ババアを泣かす

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ババアを泣かす

 今朝起きると、里穂がお腹が痛いと言い出した。昨日アイスを欲張ってダブルで食べたから、お腹を壊したのかと思ったが、少し熱もある。  妻は今日は外せない仕事があるらしく、俺が小児科に連れて行くことにした。今月のフレックスタイムをまだ使っていなかったので、上司に電話し、理由を話すと、軽く嫌味を言われて、午後出勤の許可をもらった。午後は妻の実家のお義母さんが預かってくれるという。 「ごめんね、ママお仕事行ってくるけど。病院でお薬もらってくれば、すぐ治っちゃうからね」  妻はヒールの低いパンプスを履きながら、娘の頭を撫でた。 「大丈夫。子供じゃないし」  里穂は辛そうだったが、昨日の続きの冗談を言った。 「じゃあお薬は粉じゃなくて、玉にしてもらおうか」  里穂は俺の顔を見て、舌を出した。  小児科に連れて行くと、風邪の菌がお腹に入っただけだという診断で、抗生物質と整腸剤、それと高熱が出てしまった時の頓服薬が出された。全て粉薬にしてもらった。  そして里穂を実家のお義母さんに預け、会社に向かった。今から向かっても、昼休み中に会社に着きそうだ。  会社に着くと、事務室はなにか物々しい雰囲気だった。小林の席の周りを数人の社員が取り囲んでいる。 「どうした?」  すぐそばにいた女子社員に声をかけた。 「それが、また柏原さんが、いつもの調子でチョビチョビしたらしくて、ついに小林くんがキレちゃって」  柏原を見ると、何事もなかったよう装い雑誌を開いてはいるが、明らかに興奮が収まらないようで、鼻の穴を膨らませている。  俺は小林に近づいた。 「俺、会社辞めますよ」  彼は開口一番そう言った。  昨日妻と話していたことが、早速当たりそうだ。 「ちょっと待て。なにがあった」 「昨日見られたんですよ、あのババアに」  話を纏めると、昨夜友達と飲みに行き、まあ、男女人数を合わせた所謂合コンだが、そのうちの一人と意気が合い、2人で歩いているところを柏原に目撃されたらしい。それは若い人のことなので特に問題なさそうなことなのだが、彼は2ヶ月前から宣伝部の女子社員と付き合っていて、その彼女に柏原は告げ口したらしい。 「言わないでくださいって言ったんすよ、それなのに、あのババア面白がって、俺の目の前で彼女にチクッて。べつにその女とはヤッてないっすけど」  いや、それは知らないけど。 「そうしたら、ホテルから出てきたところだったとか、適当に話盛りやがって!ちょっとこれ見てくださいよ!」  小林は彼女からのLINEを見せてきた。  最低、別れる。とだけ入力されていた。 「だからって、お前が会社辞めることはないだろ」 「それで頭きて、それに今までのムカついたこととか、全部言っちゃって。なんかあのババアに言いたいこと溜まってたんで。そんなくだらないことでって浅野さん言うかもしれないけど、もう言いたいこと言ったんで、会社辞めてもいいです」  俺は柏原の席に行った。 「柏原さん、小林も悪いですけど、柏原さんも、ちょっと謝った方がいいんじゃないですか」 「なんでよ!わたしは彼女が可哀想だと思って、教えてあげたんじゃない。悪いのは小林くんでしょ。それを自分が悪いのをすり替えようとして、あることないこと今までの文句を言ってきて。それにわたしのこと、何回もババアって言ってきたのよ」 「あることないこと言ったのは、あなたでしょ」 「なぁに、わたしだけが悪いって言うの。浅野くんさぁ、若い子の肩持ちすぎじゃない。若い子から慕われようと必死なのはわかるけど、甘やかせすぎよ。どうせ、娘さんも甘やかせて我儘に育ててるんでしょ。それじゃお子さんの教育によくないわよ」  ここへきて、関係ないうちの娘まで中傷されるのには、俺も我慢できなかった。 「おい、ババア!いい加減にしろ」  表面張力で保っていた水は、コップから溢れ出した。俺の意思とはべつにして、口が勝手に動いている。止めようと思っても、止まらない。自分の声が遠くから聞こえるような感じがする。今までの我儘な態度のこと、どれだけ周りが迷惑しているか、どれだけ周りが柏原のことを嫌っているか、最後に言うことがなくなって、ブタだ、デブだと容姿のことまでも全部文句言ってやった。  最初は、いつも大声をあげない俺が豹変したことに周りは引いていた。  慌てて小林が止め入ってきた。  気づくと柏原は気持ち悪い大声をあげて、泣いていた。椅子に座ったまま、顔を上に向け口を開き、なんか動物の遠吠えみたいだった。 「気持ち悪ぃんだよ、ババア。こっちが辞めてやるよ。お前と同じ空気なんかすってたくねぇからなー!」  その辺にあった椅子を蹴飛ばし、会社から出て行った。
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