神と暮らした男 全文

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 立ち上がった真木の両脇には矛を手にした兵がいるが、背丈は片ほどの高さしかない。これなら剣道四段・柔道参段・空手道四段の技を持つ自分にとって、少々手荒な真似をされても十分に対応することが出来ると、真木は先頭を歩く日神子と名乗る少女の後に従っていた。 砂浜の林を抜け、田が広がる道を小一時間ほど歩くと、先にあった小高い丘を登っている。そこには周りに濠が掘られ、その上に荒々しい木材の柵で囲われている砦が見えている。その柵の向こうには、高く聳え見張り台となる楼観(ろうかん)になるのか、数人の兵がこちらを見ていた。  その兵に向かって日神子が手を上げると門が開かれ、5mほどの幅がある道が続いている。道の先には、再び柵が廻らされ柵の前に横切る道がつけられている。そこには朝の食事を終え、これから田仕事や他の仕事に向かうのか、人の列が出来ていた。そんな人々が日神子を見ると頭を下げ、中には兵に連れられた自分に訝し気な目を向ける人が見られた。二つ目の柵の内にも門の両側に楼観があり、見下ろす兵の一人が日神子を認めると直ぐに門が開けられた。門を潜ると100m四方はある広場があり、正面には両脇に長屋を持つ門が見られる。その向こうには宮殿と思しき神殿に似た建物の屋根が、数棟望まれた。 「この者は、使者が使う館へ連れよ。我はこの者から話を聞きだす故、朝餉を共にする。材は雉と魚で整えよ」  こう言い残した日神子が正面の門に向かうと、真木は兵に連れられ広場の右手となる大きな館へ入った。 「この者は姫の客人だ。姫と共に朝餉を食されるので、この雉と他には魚で整えよ」  兵が雉を手渡して下女に命じた。 「すまないが、海水に濡れておるので水を使いたいが」  兵に少し頭を下げながら真木は頼んだ。 「おお、禊(みそぎ)か。これは気付かなかった」 <禊?何か神に面するのか。いや、日神子は神として敬まわれているのかも知れない>  真木は兵に付いて館から坂道を下り、回り込んだ林の中に湧き水が流れる小川の畔へ着いた。林の木々を通した向こう側には、ここの住人の住居なのか三角屋根に茅を葺いた住居が彼方まで居並んでいる。 「今なら人が来ることも無いから、ここで禊をすることだ。それに衣も洗うなら代わりを持って来てやる」  駆け出して行く兵を見送り、好く気が付き奴だと思いながら軍服を脱ぎ、拳銃と合わせて水に浸した。小川の向こう岸近くには膝辺りまで届く深さがあり、体を沈めて頭髪まで洗った。その内に兵が衣を持って現れ、これを身に着けた真木は絞った軍服を小脇に抱え館へ戻っている。板敷の広間の庇に軍服を干していると、衣を着替えた日神子が入って来た。 「お前はでかいな。上衣の丈が足りないし、指貫(さしぬき)の裾からは脛まで見えておるではないか」  口元を手で隠しながら吹き出している。  振り返った真木は、今朝方とはがらりと変わった日神子の身形を食い入るように見つめている。白色の絹の衣に真紅の肩掛けを羽織り、髪はだらりと後ろ手に垂らして中ほどを赤い布で結わっている。 「何を見ている。これが我の常の姿じゃ」  唇に紅をさした口元からきりっとした言葉が発せられた。 「いや、先程とは見違えるようで、誠に美しい」  ほんの少女と思っていたが、この姿を見ると十七、八になると思えた。 「あー、あれか。あれは日に向かう時には、崇拝の思いから下辺の形(なり)をしている」  当たり前のように日神子が答えた。 「朝餉はまだ整わぬのか」  手を敲きながら奥に向かって声を掛けている。 「遅くなりました」  奥から膳を掲げた下女が広間に入ると2mほどの間隔をとって膳を置き、膳の向こうには円座を敷いた。膳の上には、塩を振った鮎と雉肉の焼物が皿に盛られ、雉肉の汁と粥が椀に入れられている。 「お前の口に合うか判らぬが、食するか」  向かい合わせに座り真木は鮎や雉肉を口にすると、何か芳ばしい味が広がった。 「美味い」  思わず口に出し、空腹に耐えかねていた真木は立ちどころに全てを食べつくしている。 「そうか」  片膝を立て座っている日神子が満足そうに見ている。そこで、広間の端に端座していた下女に向かって、立ち去るよう手を振った。下女が広間から出たことを確かめると、おもむろに話し掛けられた。 「この雉はお前が射たものだが、あの筒は見たことがある」  初夏の陽射しが照り付け始めた外庭に目を向けた日神子が、雉肉を口にしながら語り始めた。外に反して館の広間には涼風が流れている。拳銃を見たことがあると話す日神子に凝然となった真木は、引きこまれるように耳を傾けた。 「我が持つ鏡には不思議な力を宿しており、我が念じると前世と来世にも繋がりを持つことが出来るのじゃ。何時の世か知れぬが、お前が持つ筒より更に大きな筒で戦をしている景色を見たことがある。それも幾千とも知れぬ人々が競い、筒音が雷(いかづち)のように跳ね返る山が囲む野原には、煙が朦々と立ち込めていた。また違う景色では大鳥に乗る男が翼の下から島の広場や大船に向かって、何やら塊を落とし火炎を上げておった。その大船からは、火を噴く大筒が大鳥に向かって塊を放っておった」  ふうっと息を漏らした日神子が、何か疲れた様子を見せている。 「どうかしたのか」 「こんな景色を見れるのは、昼と夜が同じくなる日に祈禱を手向けた後で鏡に現れるが、神気を注ぎ込まねばならない。これを語るだけでも疲れるのじゃ。そういえば、その大鳥に乗った男の胸には、お前の衣に付いておる紋様と似た物があった」 「その前に聞きたいが、始めの景色にはこんな旗が見られなかったか」  真木は残っていた雉肉の汁に指を漬け、板敷の上に文字を書いた。厭離穢土と薄汚れた板の埃を押しのけて、文字が浮かび上がった。これは徳川家康の旗印である。    現在広く使用されている漢字の明朝体は中国明時代に確立されたものであるが、起源を遡ると後漢時代の楷書となる。この当時邪馬台国や周辺の諸国では後漢と使節の往来があったことから、外交文書を取り扱う漢字に精通した人々が多くいたはずである。 「そうじゃの。文字の意味は好く判らぬが、確か山の中腹にそんな文字を描いた旗が揺らめいていた」 「関ケ原」 「なんじゃ、それは」 「いや、この戦があった野原の名だ。それと次の景色の大鳥には、赤い丸が描かれていなかったか」 「良く知っておるな。その大鳥の赤い丸は心に焼き付いておる」 <やはり、真珠湾か。それにしても何と不可思議な霊力を持っているのか。そうか俺がこの時代に迷い込んだのも、この霊力の仕業かも知れない>  確信に至った真木は、問い掛けのあった紋様に話を進めた。 「それで紋様のことだが、これは軍における階級を現す印だ」 「するとお前は戦人か」 「そうだ」 「ならば、ここから聞く話は誰にも打ち明けない。我のみの心に留める故、真実を語って欲しい」  日神子の膳の器には、ほとんどの物が残されている。そんなことを気にも留めずに日神子が問い掛けて来た。 「お前は何時の世に生きていた者か」  真木はこの時代、即ち魏志倭人伝に書かれた邪馬台国が存在していた三世紀から数えている。 「俺は、先の大鳥が出て来た時代。おおよそ千七百年後の人間だ」 「えー、千七百年後か」 「そうだ。俺はこの国の後の世となる日本国の軍人だ」 「お前の紋様は階級を現すと言ったが、いか程の者か」 「俺は将校で、位は少尉となる。50人ほどを指揮していた」 「ならば、戦の腕のほどは」 「答え難いが、ここの兵が十人まとまっても俺には敵うまい」 「それは、あの筒を使うからか」 「いや、素手で十分だ」  真木は、何故に日神子が戦ばかりを気に掛けるのか不信に思っている。 「そんなに戦が迫っているのか」 真木は陸軍士官学校で学んだ戦術・戦史・軍制・兵器などの軍事学、それに漢文・歴史・数学・物理に化学などの一般教養を思い浮かべ、日神子の役に立てるなら力になろうと、次第に決意が固まっていた。  日神子が俯いて考えている。 「この話は後にしよう」  顔を上げた日神子が、不安げな様相に変わった。 「お前は、この国の行く末が判るのか」 「邪馬台国か。そうだな」  真木は何処までの話をしようかと迷っている。もし歴史から消え去った国の行く末を語れば、どの様に受け留めるのか日神子の気持ちが図れないでいる。 「この国が滅ぼされるのか。お前が知っている限りのことを教えてくれ。我は今臥せっている王である父が亡くなれば、後を継がねばならぬ」 「やはり、そうか。そなたはこの国の女王になるのだな。そうなれば、この地一帯には安穏が訪れるであろう。だが、この国の行く末は、後世の歴史に残っていないのが事実だ」 「歴史に残っていないとは、何故か」 「それは俺にも判らない」  再び日神子が俯いている。何を考えているのか真木は、推し量ろうとしている。そこで励ましの言葉を脳裡に廻らせていた。 「もし、そなたが望むのであれば、俺が力を貸しても好い」  日神子の顔に笑顔が戻った。 「そうか。ならば、この国と周辺の国々の事情から話さねばならぬ」  かつて那津(博多湾沿岸)には奴国と言う強大な国があって、後漢の初代となる光武帝(在位西暦25年~57年)に朝貢し「漢倭奴国王」と彫られた金印を賜っていた。この様な権威を背景として周辺の国々へ侵略を始めたため、南にあった邪馬台国と投馬国は東の末盧国、伊都国、不弥国と連合し、これに対抗した。数年に及んだ大乱は連合側の勝利に終わり、奴国は国の過半を割譲して主となった邪馬台国に明け渡した。この戦を導いたのが日神子の父であったが、その父が病に臥す様になった昨年頃から各地で戦が再燃し始めた。 「我は、この神鏡を通し前世の人々や来世の景色にも繋がりを持てるが、武と言う力が無い。お前は武に未曽有な力を持っていると我は見た。更には、測り知れない智慧を併せ持っており、是非、その力を我に貸して欲しい」  懇願する様に頭を下げた日神子に、真木は大きく頷いた。 「俺は命を助けられた身であり、力を貸すことに何も異存はない。ただ、俺は軍人であるが、むやみに人を殺めることはしたく無い」 「おお、正にその通りじゃ。我も戦を望む訳では無く、和を保つための武を示せれば十分じゃ。お前とは気が合いそうじゃ」  日神子が笑顔を見せた。それは正に優艶にして神秘を秘めた女の姿を、真木は垣間見ている様であった。  一晩海上で過ごした疲れからか、日神子が立ち去り緊張がほぐれた真木は、そのまま寝入ってしまった。夢寐の合間には駆逐艦での戦闘の様子、海原で逸れて行った兵卒の姿、更には故郷である広島に暮らす母の呼び声が廻っていた。深夜、目を覚ました真木は庇から外を眺めると、満天の星空の下、広場で燃やされている篝火とその灯りに照らされ聳え立つ楼観の姿であった。頬を抓ると痛みを感じ、やはり古代の世に入り込んだ現実を思い知らされていた。
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