からくり父娘(おやこ)

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「父は、江戸の藩邸で伏せておってな。もう長くはもたん」  控えの者も寝静まった深夜、寝床に呼び寄せたキヨに対し、若様は小声で打ち明けた。  若様の父――今の大殿様が亡くなれば、若様が後を継ぐ事になる。  しかし、それを快く思わない連中がいるらしい。  江戸にいる間にも幾度となく、命の危険に脅かされてきた。彼らはおそらく、別の人間を世継ぎとして立てるつもりなのだろう。  若様がキヨを招いたのはそのためだ。彼女の人知を越えた腕力は、身を守る盾となる。女子(おなご)であれば、寝る時も含めて四六時中側に置く事だってできる。これ以上の適任はないと考えた。 「近頃陣屋内では、わしが村娘を召してうつつを抜かしていると評判になっておるらしい。さぞかし隙だらけに見えるのだろう。そろそろ力ずくで襲ってくるやもしれん。キヨ、その時は――」  若様はじっとキヨの目を見つめて、言った。 「わしに構わず、逃げろ」  予想外の言葉に、キヨは絶句した。 「身を守る盾などと、お主を悪用しようとしたのは本当に申し訳ない。日々迫る危険に息が詰まり、平静を欠いておった。今となっては無関係なお主を巻き込んだのを、深く反省しておる。もし危険が迫った際には、自らの命を最優先に、すぐさま逃げるのだぞ」 「若様……」  キヨの頬を、ほろりと涙が伝った。自らの身を顧みず、キヨを思いやってくれる若様の優しさが胸に染みた。 「その前に、聞いていただきたい事がございます。実は、キヨの体は……」  ――ひた。  物音に気付いたのは、その時だ。  ――ひた……ひた……。  風の音かと思ったが、そうではない。間違いなく何者かが、外の廊下を忍び歩く音だ。それも一人ではない。二人、三人……幾つもの足音が、寝室に向かってくるのがわかる。 「若様……」  キヨの呼びかけに、若様は頷き返した。 「いいなキヨ。決して見誤るでないぞ。やつらの狙いはわしだ。わしが襲われている間に、すぐさま部屋を飛び出し、助けを求めろ。やつらもおそらく、深追いはしまい。いいな……」  言い終わらぬ内に、突然ドカッと襖が蹴破られた。差し込む月明かりの中、顔まで黒装束に包んだ人影が幾つも部屋の中に雪崩れ込んで来る。 「覚悟っ!」  吠えるように短く叫び、先頭にいた男が躍りかかって来た。 「キヨっ!」  若様はキヨの身体を突き飛ばし、自らの身を差し出すように両手を広げた。 「若様、駄目ですっ!」  キヨは逆に、若様の袂を掴んでぐいと力いっぱい引き寄せた。間一髪のところで、刀は空を斬る。 「おのれ、邪魔をするなっ!」  続けて飛び掛かろうとする男達に対し、キヨは足元の布団ごと畳を跳ね上げた。視界を奪われ、狼狽する男達の中で一人だけが、臆することなく冷静に、若様に狙いを定めて刀を振り下ろす。 「若様っ!」  キヨは咄嗟に若様を庇い、右腕を掲げた。  ガツンッ!  鈍い音がして、キヨの上腕に刀が食い込む。その様子に、黒装束の隙間から覗く相手の目にも驚きが浮かんだ。 「さては貴様、物の怪(もののけ)か……?」  腕の中程まで刀が刺さっているにも関わらず、キヨは声も上げなければ、血の一滴すら流さない。黒装束の男達に動揺が走るのが目に見えるようだった。 「曲者よっ! 若様の部屋に、曲者が侵入してるわっ! 早くお助けをっ!」  その隙を逃さず、キヨは声の限り叫んだ。はっと我に返った黒装束の男達が目配せし、すぐさま退却の姿勢を取る……が、キヨの腕には、相手の刀ががっちりと食い込んだままだ。 「ええいっ、放せっ!」  刀を引き抜こうとする相手を、キヨは力任せに振り解いた。元より腕力でキヨに敵うはずもない。呆気なく弾き飛ばされた相手は、口惜しそうに舌打ちを残し、脱兎のごとく走り去った。 「キヨ、お主、大丈夫なのか」  若様はキヨの腕に突き刺さった刀を抜こうとし、はっと目を見開いた。 「これは……」 「申し訳ありませぬ」  ついに正体が露呈したと俯くキヨに、若様は震える声で言った。 「これは……十市(とおち)の刀に違いない」
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