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キラーネーム
俺が吹き出したアイスミントティーは、澤村の頭にかかり、彼のかろうじて残っている前髪を生まれたてのヒヨコみたいに濡らした。
いいんだ、いいんだ。
彼は後ろポケットから出したハンカチで頭を拭い、謝ろうとした俺を制した。
「これには入ってるわけないじゃないのー。大丈夫だって、うちの社員信じてよ」
胡散臭さしかないこの連中の、何を基準にして信じればいいのだ。
「うちの事務所はね。本当に悪い奴を殺す仕事しか受けないことにしてるの。だから、政治家の利権関係とか、そういうコロシじゃなくて、本当に可哀想な人だけ助かるようにしてるの」
世の中本当に悪い奴なんかいるのだろうか。
誰かにとっては悪い奴でも、他の人からは大事な人だったりするもんではないか。
うちの会社の柏原だって、俺や小林には嫌な奴でも、柏原の息子にとってはいいお母さんなのかもしれない。
その善悪は何を基準に決めるのだろう。
「クライアントから依頼が来るでしょ、でも本当に悪い奴かわからないでしょ。もしかしたら逆恨みで本当に悪い奴はそのクライアント自身だったり。だから仕事受ける前に、素性とかその信憑性を調べるの、探偵みたいに。彼女の仕事は主にそっちの方」
ねー、ミーちゃん。と大きい声で童顔のシングルマザーの方に声をかけるが、彼女は反応せず、また引出しを開け、次の漫画を読み始めた。
「ミーちゃんは、ミントって呼ばれてるんだよ。彼女はミントが好きだからなぁ。それでさっき一緒に入ってきた男の子はマック。PCとかネット系に詳しいし、彼も情報を集めるのが仕事」
「あぁ、パソコンがMac《まっく》とかだからですか」
マックと呼ばれた男は、かちゃかちゃ打ち込んでいたキーボードの手を止めると「ウインドウズです」とこちらを見ずに応えた。
「彼は朝昼晩、3食ともマックで済ませるんだよ」
なんかあだ名の付け方がかなり幼稚だな、と思った。
「みんなあだ名で呼び合うですか?」
相手の空気に飲まれ、べつにさして重要ではないような質問をしてしまった。
「そう、『キラーネーム』って呼んでんだけど。殺し屋の時の名前。自分で決める奴もいるし、俺が命名する時もある。いろんな奴がいるよ。『アゲハ』って奴がいるんだよ。バタフライナイフ持ってる奴で。えーっとねー、『ランボー』『ジバンシイ』『リトルハンド』でしょ。あとねー、そういえば辞めた奴だけど『ウンコ』って奴いたなー」
「それ、僕と入れ違いで辞めた人ですよね」
マックが応えた。
えっ!?まさか殺人の時にウンコ投げる奴とか......。
「そう、あいつは2〜3週間でも平気で風呂入らねーから、すげー臭ぇ奴で。臭ぇから『ウンコ』って命名してやった」
やはりネーミングセンスが幼稚だ。あとの人たちも、なんとなく命名理由が想像できた。
「あだ名は、みんなの素性を隠すためなんでしょうか?」
またもくだらない質問をしてしまった。
「違うよ、なんかあだ名の方が、かっこいいでしょ」
わかったような、わからないような理屈だが、そのネーミングセンスが格好悪いのは確かだ。
「ちなみに所長の俺のキラーネームは『Mr.ブラック』だ」
澤村は嬉しそうに、胸を張って言った。
「浅野くんのあだ名を考えなきゃね」
「ちょっと待ってください。俺、ここに入るって言ってないし。だいたい、なんで俺の名前知ってるんですか」
そんなの簡単ですよ。マックがデスクに座ったまま振り返り、言った。キーボードの操作を中断して、マクドナルドの袋を持ち、こちらに来た。ミーちゃん、俺にもミントティーちょうだい、彼はそう言って、俺の隣に座った。
「あのビルに入っている会社を調べて、アナタが勤めているであろう会社をピックアップします」
マックと呼ばれた男はハンバーガーの包みを開けながら説明を始めた。マクドナルド特有の油の匂いが部屋に充満した。
「その近辺の防犯カメラをハッキングして、ここ1〜2週間のアナタの行動を掴んで、何度かアナタが通っているであろう取引先に『いつもお世話になっております〜、担当の....』って言えば、相手先が『ああ、浅野さんね』ってすぐ答えてくれますよ。あとはアナタの会社のデータをハッキングすれば、フルネーム、住所、電話番号、家族構成くらいならすぐわかります。こんなの1時間くらいで調べられますよ」
個人情報、個人情報とうるさい世の中になってはいるが、ちょっと法律を破れて詳しい奴がいる限り、どんなに気をつけたって個人情報なんて、だだ漏れなんだろうな。
パンっ!澤村が手を叩いて、大きい音を出した。オッさんの手を叩くのと、クシャミは、無意味に大きいので腹が立つ。
「どう、『アサシン』ってのは。浅野のアサと、真一のシンで『アサシン』。アサシンって暗殺者って意味だから、ねえ、どう、カッコよくない」
そんなのただ名前を略しただけで小学生レベルだ。やはりこの男のネーミングセンスは低過ぎる。
マックと呼ばれた男は、ハンバーガーを食べながら、俺の肩に手を置いて言った。
「大丈夫ですよ。所長、気まぐれだから、あだ名、飽きるとすぐ変えますから」
「『所長』じゃない。『Mr.ブラック』と呼べと言ってるだろ!」
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