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 その後、私は無事に卒業し、なんとか地元の税理事務所の事務員として雇ってもらうことになった。決まったのは2月で、滑り込みで就職できたことを、店長と奥さんは自分の子供のことのように喜んでくれた。報告していたらサクラダさんがやっぱりリタちゃんを連れてやってきて、シエちゃんからエコーを買うのもこれで最後だねと前歯が欠けた歯で笑った。最後の日もリタちゃんは私を親の仇のように吠えた。  就職してからも、元バイト先にはしょっちゅう買い物に行った。自転車で行ける距離だし、週刊少年ジャンプを正規の発売日よりも1日早く売り出してくれるのも、理由の一つだった。リタちゃんとサクラダさんに会うこともしばしば会った。私の後に、新しいバイトは雇っていないようだった。  働き出してからあっという間に数年が経ち、私は犬を飼うことになった。山の中で生まれた仔犬を店長の知人が保護し、店長づてに紹介してもらったのだ。白地に茶色のブチが所々入った毛並みのふわふわな雑種で、その犬を私はフクと名付けた。きつね顔で、布団の上でふくふくと幸せそうに眠る。  飼い始めてから少しして、仕事が休みの土曜日の夕方に、仔犬のフクを見せに元バイト先に行った。店に入らなければ大丈夫だろうと思ったからだ。広めのショルダーバックに、顔がひょっこり出せるように入れて。まだ外を自分の足で歩かせるには心配だった。『河内酒店』というシンプルな店の看板が変わらない。店先で声をかけると、店長と奥さんが出てきてフクを可愛がってくれた。器量が良さげだね、女の子? と奥さんが聞いてきたので、女の子ですと答えた。今トイレトレーニング中で、結構大変です。そう話していると、リタちゃんを抱っこしたサクラダさんが店にやってきた。  数ヶ月ぶりに顔を合わせるサクラダさんは、私がバイトをしていた頃よりも萎んで見えた。リタちゃんも相変わらず私に吠えるけれど、昔のような尖った音じゃない。少ししゃがれた鳴き声だった。  犬も人も、あの時よりもさらに歳を取ったのだと思わされた瞬間だった。 「あれ、シエちゃんも犬飼い始めたの」 「はい、店長からご縁をいただきまして」 「そうなんだ、よかったね。撫でても良いかな?」  鞄の中で、フクは大変おとなしかった。知らない人に囲まれているのが、少し怖かったのかもしれない。店長にも奥さんにも、借りてきた猫のように静かに撫でられていた。老人の皺だらけの顔を、まんまるの瞳で見つめている。水気のない手がフクの額に触れようとした時。  リタちゃんが猛烈に吠えた。キャンキャンキャンキャンと狂ったように。怒りのような、悲しみのような音で。  これは誰に吠えたのだろうか。私なのか、それともフクになのか。さっきのしわがれた老女のような音ではなく、昔のように尖っていた。 「ウチの姫に嫉妬されちまった。また今度ね」  サクラダさんはリタちゃんを抱き直して、店長にエコー、と注文した。手を引っ込めると、リタちゃんは吠えるのをやめた。それでもぐるぐる唸っている。もうたばこはやめなよ。体今悪いんでしょ? と店長が言っても、サクラダさんは笑顔で突っぱねた。サクラダさんはエコーだけ買って家に戻っていった。店長は、新しい酒を勧めなかった。
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