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辻斬り(2)容疑者
垣ノ上と文太が満足そうにお茶をすする頃、同じく常連の富田がやって来た。裕福な呉服商の隠居で、もっと高い店でも行けそうなものだが、この店を気に入ってほぼ毎日通って来る。
「やあ」
「ああ、富田のご隠居。いらっしゃいませ」
富田はニコニコとして、気に入りのいつもの席へと着く。
「おや、垣ノ上様。お疲れ様です」
「うむ」
垣ノ上は締まりのない顔を取り繕い、頷いた。
「聞きましたよ。また辻斬りが出たそうですなあ」
それを聞いて、垣ノ上はしかめ面になる。
「辻斬りですか」
料理の盆を運びながら狭霧が訊き返すと、富田は孫を見るような目をして話し出した。
「左之助も聞いた事はあるだろう?一月ほど前に、日本橋のたもとで夜鷹が斬られて死んでいた事件は。
今朝見つかったのは芸者で、観音様の近くだよ。前と同じで、着物が片袖持ち去られていた」
それに、狭霧は目を丸くした。
「観音様の?同じ長屋の中平様がやってる寺子屋の近くだね」
狭霧がそう言うと、八雲が眉を寄せて、
「まあ、怖いわね。子供達が危ないんじゃないの?」
と言い、疾風は無言のまま、心配そうな表情になった。
「下手人の手がかりはないんですか、垣ノ上の旦那」
富田が言うと、文太が胸を張る。
「流石は旦那、手掛かりを見付けたんだぜ」
「よさないか、文太」
言いながら垣ノ上も胸を張ってチラリと八雲を見る。
「現場近くで、根付を見付けてな。まあ、下手人を見付けるのも時間の問題だな。
ほれ」
垣ノ上は、懐からそれを取り出した。そして、居合わせた店中の人間がそれに注目する。
「たぬきですかい?それも、少々不格好な……」
大工らしい風体の客の1人が言う。
「犬じゃねえのか?」
「きつねだろう?」
次々と声が上がる。
そのくらい、それは少々不格好だったのだ。
「素人が作ったものだろうな。この通りなかなかない珍しいものだから、見た事のある者が現れるだろう」
垣ノ上が鼻高々、という風に言う。
疾風と八雲と狭霧は、素早く目を見交わした。
そして、忍びの技である読唇術を使い、唇の動きで会話する。
<あれ、もしかして中平様のじゃ>
<やっぱり八雲もそう思うか>
<現場も中平様の寺子屋の近くというしね>
<マズイな>
疾風が言った時、見ていた本屋が声を上げた。
「これ、見た事ありますよ。時々顔を見せるお侍が持ってましたよ」
それに、垣ノ上と文太が色めき立つ。
「何、本当か!?」
「へえ。この不細工さは、二つとねえでしょ」
「確かに」
皆、納得している。
「どこの誰かわかるか」
「化け猫長屋に住んでる浪人ですよ」
疾風と八雲と狭霧は、内心で、「あちゃあ」と嘆息する。
しかし垣ノ上と文太は勢い込んで立ち上がると、
「よし!早速行くぜ!」
「へい!」
と、店を飛び出して行った。
「やれやれ。慌ただしいねえ」
富田は呆れたように言って、アサリ飯を口に入れた。
「ただの落とし物かも知れねえのになあ」
「あの旦那は、ほら、せっかちと言うか、早合点すると言うか」
「だな。
そうだ。化け猫長屋なら、お前さん達の住んでる所だろ?」
富田に水を向けられ、八雲が頷いて笑う。
「ええ。中平様も妹の菊江様も、そういう人にはとても思えませんけどねえ」
すると客達は、
「なんでえ。また早とちりの旦那の勇み足ってとこか」
と笑い合ったのだった。
しかし疾風達は気が気じゃない。
昼ご飯の時刻を過ぎて昼の営業を終えると店を閉め、長屋へと急いだ。
長屋では、住人達が勢揃いして騒がしくしていた。
「拙者の物であるが、ヘタクソとは失礼な。どこを見ても、かわいい馬ではないか」
「馬!?馬じゃねえだろ」
「たぬきだよな」
「犬じゃなかったのかい?」
「猫だと思ってたよ」
「ああ。やはり才能が無かったのだな……」
「兄上。問題はそこではございません」
菊江が冷静に言い、垣ノ上と文太、騒いでいた住人達は我に返った。
「と、とにかくだ。これが現場近くに落ちていたんだ。辻斬りの下手人と疑われても仕方がねえ」
「拙者はそのような事はせん!その根付は、落としたのだ!」
「それを証明できるんですかい」
「落とした時にわかっておれば、その時に拾っておる!」
「まあ、そうですね」
垣ノ上も、怒る中平を前に、段々と自信がなくなってきたらしい。
「じゃあ、昨日の夜はどこにいた」
「昨日は私と家におりました」
菊江が言うと、八雲が手をあげて言う。
「うちは隣ですので、聞こえてましたよ。中平様と菊江様が、裏で稽古をなさっていた声が」
それで垣ノ上と文太は、渋い顔になったが、
「八重さんが言うなら……。
まあ、疑いがすっかり晴れたわけじぇねえからな」
と言い捨てて、去って行った。
長屋の皆は、
「やれやれだねえ」
「早とちりの旦那だから」
などと言いながら、家へと入って行く。
疾風達も家へ入り、表情をスッと引き締めた。
「これは、まずいぞ」
「ええ。化け猫長屋を張り込むつもりだと思うわ」
「注目を集めれば、その噂が江戸で活動中の里の人間の耳に入るかも知れない」
3人は真剣な顔で、頷き合った。
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