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 翌日、また人が消えた。けれども、私は人が消えたことよりもそれを私が選んでいないことの方が重要で、ホッとした。  翌日も、その翌日も。  世界からは大量の人が消えた。  世界中が穴のように空白だらけになっていく。そんな感覚を毎日、世界地図を塗り潰しながら覚えていた。  私は何日も研究室には行かずに、家に閉じこもった。  そうしながら、世界のどこかで消える人を思い、明日消えるかもしれない自分の国を地図上で見つめては、震える日々を送る。  流通は徐々に止まり始め、各地で移民が増えているという報道もあった。私達が住まう国も、もう例外ではない。  先だっては、海を挟んで隣の国も被害に遭ったばかりだ。「被害」という表現は正しくないのかもしれないが。  しかし、今朝は新しいニュースが報じられない、初めての日だった。  それでも、久しぶりに出た部屋の外に目に見える変化は感じられない。  私は研究室の前に立ち、恐る恐る部屋の扉を開く。  そっと水槽だらけの部屋に入り込んで、中の様子を確認する。  水槽は全滅しているのではないかと思っていたけれど、どの水槽もそこまで悲惨な風には見られなかった。  小動物の小屋には変化が見られた。  何匹か小さいのが増え、ところどころに赤黒い染みを作っている。  私は静かに水槽、小屋を眺めて確認し、棚の向こうへと足を忍ばせる。  棚に隠れるようにして奥を覗き込んだ時、何かが水に飛び込むような音が、聞こえてきた。  マビキさんが、地図の上を払い退けるように手を動かしていた。そこにあった駒が、水の中に落ちていく音だった。  無造作で、気負いもない。埃を払うような、仕草だった。 「ああ、こんにちは。久しぶりだね。もう来ないのかと思っていたよ」  そう言いながら、マビキさんは球体を回す。  ぐるぐると球は回り続ける。唸るような音を立てながら。  浴槽の中、落ちた駒は浮かんではこない。それどころか、水の底にも落ちてはいないようだ。部屋が暗いから、そう見えるだけだろうか。  よく見ると、以前駒がなくなっていた国の上に、また駒がいくつか積まれている。 「久しぶりに止めてみるかい?」  マビキさんがそう言って、私を肩越しに振り返った。  私は首を横に振る。 「なら、私が止めよう」  言うが早いか、マビキさんの指は真っ直ぐに回転を止める。軽く、柔らかな動作だった。  そして、とても見慣れた形の島国をピッタリとその指は示していた。  その瞬間は、まるでスロウモーションのように、私の目に映った。  私は、どんな顔をしていただろう。マビキさんには、どんな表情に映ったのだろう。 「君は最後まで残りたいと言っていたからね、後は好きにしていいよ」  マビキさんはにっこりと笑う。 「何を、……するんですか」  私の声は震えていたと思う。 「仕事だよ。名前の通り、間引くのが私の仕事でね」  くるりと浴槽に体の向きを戻すと、この国を模して浮かんだ場所から、積んであった駒を払い除けていった。  私は思わず、払い落とされようとした駒のいくつかを掴んだ。そのまま、握った手を地図の上に押さえつける。  取りそこねた駒が、だるま落としが崩れた時のように積まれた駒が、音を立てながら沈んで消えていく。  私が押さえつけた反動で、関係のない場所の駒まで振るい落ちたような気もする。だけど、気にしていられなかった。  私は握った駒をそっと、自国の上に戻す。どうしてこんな行動に出てしまったのか、自分でもわからない。  だが、我に返りマビキさんを見上げた時、そこにもう人の姿は存在しなかった。  え、と声を上げ、廊下に飛び出す。建物や窓の外、敷地のどこにも人の気配が感じられない。  その時、世界が足元からぐらりと揺らぐ。研究室の中で棚が、ガタガタと音を立てていた。
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