神と暮らした男 全文

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 翌日の早朝、朝餉を終えると早速に日神子の呼び出しが掛かった。兵に連れられ宮殿に向かうと階(きざはし)には、日神子が待っていた。 「真木、一夜を過ぎると、その衣も似合う様じゃな」  昨日、兵に手渡された衣を着た真木を見て、日神子が笑う様に話している。 「やっと名でお声がけ頂きましたな」  真木も負けずに答えた。 「今日呼んだのは、王に拝謁してもらうためじゃ。昨日、王には真木の武と智慧の深さのほどを伝え、この国に役立つ者として重きを担う役に就く許しを得ておる。ただ周りの者には真木の力のほどが判らぬ故、試すことになるやも知れん。その力は我も見たいが」  日神子が階を登り宮殿の扉前に立つと、控えていた女官が左右から扉を開けた。日神子に従い殿舎の内に入ると、絹衣を纏った男達が左右に座り、正面に据えられた臥所には年老いた王が寝かされていた。日神子がその臥所へと進むと、腰を落とし頭を垂れると老人に伝えた。 「昨日、申し上げた男を連れて参りました」  すると臥せていた王が半身を起こし、日神子の後背に座していた真木に目を向けた。真木は、王の鋭い眼光に射すくめられた様な思いで低頭した。 「お主が、日神子が言う底知れぬ力を持つ男か」 「はい」 「日神子は認めておるが、ここに並ぶ者には信じ難い話じゃ。一つその武とやらを見せてもらえないか。我の冥土への土産になる」 「何なりと」 「昨夜、姉君に聞きましたが、兵十人に立ち向かえると。我もその一人になって試しとうなりましたが」  並びの先頭に座っていた若者が声を上げた。 「素佐(すさ)、お前も加わるのか」  日神子が若者に目を向けている。 「この者は、我と一つ違いの弟であるが、日頃から武には鍛錬を重ねておる。真木、試してもらえないか」 「わかりました」 「ならば、直ぐに前庭へ宮殿の兵を集める。武具は矛先を取り外した柄で好いか」 「俺は、素手にてお相手いたします」 「それで好いのか」 こう言うと素佐が走り出した。  宮殿の階には、病を押して起き上がった王を中にして、日神子と殿舎に並んでいた男達が周りを取り囲んでいる。その目の前の前庭には、真木と向かい合う、十人の兵が素佐を中にして並んだ。 「かかれ」  素佐の号令で兵達が真木の周りを取り囲んだ。しかし、頭一つ飛び出た真木に向かって踏み出す兵がいない。そこで、真木が正面の一人に向かって歩み出すと、後ろから打ち掛かる兵がいた。予めこのことを予測していた真木は、その兵の柄を躱すと胴を抱えて仰向けに放り投げた。続いて横から打ち掛かけて来た兵には、身を屈めて足を払い前のめりに転ばした。 「ええい、皆でかかれ」  素佐の苛立った声に、次々と打ち掛かって来る兵に「キェー」と叫び声を発した真木は、足蹴りや手突きに体当たりを交えて対している。突き上げた拳に、振り下ろす腕。前や後ろから繰り出す足蹴りで、腕や腹を押さえてうずくまる兵の姿があった。瞬く間に真木へ立ち向かう兵が居なくなり、唖然として立ち尽くす素佐だけが残った。そこで落ちていた柄の一つを手に取ると、真木は素佐に向かって正眼に構えた。ここまでの立ち合いを見ていた素佐の目に、おののきが窺える。それに堪えきれなくなったのか素佐が、柄を振り上げると殴りつける様に振り下ろして来た。その柄を真木は横に払うと、つんのめって前のめりに転げ落ちていた。 「お見事」  階で身動きもせず立ち合いを見ていた一人が、声を掛けた。その横には尊敬の念を抱いた様子の日神子が、艶やかな笑顔を見せていた。 殿舎内に戻ると王から真木へ、この国で次官となる弥馬升(みまし)の位を与えられ、その証として真紅の帯を頭部に巻く許しを得た。この後、兵の鍛錬を任せられ、主だった臣が住まう一角に住居も与えられた。 その住居に落ち着いた夕刻、素佐が訪れ広場の中にある楼観へ登った。山裾からは田が広がり、北の彼方の湾処には群青の海に波一つなく穏やかな水面を見せていた。足元の砦の内には数々の館や住居があり、人々の行き交う姿が忙しそうに思えた。 「真木殿、ここのあらましを話しておく様に姉君に言われた」  敬称が混じる素佐の言葉に違和感を覚えながらも、真木は聞くことにした。 「この広場の左手にある数棟の館は、この国の政を行う所だ。その向こうの館は鋳物師や陶工の仕事場で、正面の宮殿がある敷地の両脇に並んでいる高床の館が民の納めた米や豆、野菜を始めとして様々な食の材を蓄えてある。広場の右手が使者の館でその向こうに並ぶ館には臣が住まっておる。右手の奥になる数々の住居は民の住いで、おおよそ三万戸の人がここに暮らしている。こんな砦は各所にあり、合わせると七万の戸数となる」 「ほう、なかなかの勢力だ」 「そうだ。今は一番の力を持っておるが、南の投馬国や東の奴国に不穏な動きがあり、安んじてはおられない。明日、伊支馬(いきま)の苅田彦殿より兵の鍛錬について、お話がある」 「おう、大官の方だな」  翌日、広場で素佐を含めて、兵の中で主だった者二十人が集められていた。素佐以外の者の顔には全て墨が入っており、昨日の宮殿の兵と違って精悍な面立ちには異様な風情を醸し出している。苅田彦に続いて真木が前に立つと、頭に巻いた真紅の帯の権威か、また昨日の立ち合いが伝わっているのか、兵達が片膝をついて頭を下げている。 「各所より駆けつけてくれて、足労であった。昨日、王より弥馬升に任ぜられた真木を引き合わせる。ここにおる真木は、我も見直に見たが大変な武の持主で、日神子様の話では底知れぬ智慧も身に着けておる。これからこの国の兵の鍛錬に当たられるので、今日よりそなたらに一端を担ってもらう」  苅田彦の朗々とした声が広場に轟いた。 「俺が真木と言う。今の話の通り、今より兵の鍛錬を会得してもらう」  真木は、陸軍兵学校で学んだ歩兵の戦術を脳裡に廻らせ、まずは隊列を組んだ行進より始めた。昨日の立ち合いでは、何の統制も無くむやみやたらに打ち込んで来た兵のことを考えると、まずは集団行動の意志統一を図ることに重点をおいた。兵を二列縦隊に並ばせ、矛を持たせて広場を周回させている。 「列からはみ出すな。声を掛けろ。足を上げろ。止まれ。歩け・・・」  真木は身振りを交えて、叱咤している。広場を五周ほど歩くと、それなりの行軍が出来る様になっていた。さすがは選りすぐりの兵と思いつつ、次には兵を二隊に分け10mほどの間隔で対峙させた。片方の隊に相対する隊を敵と見て、矛の上げ下げ、突きを真木の号令の下に行わせた。これを交互に行わし、数度繰り返すと集団行動が整ってきた。広場の片隅で眺めていた苅田彦の目が輝いている。一旦、休息を挟んだ時、真木の傍に素佐を連れて近づいて、驚嘆の言葉を投げ掛けて来た。 「真木、こんな鍛錬をどの様にしてあみ出した」 「正に姉君が話されていた通りのお人で、戦いが様変わりしそうだ」  素佐も続いている。 「これは俺のやり方であって、まだ始まったばかりだ」  次には柔道や空手の基本技を見せ、数人の兵には相対して覚えさせていた。当初はぐずついていた兵も見られたが、この頃になると目の色が変わり真木の言葉に真摯に従っている。  集まった全ての兵が土埃にまみれた夕刻には、砂に書いた兵の配置で図上訓練も重ね、こんな日が数日に亘って続いた。 「真木殿、ここまで鍛錬をして頂き、かつて戦でやってきたことが馬鹿らしく思う様になりました。我が地に戻れば、兵を鍛え直します」  去り際には、地べたへ頭を付けてまで平伏する兵がほとんどであった。 「兵を強くするに越したことは無い。しかし、戦場で敵を殺めることが狙いではなく、何度も申した様に戦わずして勝つのが最上の戦である」  真木は、それらの兵に向かって、この様に答えていた。
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