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 翌朝のニュースは混乱を極めていた。  またどこかの国から人が消えたらしい。今度はどこかとテレビを食い入るように見つめていると、昨日私が指した国の名前が発表された。  テレビの中では近隣の国々の困惑した様子が流れている。私はテレビを消し、家を出た。外の様子は、いつもと変わらない。乗り慣れた電車の中や、友人たちの話題は今朝のニュースの話題で盛り上がっているようだったが。  私は一抹の不安と疑念を気のせいだと自分に言い聞かせた。友人たちの中で、愛想笑いを作り、世間話に花を咲かせる。そして、昨日と同じように研究室へと向かう。  昨日と同じ光景が広がるだけの、静かで外界とは切り離された空間。  マビキさんは昨日の帰り際に見た時と寸分違わず、同じ場所で浴槽の地図を眺めている。  よく見ると、昨日私が指し、人が消えたという箇所には積み上げられている駒がなかった。  マビキさんは私に気付くと、ああ、と漏らして言う。 「当たったね」  その言葉の意味は、よくわからない。  意味を図りかね、私は口籠る。 「今日も、お願いできるかな」  そう囁く。  餌やりのことだろうか。それとも……。と、思わず球体に視線を送る。  マビキさんは頷き、球体を回す。  私はまた、恐る恐る、目の前で回転し続けるそれに両手を伸ばした。  昨日のはただの偶然だ。きっとあの地図もニュースを元にして、何かを調べているか或いは全く関係のないことをしているのだろう。  ドクドクとうるさく鳴る心臓と、背筋を伝う嫌な汗が衣服を濡らす。全てが杞憂であって欲しいと願いながら、昨日よりも時間をかけて、見知らぬ小さな国を指差す。 「ふうん」  マビキさんは鼻を鳴らして、薄笑いを浮かべた。  実験って、なんの実験なんですか?    そう聞きたくてたまらなかったが、その日も私は、黙って動物たちに餌をやり、藻だらけの水槽の掃除をして帰宅した。  家に帰ってからも、テレビは朝と同じニュースを繰り返している。  新しい話題といえば、各地の空港では人が押し寄せ、大混乱が起きているとか。  映し出されたインタビューでは、マイクを向けられた人々が、カメラに向かって不安で仕方がないと一様に口を揃えていた。  明日はどこで人が消えるのだろう。  私はその日、初めてそう思い、眠れない夜を過ごした。  何度も寝返りを打ち、ようやくうとうとし始めた頃、点けっぱなしのテレビの音に覚醒を促される。緊急速報だ。  毛布に包まったまま目を開けると、時刻は明け方に近い。カーテンの向こうは、まだ薄暗かった。  白い文字で画面上部に表示される文章の中、昨日までならピンと来るはずもなかった国名に、目が釘付けになる。  文字の表示が消えたあとも、その名前が頭から離れるはずがなかった。    私は枕に頭を押し付け、ただ首を振る。  たまたまに過ぎない。ただの偶然なのだとひたすら自分に言い聞かせる。それに私は地理に疎い。似たような名前の別の国だという可能性だってあるじゃないか。と。  マビキさんは、「当たった」と言っていた。  言葉の意味はわからないが、きっと全て偶然でしかない。  そう言い聞かせて、その日は普段よりも遅い電車に乗った。  まず図書館に行き、ここ数日の事件についての記事を読み漁る。  どの記事を見ても、ニュースと同じように「人が突然いなくなった」としか書かれていない。  ある記事には、国境を越えようと立ち止まった瞬間、先を歩いていた人達が忽然と姿を消した。と書かれていたり、調査隊の情報によると民家には人の住んでいた形跡が残されたままだとか、そういったことばかりが書かれている。が、原因の一切は不明のままのようだ。国や学者が関連性や原因、あるいは予測などの究明を急いでいると、どの記事にも書いてあった。  私は図書館を後にし、側の本屋で世界地図を買って、研究室に向かうことにする。  途中で出会った友人からは遅刻の理由を追求されたが、あまりに酷い私の顔色に気付くと口を噤んだ。「お大事に」と言い残し去った。  友人らも、毎日世界のどこかで起こるこの事件に不安を覚え始めているようにも思えた。 「やぁ。また当たったね」  研究室に入ると、マビキさんは開口一番にそう言って私を出迎えた。 「……当たった、って、どういう意味ですか」 「…………そのままの、意味だよ?」  マビキさんはキョトンと首を傾げる。 「偶然だと?」 「そうじゃないと思っているのかい?」  私は思わず声を荒げたが、マビキさんは更に首をひねって、言う。 「まさか、自分が指した場所から人が消えていく、とでも?」 「違うんですか」  マビキさんは答えず、私に背を向ける。  浴槽を覗き込むと、図書館で地図を食い入るように見つめて確認した、人の消えた国々の場所から、駒がなくなっている。 「その地図の、国の上に置かれた駒の数が、その国の人口ですね?」 「そうだよ」 「それはこの出来事で減った人口を数えているんですか?」 「それもある、かな」 「なんのために」 「そういう仕事なんだよ。ああ、そういえば新しい水槽と小屋が届いたよ。増えた分は、分けた方がいいんだろう?」  マビキさんの言葉は、煙に巻くようだった。  だがその日、私がいる間、マビキさんが球体を回すことはなかった。
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