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「――そうかい、そんなことがあったのかい」  ベンさんとはすっかり打ち解け、僕は今日あった出来事を話した。もちろん、その話の大半は妻に対する不満だったが、ベンさんは話を遮ることなく、聞いてくれた。 「まったくですよ。あんなに醜い妻だと知っていたら、僕も結婚なんてしなかったですよ。ああ、本当後悔しかないですよ」 「……そうかい。でも、案外それで良かったのかもしれないね」 「……え? 何がですか?」  「いや、何でもない」と言って、ベンさんは再び瞼の糸を内緒にする件に念を押すと、そのまま自分の畑へと足を進めた。  若干、気にはなったが、僕も畑仕事をしなければならなかったので、夕方になるまで汗水流して働いた。  夕刻。仕事を終えて家に帰る途中、道端で飲んだくれている老人を見かけた。薄汚れた服に、近づくにつれて鼻を刺すような悪臭。関わり合わない方が良いと判断しすれ違う瞬間、老人の目が両方開いていることに気がついた。 「じ、爺さん。あなたは、両目が開いているのか?」 「……んあ? ああ、両目ね。ああ、開いておるよ。それが何か?」 「何か――って爺さん。そんなことをしていると、憲兵に連れていかれて死刑にされてしまうよ」 「…………あははははははは」  突然、老人が大きな声で笑い始めた。悪臭に交じり、強い酒の匂いを漂わせ、狂ったように笑う老人。まったく死を恐れていないその様子は、僕に恐怖すら覚えさせた。 「そ、それじゃあ。せめて、憲兵に見つからないように」  そう言って、その場を後にしようとすると、老人はとんでもないことを口にする。 「お若いの、何も知らんようじゃな?」 「知らない? 一体何を?」 「まあ、こんな田舎町では知らなくても不思議ではないな」 「何の話だ。教えてくれ!」 「王国はとっくに滅んでいるよ。つまり、そんな法律はとっくに無効となっているのじゃよ」 「……そ、そんな。う、嘘だ。嘘に決まっている」 「嘘なもんか。愚かな王に耐えかねて、クーデターが起きてな。王様は失脚、今はクーデターのリーダーが国を動かしておる。それも、数十年前も前の話じゃ」  確かに、王様の居る王都から、ここは大分離れた田舎町。山を一つどころか、数十も越えなければ王都へは辿りつかない。王国が滅んでいる情報が、伝わっていないのも納得はできる。しかし、こんな飲んだくれの老人の話を信じる根拠にならない。現に、僕がこの老人の前で右目を開いたままにしているのも、どうせ誰も信じないと高をくくっていたからだった。 「それなら証拠を見せてみろ!」 「証拠とな? ……よかろう、これを見ろ」  老人は羽織っていたマントを捲り、洋服の胸元の紋章を見せた。 「三頭の鷹に、クローバーの葉。これは、王様の紋章。王様しか、使うことを許されない紋章じゃないか」 「証拠になったかの? だから、お主も自由にいきるのじゃよ。この老いぼれた爺のように」  そう言った老人の目は、どこか寂しく悲しい目をしていた。
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