神と暮らした男 全文

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神と暮らした男  全文  暁闇の砂浜に、漸く初夏の朝日が昇ろうとしている。砂浜の小高くなった所に祭壇を設け、日に向かって端座していた少女が、山巓より射し込んだ光を鏡で反射させ海原へ送った。すると、その光に導かれる様に男が波間より顔を出し、やがて砂浜へと迫って来た。砂浜を進む男の後ろには、まるで亀が砂浜に這い上った様な跡が続いている。そこに走り寄った少女が、うつ伏せで顔を横に向けた男に声を掛けた。 「お前、大事無いか」 「水をくれ」  真木は喉の火照りに堪えながら、振り絞る様に答えた。 「少し待て」 少女が浜から走り出し林に入ると、数人の兵を引き連れて戻って来た。その兵の一人がうつ伏せに寝ていた真木を抱えて座らせると、少女が瓶から鉢に移した水を飲ませている。暫くすると真木は辺りを見回し、溜息の様な声を漏らした。 「ここは何処だ」 「ここは那津の浜だ」  真木を抱えた兵が答えた。 「那津だと」  真木は昨夜のことを振り返っている。陸軍南方支援隊として乗船していた駆逐艦が、玄界灘で米軍の潜水艦から放たれた魚雷を受けて沈没したのが夕刻であった。救命舟に数名で乗り込み、確か博多沖まで来た時、闇夜の中で横波を受け転覆した。そこからは懸命に泳いだが、波打つ海上で一人、二人と見失い、「真木少尉、おさらばにございます」の声を最後に自分ひとりになってしまった。それからは材木に縋り付き岸を目指したが、やがて腕の力も尽き暁闇の海に沈み込もうとしていた。死の淵を蹌踉としていた時、突如に一条の光が刺し込み、それに導かれる様にして浜まで辿り着いたはずである。 「お前は、怪しげな物を身に纏っているが、何処から来たのか」  少女が小首をかしげながら問い掛けて来た。真木は、これに答えず少女や兵達の身形を見ている。少女は髪を頭上に丸め、麻の衣を貫頭衣にして腰の辺りに紐で結んでいる。その胸元には緑色の翡翠を勾玉にした物と思える首飾りを吊るしており、何か気品を感じさせる。兵と思しき男達は、顔に墨を入れ、髪は後ろ手に束ね、幅広の麻衣を着てそれぞれが矛を手にしていた。 真木は考え込んだ。 <那津とは博多の古語として聞いたことがある。それにこの風体は古代人の物ではないのか>  改めて辺りを見回してみると、そこには建物も見当たらず、ただ木々が生い茂る砂浜が広がっているばかりである。 <まさか、俺は古代に迷い込んだのか> 「俺の名は真木というが、昨夜に遭難しここまで辿り着いた」  にこっと笑顔を見せた少女が手にした鏡を見せている。 「この鏡の光が届いたのか」 「その様だ。俺は一度死線を越えたかも知れんが、確かに海の中で光を見ていた」 「そうか。ところでお前が腰に付けているおかしな金物は何だ」  少女の問い掛けにはっと我を取り戻した真木は、腰に目を向けると拳銃が残っていた。駆逐艦で手にしていた軍刀は失い、今、武器となる物はこの拳銃しかない。危害を加えられる様子はなさそうだが、ここでは優位に立つしかないと考えた。 「これか。これは神が使う鉄の筒だ」  少女が興味深く見つめる目を意識しつつ、真木は九四式拳銃の弾倉を抜き、胴体と共に入り込んでいた海水を振り払った。使用可能なことを確認すると、弾倉を胴体に装填し、取り囲んだ兵に言った。 「そこを開けてくれ」  何かの目標物が無いかと見ていると、30mほど先の砂浜に雉が走るのを見つけた。立膝に座り直した真木は、両の手で拳銃を構え雉が停まるのを見定めると発砲した。轟音を上げて飛び行く弾丸が雉に当たると、跳ね飛ばされた雉が翼を羽ばたかせていた。    九四式拳銃は、口径8mmで有効射程距離が50m~100mとなる拳銃で、当初陸軍の将校・准士官の護身用に開発された。昭和九年に採用となって、翌年から量産を開始し、以降、将校のみならず、機甲部隊、航空部隊、空挺部隊などでも広く使用された。  脇で見ていた兵達が、仰け反っている。中には、離れて矛を構えている者も見られた。 「お前は、魏の者か」  驚きで顔を引き攣らせた兵の一人が、身構えながら言い放っている。 <あの三国志で名を轟かせた魏か。やはり、ここは古代の日本なのだ>  真木は、改めて思い知った。 「騒ぐでない」  落ち着きを取り戻したのか少女が、兵を諫めている。 「もし、この者が魏から来たのであれば、好都合だ。黎明の祈禱に思わぬ邪魔が入ったが、あの雉と共に連れ帰るとする」 「姫、大事ございませんか」  真木を抱き起した兵が、不安げな顔をして問い掛けている。 「大事無い。我の神鏡が救った男じゃ」 <何、姫だと。それに神鏡とは。この少女は、かの女王になる女なのか>  胡坐を組んでいた真木は、じっと少女の顔を見つめた。 「名を聞かせてもらえぬか」 「我か。我の名は日神子(ヒミコ)じゃ」  「そうすると、ここは邪馬台国か」 「その通りじゃが」  不思議そうな顔をした少女が答えた。
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