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ある日、私たちの世界から人が消え始めた。
最初は、名前しか知らない国の町から。翌日は有名だけど、小さな国から。
それはあっという間に世界に広がり、ニュースになった。
それでも、私達には関係のない、どこかの国の大問題なニュースの一つでしかなかった。
「災害とか?」
「大規模殺人事件かもね」
そんな無責任な噂話が飛び交う程度の。
「ねぇ、明日消えるとしたらどうする?」
そう囁くのは友人の一人だった。
私は笑った。
「やだー。私は絶対に最後まで残るからね」
なんて軽口を叩きながら。
一日の終わり。先に帰宅する友人に手を振って薄暗い廊下を歩いていた時、見知った教授から声を掛けられた。
ある研究室の教授を手伝って欲しいと言うのだ。それは聞いたこともない研究室と教授の名だった。
訝しげに生返事を返した私に、教授はとにかく一度研究室に行ってみてくれ。と言い、場所を告げた。断る間もなく去って行く教授に取り残され、私は仕方なくその研究室に向かうことにする。
たまたま、進行方向だったから。
その研究室は古びた建物の一番奥にひっそりと存在していた。
ドアをノックすると、中からどうぞと声がする。
「失礼します」
一声かけて足を踏み入れると、そこはまるで異空間のように見えた。
湿った空気。生き物の臭い。暖房が入っているのか、少し暖かい。ぶーんと振動音のような音が鳴っていて、部屋の壁は暗幕を張り巡らせたように暗い。水槽が並んだ棚の向こう、奥は青い照明で淡く照らされているようだった。
振動音は、棚に並んだ水槽から聞こえているのだと、部屋を見渡して気が付く。
入り口から見ると観賞魚を売る店のようだ。
「ドアを閉めて、入ってきてくれるかい」
その声が青い明かりの方から聞こえたかと思うと、棚の向こうから人影が頭一つ飛び出してきた。
「こっちだ。――手伝いに来てくれた人だろう? わたしはマビキという。手伝って欲しいと言うのはその水槽と、そこの小屋の管理というか、餌やりだな」
そう言われて、呆気に取られる。
「餌やり……ですか?」
水槽の下では5匹の小動物が走り回っている。2匹だけが大きい。親子なのだろう。まだ小さい3匹は好奇心いっぱいの瞳で私を見上げている。
「あの……、それだけですか……?」
「ああ。後は好きにしてくれて構わない。君が嫌だと言うなら、彼らは死に絶えるだけだ」
嫌な言い方をするものだ。
ムッとしながら、私は水槽と小屋とをまじまじと覗き込む。
「……水槽や、小屋の掃除とかは?」
「したければしてくれて構わない。あちらのスペースに入り込まなければ、棚も水槽も小屋も増やして構わんよ。必要なら言ってくれ。私から手配しよう」
「マビキ教授は」
「教授はやめてくれ。マビキでいい」
「マビキ……さんは、世話をしないんですか」
「前任者の置土産でね。持て余しているんだ。これでも減ったんだよ」
うっすらと笑う。変で、薄気味悪い人だ。
断りたいと思いながらも、水槽に向かって差し向けた指に近付いてくる小魚や、立ち上がって鼻をひくひくさせながら私を見上げる小動物から目を離すことができない。
気付けば私は「わかりました」と頷いていた。私は動物が好きなのだ。
マビキさんが現れた棚の向こう。青い明かりの正体は、大きな球儀体だった。
それは私達の住む星を模したものだ。私も家に、もっと小さなものだが昔、買ってもらった物がある。
目の前にあるそれは、所有している物の何倍も大きい。綺麗な色で発光する球体。ちょうど目線ぐらいの高さに設置されている。
その向こうの椅子にマビキさんは座り、少し大きな浴槽のような四角い水桶の真ん中に浮かべた世界地図――正確には陸地部分だけがうまく水に浮かんでいる――を見下ろしていた。
地図の上には小さな駒のようなものが無数に積んである。
地図も駒も、不安定なバランスで浮いているようだ。何も言われていないが、きっと触らない方がいいものなのだろう。
マビキさんは、私に話と餌の場所などの説明を終えると椅子に座り、球体を回し始めた。
私は餌があるという棚を漁っていた手を止め、問いかける。
「あの……それは何をしているんですか?」
「実験、かな。手伝ってくれるのなら、その回転を止めてもらってもいいかい?」
言われるがまま、廻り続ける球体に両手で触れて回転を止める。
「適当に陸の場所を指差してくれる」
首を傾げながらも、また言われるがまま目の前の陸地を指差した。
それがなんだというのだろう。
そう思いながら、自分の指した場所を見る。ニュースなどでもよく見かける国だった。
「どうもありがとう」
マビキさんは指先の場所を確認し、礼を言う。
はあ……とだけ返し、よくわからないままその日は魚と小動物に餌をやる。それだけ終え、研究室を後にした。
帰り際にマビキさんは小さく、またあした。と、そう言った。
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