ──」  怪我のせいか、うまく足に力が入らなかった。右足が左足に絡まって、私は前のめりに倒れてしまった。  カサッ。  そのとき、指先が何か乾いたモノに触れた。ちょうど、ルキがいるはずの場所だった。闇の中に手を伸ばし、もう一度その感触を探す。けれど正体をとらえる前に、私の手は再び氷のように冷たい手に握られていた。  何も見えない闇の中をまた、ルキに手を引かれながら進む。私はなんとなく、もやもやした気分だった。  カサッ。あの音。  後ろをずっとついてくる音と似ていた。  カサッカサッ。  あの音はいま後ろじゃなくて、すぐ横から聞こえないか。  カサ、カサ、カサ、カサ。乾いた葉っぱが地面をこするような、音。  心臓が、どくどく大きく鳴りだした。見えないはずのルキの姿が、急に恐ろしげなモノに見えてくる気がした。手を繋いでいる男の子が何者か、闇の中で、私には確かめるすべがない。 「ルキ──」  何かを確かめようとして、だけどそのとき、 「見て、ニーナ」  ルキの声にはじかれるように顔を上げるとその先に、 「あっ!」  白い光が、あった。それはまだまだ遠くて、私たちがいるこの場所は相変わらず闇の中だけど、でも、あれは本物の光だ。四角い、出口だ。 「ルキ! やったねっ! 助かったねっ!」  嬉しくて振り返ると、闇の中でルキが微笑む気配がした。それからふっと沈黙する。 「……ニーナ、先に行ってください」 「どうして? 一緒に行こうよ」 「でも、俺は、とても醜い姿をしているから。見せるのは勇気がいるんです。気になる女の子に見せるなら、なおさら」  気になる女の子。なんだか胸がむずむずして、急に、逃げ出したいような気持ちになった。たぶん、顔は真っ赤だ。 「気にしないのに……」  という言葉が、小さくしぼんでしまう。 「ねぇ、ニーナ。こうしませんか」  ルキが思いがけず明るく言った。 「俺たちは、お互い姿は知らないけれど、声を知っていますよね。だから声を頼りに、またいつか出会いましょう。外の世界でお互いを探すんです。これは俺と君との秘密のゲームです。ね、おもしろそうでしょう?」  それは、たしかにおもしろそうだと思った。胸が高鳴ってくる。 「わかった! 声を頼りに、私はルキを探す!」 「決まりですね」  じゃあ、ほら、とルキが私を促す。 「先に行ってください」  私は白い光に向けて一歩、足を踏み出した。繋いでいた手が、するりとほどけていく。と、ほどけかけた手が、名残惜(なごりお)しむようにまた、引かれた。 「ニーナ。最後に、ひとつだけ。自分には良いところなんていっこもないと君は言ったけれど、そんなことはないからね。この4日間、君は一生懸命歩いた。クッキーを節約して、魔物に襲われないよう神経を研ぎ澄まして、君はすごく頑張り屋さんだ。だから俺は──」  目がつぶれるほど強い光に包まれる。5日目の朝、私はダンジョンを脱出した。 「ニーナ!」  へろへろになりながらダンジョンの入り口にまわると、紺色のショートカットがぶつかってきた。それは大好きな私の親友だった。 「ラナ……」  ちょっとキツイ印象を与える猫目はいま、涙でぐちゃぐちゃだった。その顔を見ると、私もワッと泣けてきた。 「ごめんね、ラナ。私、ラナがジェイクのこと好きって気づいてあげられなくて」 「は? ちゃうわ! 私が好きなのはあんた! 私はニーナを愛してるの!」 「え?」 「なのにあんたは(にぶ)ちんで、ぜんぜん気づいてくれなくて、なのにジェイクに掻っ攫われるのかと思うとムカついて、それで、つい……。ごめんねニーナぁ!!」 「ええーっ!!」  私はぎゅうとラナに抱きつかれながら、ぼんやり思った。恋ってわからない……。  結局、私もラナもジェイクが好きじゃないとわかって、いちばん傷ついたのはジェイクっていう結果になった。 「俺、告白もしてないのに二人にフラれた感じになってんじゃん……」  ふと見ると、ズボンのひざの部分に丸く穴があいていた。でも、不思議なことに、傷はない。あのとき、たしかに怪我したはずなのに……  ダンジョンの入り口を振り返る。岩肌にぽっかりあいた四角い闇。  私はルキと出会ったときのことを思い出していた。ルキは最初、私に呼びかけたのだ。 『あの、冒険者さん』  同業者に、そんなふうに呼びかけるものだろうか。まるで、別の職業の人をへりくだって呼ぶみたいに。それに、まるで見えてるみたいに私を先導したルキの力強い手。  ルキはいったい何者だったのだろう。  うーん……  考えて、でも、まぁいっか、と思った。  だって、ルキはルキだ。  約束通り、私はこの明るい世界でルキを探すんだ。あの優しい声を、ちゃんと覚えている。
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